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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド1日目

ホテル近くの金曜モスク訪問
Bukhara to Samarkand by Train

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月22日  独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁  Copyright by T.Aoyama & K.Ikeda


◆まずはホテル近くの金曜モスクを訪問

 サマルカンドは、ティムール朝のホームグラウンドであると同時に、シルクロードの一大拠点でもあります。私たちが宿泊した四ツ星ホテルはサマルカンド旧市街のど真ん中にあり、私の部屋の窓からティムール朝の著明な建築物がよく見えます。

 下の航空写真は、宿泊先ホテル(最上部、ホテル・アジア・サマルカンド)からレビスタン広場(Registan Ensemble)までの経路です。ホテルはサマルカンドの住宅地の中にありますが、レギスタン広場は、そこからほんの200mほど南にありました。

 レギスタン広場周辺の正方形、長方形の区画はいずれも都市公園です。レギスタン広場は住宅地近くにある大きな公園の中にあることが分かります。


ホテルとレギスタン広場の位置関係
 出典:グーグルマップ

 下の航空写真は、もう少し広域を写したものです。地図の北(上側)にレギスタン広場同様、有名なティムールの妃のモスク、ビビ・ハニム・モスク(Bibi- Xonum)があります。やはり200m程の距離です。何と、宿泊先ホテルは、レギスタン広場とビビ・ハニム・モスクの丁度中間にあることが分かります。

 これは現地に来るまでおぼろげにしか分かっていませんでした。サマルカンドの主要部はすべて歩いて回れると言われていましたが、まさにその通りでした。


ホテルとレギスタン広場、ビビ・ハニム・モスクの位置関係
 出典:グーグルマップ

 早速ホテルから世界遺産であり世界的に有名な
レギスタン広場まで歩くことにしました。ホテルからレギスタン広場まではわずか数100mです。

 途中、ホテルのすぐ南に金曜モスクがありました。

 帰国後調べたところ、この金曜モスクは正式には、Kuk Mosque、Pastargom Str.、Samarqand と言うモスクであることが分かりました。クック・モスクとでもいうのでしょうか。

 グーグルマップにも名称が掲載されているので、サマルカンド中心部ではそれなりの格式を持ったモスクなのでしょう。  ウズベキスタンのモスクには、モスク(礼拝堂)以外に、ハウズ(池)、ミナレット(尖塔)の三点セットがあり、このセットを アンサンブルと呼んでいます。

 クック・モスクの入口の門は、以下の写真にあるようになかなか立派です。モスクには、ブハラで見たようにハウズ、すなわち池というか貯水池もありました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はハウズ(池)です。ブハラを含めこのハウズの規模はいろいろありましたが、構造はいずれも似ており、日本の管理型処分場のように通称、「犬走り」といわれる段々があります。下の写真を見れば構造は一目瞭然です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はハウズ(池)を背景にした池田です(笑い)。クック・モスクのハウズはかなり小規模なものでした。このハウズは、ウズベキスタン南東部の都市ブハラの旧市街の中心部にあるラビハウズという池を指しますが、その起源は17世紀にシャイバーニー朝の大臣だったナディール=ディバンベギにより造られています。今日では、ブハラに限らず、ウズベキスタン主要都市のモスクに併設されていることが多いようです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 モスクの建築様式は、下の写真にあるように、ブハラで見た多くの金曜モスクと類似していました。屋根を支える柱の構造もおなじです。支えにはラクダの皮が使われているのも同じです。

 ところで、モスク(英語:Mosque)は、イスラム教の礼拝堂のことを意味します。アラビア語ではマスジド(?masjid, 「ひざまずく場所」の意)といい、マスジドの訛った語で、イスラーム帝国がスペイン地方を占領したときマスジドがスペイン語でメスキータ(mezquita)となり、それが英語ではさらに訛ってモスク(mosque)となったようです。

