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サマルカンド1日目

アクサライ廟
Aksaray mausoleum

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年3月22日  独立系メディア E−wave Tokyo
無断転載禁  Copyright by T.Aoyama & K.Ikeda


 実は、アミール・ティムール廟の南東30mのところにアクサライ廟がありました。アクサライ廟 (15世紀)は修復が行われていませんが、アミール・ティムール廟の裏の静かな通りにあります。

 このアクサライ廟はアミール・ティムール廟、ルハバッド廟が互いに非常に近い位置関係にあることから3つでひとつの建築物と考える者もいます。

 すでに見てきましたようにルハバッド廟(14世紀)は小規模な廟であり、イスラム教の預言者ムハンマドの頭髪が納められているのがルハバッド廟であり、このルハバッド廟の中にある1階建てのメドレセには現在は工房があります。そのメドレセに隣接する形で機能的なモスクがあります。

 アクサライ廟、アミール・ティムール廟、ルハバッド廟は3つの廟が並ぶことで美観を提供しているといえます。

出典:グーグルアース


アクサライ廟

 アクサライ廟 (Aksaray mausoleum) は、サマルカンドにある霊廟でアミール・ティムール廟のすぐ隣に位置しています。最短距離で約30mの近さにあり増す。

 アクサライ廟は15世紀、ティムール朝の時代に建設されたと考えられています。


アクサライ廟  出典:Wikipedia

歴史

 アクサライはテュルク語で白い宮殿を意味します。アクサライ廟が建設された正確な日付とその目的に関する歴史的な情報は不明です。ソビエト連邦時代に歴史学者、考古学者、東洋学者のミハイル・マッソンはアクサライ廟が建設された目的はマー・ワラー・アンナフルを支配し、アミール・ティムール廟に埋葬されていないティムール朝第5代君主のアブドゥッラティーフのためであるという仮説を立てています。


アクサライ廟  
Sopurce:http://www.pagetour.org/samarkand/Gur-Emir/Gur-Emir_12.htm

 また、アクサライ廟の建築物としての特徴とその内装は同じ15世紀の70年間に建設されたと考えられているイシュラトハナと似通ったものとなっています。

 現代においては、アクサライ廟はアブー・サイードの男子の子孫を埋葬する場所として使用されていたと考えられています。

 アクサライ廟は20世紀までにその形を大きく崩していたため、修復作業が行われました。1924年から1925年にかけて修復作業が行われ、ほぼ原型に近い形にまで修復されています。

 21世紀直前になり、アクサライ廟はティムール朝時代に建設されたその他のサマルカンドの建築物と共にUNESCOの世界遺産に登録されています。

 2007年、アクサライ廟は寄付による修復作業が行われ、観光客に公開されました。

建築

 アクサライ廟の内部には十字型のメインホールのほか3つの部屋があります。

 メインホールは天井部分が円筒状のドームになっており、4隅にある穹隅で支える構造となっています。

 地下へと続く狭い羨道は埋葬者不明の大理石で造られた八角形の墓へと続いています。建物の外装は華美な装飾が施されている内装とは対照的に簡素なものとなっています。基礎部分となる壁の内装はモザイク状になっています。壁やドームには金をふんだんに使用した装飾がなされています。


 この後、私たちは来た道をホテルに戻りました。途中、レギスタン広場のところでお見せしました2頭の金色のライオン(トラかな)の像を見ました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 明日は、朝からホテルの近くにありますビビ・ハニム・モスクから視察を始めます。


サマルカンド2日目につづく