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増上寺・寛永寺の灯籠

世田谷区の実相院に17基 (1)

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
December 29 2017
独立系メディア E-wave Tokyo
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1.はじめに        2.ハードな歴史修正主義?  3.実相院紹介 
4.実相院の歴史      5.実相院の境内、伽藍   6.灯籠現地調査  
7.刻印確認調査@   8.刻印確認調査A    9.刻印確認調査B  
10.刻印確認調査C  11.調査結果    12.全体コメント

  
徳川家の紋章 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12

1.はじめに

 2017年12月、暮れも押し迫った22日の夕方、2014年から続けている東京都港区増上寺や上野の寛永寺にあった1000基近くの立派な灯籠を、西武の堤 康次郎一族がプリンスホテル(後述)を建てる際、勝手に宗派も歴史的経緯も無関係に周辺市町村内の寺院に配った問題に関連し、ひさびさ東京都内で、調査を行っていなかった世田谷区内の寺院を訪れました。

◆西武グループによるホテル(プリンスホテル)・リゾート事業

 西武グループによるホテル・リゾート事業は、国土計画(後のコクド、2006年2月解散)が主導して計画・立案した箱根・軽井沢などへの観光地への進出を図ったのが源流。社名は、敗戦に伴い行われた皇籍離脱後、生活に困窮した旧宮家の土地を購入し、ホテルを開業した事に由来。

またコクド・西武鉄道の創業者である堤康次郎が1964年に死去し、三男・堤義明がコクド・西武鉄道の後継者の座に就くと、1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させるかたちで「(初代)株式会社プリンスホテル」を設立し、康次郎の五男で西武百貨店寄りの要職に就いていた堤猶二が社長に就任する。


本論の対象となるのは数あるプリンスホテルの内、東京プリンスホテル(東京都港区芝公園) - 1964年開業。徳川家霊廟跡に立地したものである。同ホテルは、1964年10月10日に開催される東京オリンピックに合わせて徳川家霊廟跡に同年9月1日に開業。


東京プリンスホテル(東京都港区芝公園) - 1964年開業。徳川家霊廟跡
西側から東側(ホテルの大駐車場)を撮影したもの。

概数だがプリンス系ホテルは国内外、大小、さらに売却されたものなどを合わせえると70カ所以上に及ぶ(註:これは青山貞一の推定)。

プリンスホテルの詳細

出典:Wikipedia
 
 実際のところ、有償か無償かは未確認ですが、東京周辺の多くの寺院に徳川歴代将軍の没後に全国の大名から寄贈された灯籠が2基から数十基ずつ配られ、移設されてしまった問題との関連で、調査を行っていなかった東京都世田谷区の実相院を視察しました。

 当日は冬至でもあり、日が暮れるのが早いので早めに研究所を車で出て3時30分に現地に到着、約1時間弱調査を行いすべての灯籠を写真に収めてきました。

 事の発端は、戦後まもなく国有地を安価に払い下げさせた一等地の土地の上に、巨大なプリンスホテルなどを数多くつくってきた西武グループが、もともと増上寺の境内を駐車場やホテルの関連施設とするため、膨大な数の灯籠を勝手に東京都23区、東京都多摩部及び近県(埼玉県の飯能市、秩父市、千葉県、長野県)などに移設してきたことにあります。

 下は戦前、戦災以前の増上寺の南北御霊屋の平面図です。北御霊屋及び南御霊屋ともに、現在東京プリンスホテルが立地しており、増上寺は南北御霊屋の間、図中、増上寺本堂、経蔵、寺務所などがある中央部のみとなっています。


昭和20年の繊細以前の増上寺霊廟図  出典:増上寺配付資料

 下の航空写真(衛星写真)は、北霊廟があった部分に東京プリンスホテル、南霊廟があった部分にザ・プリンスパークタワー東京があることを示しています。なお、増上寺の西にあるのは東京タワーです。


出典:グーグルマップ

 西武プリンスといえば、次々に国有地を安価に払い下げさせた土地にホテルなどを建設することで、ほとんど法人税を払ってこなかったことで有名ですが、現在、東京都港区芝の増上寺の両側にあるプリンスホテルの場合、第二次世界大戦で焼失、破壊した徳川家の霊廟、勅額門などとは別に、金属や石でできている膨大な数の由緒ある宝塔や灯籠などを西武側が都内や近県などの寺院に有償、無償かは不明ですが配ってきたのです。

 また西武グループの一大拠点、埼玉県所沢市には、堤氏が新規に 狭山不動尊(狭山山不動寺) を創設し、灯籠数十基、勅額門や御成門などの重要な歴史的建造物を歴史的経緯や仏教の宗派も関係なく、移設しまくってきたのです。

 何と、その狭山不動尊(狭山山不動寺)は、西武ライオンズが必勝祈願を行う寺としてつくったというのです。ここには、徳川二代将軍秀忠や秀忠の「勅額門」、さらに正室、お江の「丁子門」など日本史的な重要建築物を勝手に移設しています。完全な私物化です。

狭山不動尊

 狭山不動尊は、埼玉県所沢市上山口にある天台宗別格本山の寺院。山号は狭山山、寺号は不動寺。本尊は不動明王。
埼玉西武ライオンズが必勝祈願を行う寺として知られる。1975年(昭和50年) - 西武グループが各地のプリンスホテルを開発する際に、芝増上寺をはじめとする各地の文化財をこの地に集め、西武鉄道グループが、当時のオーナーであった堤義明と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として建立した。

出典:Wikipedia


増上寺から狭山不動尊(狭山山不動寺) に移築した石灯籠
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24 

◆灯籠とは      出典:Wikipedia

灯籠は仏教の伝来とともに渡来し、寺院建設が盛んになった奈良時代から多く作られるようになり、多くは僧侶が用いたとされる。平安時代に至ると、神社の献灯としても用いられるようになる。その後室内で用いるものは行灯(あんどん)、折りたたみ式で携帯も可能なものは提灯と分化した。

灯籠と言った場合、神社、寺院や旧街道などに多く存在する屋外の固定式を指すことが多い。また仏具としての室内用の灯籠(置灯籠・釣灯籠)や祭礼用などで移動可能なものもある(青森のねぷた祭り、熊本の山鹿灯籠など)。近代以前は港に設置され灯台(常夜灯)としても使用された。

灯籠はもともと仏像に清浄な灯りを献じるために仏堂などの前面に配置された。古代寺院においては、伽藍の中軸線上に1基置かれるのが通例だった。そのため、左右非対称の伽藍には灯籠の遺構は見られず、中軸線が確認できる伽藍においてのみ確認されている。これは平安末から中世における浄土寺院においても同様である。



日光東照宮の鉄灯籠(伊達政宗寄進、通称南蛮鉄灯籠)


上野東照宮の銅燈籠(東京都・国の重要文化財)


上野東照宮 石灯籠  出典:グーグルマップ・ストリートビュー 


世田谷区の実相院にある寛永寺にあった灯籠(両灯籠とも)
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2017-12-25



つづく