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   ウズベキスタン現地予備調査
サマルカンド1日目

アミール・ティムール廟
(グーリ・アミール廟)
Amir Temur maqbarasi (Go'ri Amir)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月22日  独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁  Copyright by T.Aoyama & K.Ikeda


◆アミール・ティムール廟(グーリ・アミール)
  Amir Temur maqbarasi (Go'ri Amir)


 私達はルハバッド廟を後にティムールの廟そして墓でありますアミール・ティムール廟に向かいました。

 下の衛星写真にルハバット廟とアミール・ティムール廟の位置関係を示します。アミール・ティムール廟はルハバッド廟のすぐ南にあることが分かります。


出典:グーグルアース
 
 下の写真はウズベキスタン大使館にビザをもらいに行ったときにいただいた写真集の中にあったグーリ・アミール廟 の写真です。グーリ・アミール廟は、アミール・ティムール廟の別の呼び方です。


サマルカンドのアミール・ティムール廟    出典:ウズベキスタン大使館配付資料

 下はアミール・ティムール廟の入口近くにあったウズベック語と英語が併記されたアミール・ティムール廟の案内板です。ミール・ティムール廟、14世紀から15世紀とあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 
以下はアミール・ティムール廟の概要です。

◆アミール・ティムール廟の概要

 グーリ・アミールはペルシア語で「王の墓」を意味する。青いドーム状のこの建築物の中にはティムールと彼の息子であるシャー・ルフやミーラーン・シャー、孫のウルグ・ベクとムハンマド・スルターンの墓があります。

 アミール・ティムール廟にはティムールの師であったサイイド・バラカも眠っています。

 アミール・ティムール廟で最初に建設された部分は14世紀末にムハンマド・スルタンの命により建設されました。

 現在ではマドラサとハーンカー(修道場に相当)、入口部分と建物の周囲にあるミナレットのみが現存しています。

 アミール・ティムール廟の建築自体は1403年にティムール最愛の孫であり、王位継承者であったムハンマド・スルターンが突然の死を迎えた後に始まりました。

 ティムールはシャフリサブスにあったアクサライ宮殿の付近に自身の小さな墓の建設を開始しました。しかし、ティムールは1405年の中国への軍事遠征の途上で死亡しました。シャフリサブスへの道は雪で閉ざされていたため、代わりに現在グーリ・アミール廟のある位置に埋葬されました。

 ティムールのもう一人の孫であったウルグ・ベクはこの仕事を完遂しました。ウルグ・ベクの治世において、アミール・ティムール廟はティムール朝の家族の玄室となっています。



 下はアミール・ティムール廟の外で撮影したものです。大使館で頂いたパンフレットにありますアミール・ティムール廟とは角度が異なっています。廟と私達の間には多数の石棺が残雪のなかにあります。またここからは2つのミナレットが見られます。


アミール・ティムール廟にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1


アミール・ティムール廟にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 いずれにせよ、ウズベキスタンに来た外国人は一度はこのアミール・ティムール廟を訪れることになります。いつものように、正面入って左側で入場料(拝観料)をお支払いしアミール・ティムール廟に入ります。

 アミール・ティムール廟には私達と同時にたくさんのおそらくウズベキスタン人の人々が廟の中に入って行きました。

 下の写真にある大きな門は、イーワーンと呼ばれる建築物です。これについて後述します。


アミール・ティムール廟にて
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


アミール・ティムール廟にて
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-3-1
 
 これは、ウズベキスタン大使館で頂いたパンフレットの表紙にある荘厳な門です。これをくぐります。


ウズベキスタン大使館で頂いたパンフレットの表紙
 出典:ウズベキスタン大使館配付資料


 このアミール・アミール廟は、中央アジアの覇者、ティムール朝建国者であるティムールとその家族の霊廟であり、後の時代に建設されたデリーにあるフマーユーン廟やアーグラにあるタージ・マハルのような素晴らしいムガル建築の礎を築くこととなっています。

 テュルク・ペルシア建築史上の重要かつ最高の建築物です。


つづく