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真夏の嬬恋村探訪
@パノラマラインと
ウルグアイラウンド

青山貞一 池田こみち

24 August 2010
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁
●特集:真夏の嬬恋村探訪 2010.8.17-8.21
@パノラマラインとウルグアイラウンド  
Aパノラマラインからの秀逸な自然景観
Bひっそり鄙びた中山間地、門貝 
C門貝、それは上信両国を繋ぐ拠点
D山伏の拠点、門貝の熊野神社
E干俣地区の小さな観音堂、円通殿   
Fパノラマライン北の4つの硫黄鉱山跡
G吾妻川の特異な地形ー断崖と渓谷

 この2010年8月13日夜から8月22日午前にかけ、猛暑の東京を抜けだし、いつものように北軽井沢にある別荘(保養施設)に出かけた。

 
環境総合研究所 北軽井沢保養所   
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月20日


真夏の浅間山。くびれた右側が外輪山の黒斑山(2505m)
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月20日


浅間高原、真夏のトウモロコシ畑
撮影:青山貞一、Nikon CoolPix S8, 2010年8月20日

 今回は環境調査の合間に、群馬県北西部を横断、総延長距離約30kmある<パノラマライン>を数度にわたって走行した。約20kmが北ルート、約10kmが南ルートである。このラインは平均標高で約1200mを走っており、灼熱の東京が日中で36-38℃でも、24-27℃と至って涼しい。

 同時に、今回は沿道にある史跡、景勝地を思う存分探訪してみた。

 このパノラマラインの沿道には、ほとんど知られていないが由緒ある集落や史跡、寺社や景勝地が多数存在していることが分かった。実際、東京に帰ってからグーグルでそれらの史跡、遺跡などを検索したが、ほんの少ししかひっかかからなかった。

 ところで、群馬県西部の嬬恋村のパノラマラインには浅間山麓を通る南コースと四阿山、万座山、本白根山、草津白根山の南山麓を通る北コースのふたつがある。 

 いずれも幅員7m、2車線、南北コースあわせた道路の総延長は約30kmもある。東京23区がすっぽり入ってしまう規模である。しかも、これらはいずれも広域農道を高規格化としたものである。

 何でもガット・ウルグアイ・ラウンド対策の一環としてこの広域農道をつくったらしい(下の看板参照)。しかし、圧倒的大部分の作柄がキャベツの嬬恋村がなぜ、ウルグアイ・ラウンドなのか、よくわからない。



 通常の広域農道は幅員が5m程度のはずだが、パノラマラインと呼ばれるこの広域濃度は約7mもあり、舗装も上等だ。

 ひょっとして昔からあった農道を拡幅し、用地費や事業損失費(営業補償)の名目で農地の所有者(農民)に公費を支払うことと、農業土木業者に工事費を払うことが<ウルグアイ・ラウンド対策対策費>だったのではないかと勘ぐってしまう(笑い)。

 というのも、片道30kmを走って、対向車線を走っている車は多くて10数台であったからだ。日本国得意の<ためにする公共事業>の典型のような気もした。

ウルグアイ・ラウンド(Uruguay Round、1986年 - 1995年)
 世界貿易上の障壁をなくし、貿易の自由化や多角的貿易を促進するために行なわれた通商交渉。 ウルグアイ東方共和国の保養地プンタ・デル・エステで1986年に開始宣言されたことからこの名がついた。
  この協議では、サービス貿易や知的所有権の扱い方、農産物の自由化などについて交渉が行われた。中でも農業分野交渉が難航し、将来的に全ての農産物を関税化に移行させること、最低輸入機会(ミニマム・アクセス)を決定するにとどまり、完全な自由化には至らなかった。


出典:WIkipedia

 本当にこれほど立派な道路がこの地に必要かどうかは疑問だが、せっかく立派な道路があるのだから、何度か往復してみた。