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 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

 ペルシャ絨毯

(Tehrān、イラン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、2020年7月31日公表予定
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ペルシャ絨毯
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 次はペルシャ絨毯です。

◆ペルシャ絨毯

概要


様々な季節の自然物が表現された伝統的なペルシア絨毯
Zereshk から en.wikipedia.org, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 ペルシア絨毯 は、伝統的にペルシアと呼ばれていた現在のイラン周辺で生産され続けている絨毯。ペルシア文化、芸術を代表する極めて優れた美術工芸品の一つで、その起源は紀元前の古代ペルシアにまで遡ることができます。床面の敷物だけでなく、壁飾りやテーブルクロスとしても用いられていました。

 ペルシア絨毯は大きく三つに分類されています。6×4 フィート超の「カーリ (Q?li )」、6×4 フィート以下の「カーリシュ (Q?licheh )」、そして「ゲリーム (Gelim )として知られる遊牧民の絨毯です。ゲリームには粗織りの絨毯を意味する「ジル (Zilu)」と呼ばれる絨毯も含まれます。

素材


手織り職人が使用する伝統的な道具。
Fabienkhan - Personal picture, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 ペルシア絨毯の素材としてもっとも多く使用されているのは羊毛ですが、綿も多く用いられています。羊毛は、コルクウール、マンチェスターウール、キャメルウールなど、様々な品種の羊からとられたものが使用されています。

 絹は羊毛に比べて高価で耐久性に劣り、古くなるにつれて価値が落ちていくため、絹だけで織られた絨毯はそれほど一般的ではありません。

 絹のペルシア絨毯は、その希少性と価値、そして耐久性の低さから、床の敷物ではなくタペストリのように壁飾りとして使用されることが多い。

デザイン

 16世紀、17世紀のペルシア絨毯には多くのバリエーションがあります。様々な地方で生産されていたことが多様なデザインを生み出すことにつながりました。また、共通するモチーフとして、唐草文様、アラベスク文様、忍冬文様 (en:palmette)、円形文様、幾何学文様などは、多くの絨毯に採用されています。

 人物文様は、イラン国内で流通する絨毯には良く見られるモチーフですが、輸出される絨毯ではそれほど採用されてはいません。

 産地ごと、あるいは家系ごとに様々なデザインが継承されており、それらの多くはシンプルで直線的な文様です。このような文様を絨毯に表現する際には、特別な下絵などを使用せずに職人の記憶や経験によって制作されることが多いと言えます。

 曲線で構成される複雑な文様の場合は、前もって用意された下絵のデザインと色調を絨毯のサイズに合わせて写し取っていきます。伝統的なデザインも時代とともに少しずつ変化しており、現在では下絵を絨毯のサイズにあわせて縮小あるいは拡大するために、コンピュータが使用されています。

歴史

 現存している最古の手織り絨毯として、アケメネス朝ペルシアで制作されたと見られる、古代文明パジリクで発見されたおよそ2500年前の絨毯があります。ペルシア絨毯の最初の記録は古代中国のもので、224年から651年のサーサーン朝ペルシア時代の記録であります。

 7世紀にイスラム教圏となるまで、ペルシアでは様々な王朝が勃興、衰退を繰り返し、ペルシア絨毯にも多くの変化がもたらされましたが、ペルシア絨毯の生産は途切れることなく続いていました。その後、13世紀のモンゴル帝国によるペルシア侵攻のためにペルシア絨毯は衰えていましたが、イルハン朝ペルシア、ティムール朝ペルシアのもと、ペルシア絨毯は再び発展してくことになります。

 ペルシア絨毯に使用される羊毛、絹、綿といった天然素材は、経年変化によって腐食し、朽ちてしまう。このため、考古学者たちの古代遺跡調査によっても、ペルシア絨毯に関する有益な発見がなされることは極めてまれです。

 古代からペルシアで手織りの絨毯が制作されていたことを示す証拠は、数点の磨りきれた絨毯の断片しか存在しません。このような断片からは、12世紀に全盛を迎えたセルジューク朝ペルシア以前のペルシア絨毯がどのような特徴を持っていたのかを判断することは、ほとんど不可能となっています。

ゾロアスター時代


紀元前5世紀頃のパジリク絨毯。現存する最古の絨毯である。
不明, パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 1949年に、シベリアのアルタイ山脈のパジリク古墳群から、考古学史上非常に貴重な絨毯が発見されました。この絨毯はスキタイ人の王族とみられる人物の墳墓から発掘されたものです。

 放射性炭素年代測定により、この絨毯が紀元前5世紀のものであることが判明しています。283×200センチメートル の絨毯で、1平方センチメートルあたり36の編目で制作されています。

 この現存する世界最古の絨毯と見られるパジリク絨毯の洗練された織物技術から、この芸術分野の進化と発展が長期にわたって蓄積されてきたことがわかります。絨毯中央部は深い赤に彩られ、周囲を巡る二本の縞模様部分にはシカとペルシア人騎手が表現されています。 このパジリク古墳群から出土した絨毯は、遊牧民族たるスキタイ人の手によるものではなく、アケメネス朝ペルシアで制作されたものだと考えられています。

 アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世はパサルガダエに王都をおき、その宮廷内は豪華な絨毯で飾り立てられていました。当時のペルシアとマケドニアは緩やかな同盟関係にあり、マケドニア王アレクサンドロス2世はキュロス2世の霊廟の飾りだった絨毯に目を奪われたという伝承があります。

 6世紀まで、羊毛や絹で織られたペルシア絨毯は歴代の王朝で発展し続けて行きました。サーサーン朝ペルシア国王ホスロー1世が織らせた有名な『春の絨毯 (en:Baharestan Carpet)』は、王都クテシフォンにあった王宮の主謁見室の装飾に使用されたものです。

 この『春の絨毯』は絹織りで、金、銀、貴石が使用された長さ140メートル、幅27メートルという大規模なもので、楽園のような華麗な庭園が表現されていました。その後637年にアラブのイスラム諸国に王都が占領されると、略奪された『春の絨毯』は小さく切り分けられて、戦利品として兵士たちに与えられました。また、タキディス王の玉座は一カ月間を表現した特別な30枚の絨毯と、四季を表現した絨毯で飾られていたいわれています。

イスラム教時代


ヴィクトリア&アルバート博物館が所蔵するアルダビール絨毯。
不明 - http://www.vam.ac.uk/page/a/ardabil-carpet, パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 8世紀にはアーザルバーイジャーン地方 (en:Azerbaijan (Iran)) が、ペルシア絨毯と粗織りの絨毯の一大産地でした。また、タバリスタン地方 (en:Tabaristan) は、租税として年間600枚の絨毯をバグダートのカリフの宮廷に納めていました。

 当時のペルシアの主要な輸出品は絨毯で、祈りを捧げるときに足元に敷く小さな絨毯の割合も多かったのです。さらに、ホラーサーン (Khorassan)、シースターン (en:Sistan)、ブハラなどの都市でもペルシア絨毯が制作されており、その優れたデザインとモチーフで需要が高かったと言えます。

 ルジューク朝ペルシアからイルハン朝ペルシアでも、ペルシア絨毯の制作は非常に活発に行われており、イルハン朝の第7代国王ガザン・ハンがタブリーズに建てたモスクは、豪華な絨毯で埋め尽くされており、絨毯の素材となる羊毛は、特別に飼育された羊からとられたものが使用されていました。

 ティムール朝ペルシアで生産された絨毯のデザインの多くが、装飾写本の挿絵であるミニアチュールをもとにしています。また、絨毯を織っている場面を描いたミニアチュールも現存しています。絨毯織り工房には、糸の染色工房が隣接していることも多かったのです。ペルシアにモンゴル帝国が襲来するまで、ペルシア絨毯の制作は大いに発展して行きました。

 この時代に制作されたペルシア絨毯でもっとも有名なものがサファヴィー朝ペルシアで織られました、現在ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館が所蔵する『アルダビール絨毯』 (en:The Ardabil Carpet) です。

 この絨毯は対として制作されたもので、もう1枚の『アルダビール絨毯』は、ロサンゼルス・カウンティ美術館が所蔵していまする。この『アルダビール絨毯』のデザインは無数にコピーされ、小さなものから原寸大のものまで様々な大きさの絨毯が制作されています。イギリス首相官邸に アルダビール絨毯 が飾られているほか、アドルフ・ヒトラーもベルリンにあった自身のオフィスに アルダビール絨毯 を所有していました。

 『アルダビール絨毯』は、1539年から1540年にかけて制作された。絹糸と羊毛が素材として使用され、1インチ四方あたり300から350の編目で織られており、10.5×5.3メートルの大きさの絨毯となっています。 Los Angeles County

現代


ルーヴル美術館に展示されているペルシア絨毯。
PersianDutchNetwork - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる
Source:Wikimedia Commons

 2008年にイランが輸出した手織りのペルシア絨毯の総額は4.2億米ドルで、これは世界の絨毯市場のおよそ30パーセントに相当する額です。

 イランで国内用と海外輸出用の絨毯産業に関係する人口はおよそ120万人ほどだといわれています。イランがペルシア絨毯を輸出している国は100カ国を超えており、手織りの絨毯の生産、輸出では世界最大の国です。これは全世界で生産される手織り絨毯の4分の3を占める規模であり、原油以外のイランにおける主要な輸出品となっています。

 生産されるペルシア絨毯の総面積は年間5,600万平方メートルほどで[、そのうちの80パーセントがイラン国外の市場で売買されています。しかしながら近年のペルシア絨毯は、伝統的なペルシア絨毯のデザインを模倣して安価な代用品を製造する、競合諸国との激しい競争にさらされているのが現状です。

 2001年に完成した、オマーンのスルターン・カブース・グランド・モスクに収められているペルシア絨毯の総面積は4,343平方メートルで、600人の職人が4年かけて制作したものでした。


イラン絨毯博物館1つづく