 ドイツ語ではモシェー(Moschee)。中国ではモスクを清真寺(せいしんじ;清真はイスラム教の中国での通称)と呼んでいます。モスクは欧米や日本における呼び名であり、しばしばイスラーム寺院と訳されますが、モスクの中には崇拝の対象物はなく、あくまで礼拝を行うための場であると言えます。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 以下がその柱の基部です。ほぼ、ブハラのモスクと同じデザイン、構造となっています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 下はモスクの天井です。やはり幾何学模様のデザインがほどこしてあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 高さはそれほどではありませんが、立派なミナレットもありました。
 

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

◆ミナレット

 ミナレットは、モスクに付随し、礼拝時刻の告知(アザーン)を行うのに使われる塔です。ミナレットはトルコ語のミナレ (Minare) に由来する西欧諸言語による名称で、アラビア語ではマナールあるいはマナーラ といい、光(ヌール)と同一語根の語であることから光塔と訳されることもあります。南アジアではミーナールとも呼ばれる。

ミナレットの歴史

 起源については不明ですが、シリア地方のキリスト教の教会に付設されていた鐘楼を転用したとする説があります。また語源からシリア・エジプトの沿岸部にあった灯台や砂漠に立てられた目印の塔を起源とするとも考えられています。

 8世紀頃から壮大なものが建設されるようになり、イスラムの権威を象徴する建造物とみなされて盛んに立てられるようになりました。

 例えば、世界最大のミナレットであるデリーのクトゥブ・ミーナールはインドで初めてのイスラム王朝である奴隷王朝によって建てられ、マルウィヤ・ミナレットはアッバース朝のムウタスィムによって建てられ、オスマン帝国はコンスタンティノポリス(イスタンブル)の聖ソフィア大聖堂をモスクに転用した後、4本のミナレットを増築しています。

 現在では、集団礼拝のための集会モスク(ジャーミイ)には必ずミナレットが建てられるものとみなされていますが、ミナレットをもたないモスクも珍しいわけではありません。

構造

 ミナレットは構造から角柱型(シリア・北アフリカ)と円柱型(トルコ・イラン以東)に大別されます。

 多くは尖塔ですが、イラクでは螺旋状のものも見られます。円柱型の場合、直径はおおむね2 m程度で、内部は螺旋階段を持っています。

 先端は円錐構造となっており、塔の中間以上の部分にはアザーンの唱手の立つ柵付きの台が、ひとつもしくは複数あり、アザーンの詠唱はここで行われます。ただし、現在ではアザーンはミナレットに取り付けたスピーカーによる放送によっていることがむしろ普通です。

出典:Wikipedia

 このクック・モスクは金曜モスクです。以下に金曜モスクの解説を再掲載します。

◆金曜モスク

 モスクは都市の各街区、各村ごとに設けられていますが、都市の中心には金曜礼拝を行うための大きなモスクが置かれ、金曜モスクと呼ばれています。このようなモスクは、専任職員としてイマーム(導師)、ムアッジン(アザーンを行う者)を抱えています。

 特に大きなモスクは複合施設(コンプレックス)をともなっており、マスジド(ジャーミー)だけでなくマドラサ(イスラーム学院)も併設されたりしていることがあります。病院や救貧所のような慈善施設をともなう場合もあり、これらのモスク複合施設の維持・運営はワクフ(寄進財産)によって担われています。

 伝統的に、モスクは政府の布告を通達する役所、カーディーの法廷が開かれる裁判所、ムスリム(イスラーム教徒)の子弟に読み書きを教える初等学校(クッターブ)でした。また、小モスクは現在でも「無料人生相談所」とでも言うべき機能を持っており、近隣に住むイスラーム法の知識をもった人物が、人生相談に対してイスラーム法に基づいて助言・回答などを与える場所として活用されています。

出典:Wikipedia

 なお、後日、調べたところ、この金曜モスクの祈りの時間は以下の通りです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 

つづく