ロシアの新しい外交政策、 プーチン ドクトリン ロシアのNATOとの対立は 始まりに過ぎない セルゲイ・カラガノフ著(1) Russia’s new foreign policy, the Putin Doctrine Moscow’s confrontation with NATO is just the start Sergey Karaganov: RT Feb.23 2022 翻訳:池田こみち(環境総合研究所顧問) 独立系メディア E-wave Tokyo 2022年3月1日 |
2022年2月21日、モスクワのクレムリンで行われた国民への演説をするロシアのウラジーミル・プーチン大統領。© AFP / Alexey NIKOLSKY 著者:セルゲイ・カラガノフ教授 (ロシア外交防衛政策評議会名誉議長、モスクワ高等経済学校国際経済・外交学部学術指導教官)ロシア外交防衛政策評議会名誉議長、モスクワ高等経済学校国際経済・外交学部学術指導教官 エントランスへはここをクリック (1) (2) (3) (4) <本文> ロシアは外交政策の新時代に入ったようだ。西側との関係におけるこれまでのモデルの「建設的破壊」とでも言おうか。この新しい考え方の一部は、2007年のウラジーミル・プーチンの有名なミュンヘン演説を皮切りに、この15年間で見られるようになったが、多くは今になってようやく明らかになりつつあるところである。同時に、執拗なまでの防衛的態度を維持しながら、西側システムへの統合に対するやる気のなさは、ロシアの政治とレトリックにおける一般的な傾向として残っている。 建設的破壊は攻撃的でない。ロシアは、誰も攻撃しないし、爆破するつもりもないと主張している。その必要がないのだ。外の世界はロシアに、中期的な発展のための地政学的な機会をそのままどんどん与えてくれる。一つの大きな例外を除いては。NATOの拡張とウクライナの正式または非公式な包囲は、ウクライナの安全保障にとってモスクワが単純に受け入れないリスクとなる。 今のところ、西側諸国は、内政、外交、そして経済の面でも、ゆっくりとではあるが必然的に衰退していく道を歩んでいる。そして、これこそが、500年近く世界の政治、経済、文化を支配してきた西側が、この新たな冷戦を始めた理由なのである。特に、1990年代から2000年代半ばにかけての決定的な勝利の後に、である。私は,[1]それが負ける可能性が最も高く,世界のリーダーとしての地位を退き,より合理的なパートナーになると考えている。そして、それは決して早すぎるということはない。ロシアは、友好的ではあるが、ますます強力になっていく中国との関係のバランスをとる必要があるだろう。 現在、欧米は攻撃的なレトリックで必死にこれを防ごうとしている。この流れを覆すために最後の切り札を駆使して固めようとしているのだ。そのひとつが、ウクライナを利用してロシアにダメージを与え、去勢しようとすることだ。こうした発作的な試みが本格的な膠着状態に変容するのを防ぎ、現在の米国とNATOの政策に対抗することが重要だ。それらは、首唱者たちにとっては比較的きつくないものの、逆効果で危険なものである。我々はまだ、西側諸国が自らを傷つけるだけであることを納得させるに至っていない。 もう一つの切り札は、冷戦後ロシアが著しく弱体化した時期に確立された既存のユーロ・アトランティック安全保障システムにおける欧米の支配的な役割である。このシステムに参加せず、本質的に自分たちに不利な時代遅れのルールに従うことを拒否することを中心に、このシステムを徐々に消していくことにメリットがある。 ロシアにとって、西側路線はユーラシア外交の二の次であるべきだ。大陸西部の国々と建設的な関係を維持することは、ロシアにとって大ユーラシアへの統合を容易にする可能性がある。しかし、旧体制は邪魔なので、解体されるべきである。 新しいシステムを構築するための重要な次のステップは、そのような新しいシステムを構築することである。 「新しいシステムを作るための重要な次のステップは(古いシステム を解体することは別として)「国土の統一」である。それは、モスクワ にとって必要なことであり、出来心や気まぐれではない。」 もっと時間があればいいのだが。しかし、歴史を見れば、30年前にソ連が崩壊して以来、ポスト・ソ連の国々が真の意味で独立できた例はほとんどない。そして、さまざまな理由から、そこに至ることさえできない国もあるかもしれない。この点については、今後の分析課題である。今、私が指摘できるのは、ほとんどの現地のエリートが国家建設の歴史的・文化的経験を持っていないということである。 彼らは国家の中核になることができなかった。そのための十分な時間がなかったのだ。知的・文化的な共有空間が消滅したとき、小国は最も大きな痛手を受けた。欧米との関係を構築する新たな機会は、その代わりにはならないことがわかった。そのような国の舵取りをすることになった人々は、自分たちの利益のために国を売ってきた。戦うべき国家理念がなかったからだ。 そのような国の大半は、バルト三国のように外部からの支配を受け入れるか、あるいは暴走を続け、場合によっては極めて危険な状態に陥るかもしれない。 問題は、ロシアにとって最も効率的で有益な方法で諸国を「統合」するにはどうすればよいかということである。勢力圏を合理的な限界を超えて拡大し、ロシアの中核的な人々を犠牲にして統合を維持した、帝政およびソ連の経験を考慮に入れればよいのである。 歴史が強要する「統一」についての議論は、また別の日にしよう。今回は、厳しい決断を下して「建設的破壊」政策を採用する客観的な必要性に焦点を当てよう。 ■私たちが通ってきた重要な出来事(マイルストーン) 今日、私たちはロシア外交の第4の時代の幕開けを目の当たりにしている。最初の時代は1980年代後半に始まり、弱さと妄想の時代であった。国家は戦う意志を失い、人々は民主主義と西側がやってきて自分たちを救ってくれると信じたがっていた[2]。(しかし、)NATOの拡大が始まった1999年、西側諸国がユーゴスラビアに残ったものを引き裂いたとき、それは、ロシア人からは裏切り行為とみなされ、すべてが終わったのだ。 そしてロシアは、友好的で謙虚な姿を見せながら、こっそりと密かに、膝から立ち上がり、再建を開始した。アメリカがABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)を脱退したのは、再び戦略的優位を取り戻そうという意思表示であり、まだ破たんしていないロシアは、アメリカの願望に挑戦する兵器システムを開発するという運命的な決断をしたのである。 ミュンヘン演説、グルジア戦争、陸軍改革は、世界的な経済危機の中で行われ、西側自由主義のグローバリズム(国際問題の著名な専門家リチャード・サクワの造語)の終焉を告げ、ロシアの外交政策の新しい目標-主権と利益を守れる世界の主要国に再びなること-を示すものだった。その後、クリミア、シリアでの出来事、軍備増強、西側によるロシアの内政干渉を封じ、西側と組んで祖国に不利益をもたらす者を公職から根絶やしにし、それらの動きに対する西側の反応を巧みに利用するなどしている。 中国の驚異的な台頭と2010年代からの北京との事実上の同盟関係、東方への軸足、そして西側を包む多次元的な危機は、政治的・地経学的(Geoeconomic)バランスをロシアに有利にする大きな転換をもたらした。これは特に欧州で顕著である。わずか10年前、EUはロシアを、大国と争おうとする後進的で弱い大陸のはみ出し者だと見ていた。今は、指の間からすり抜けつつある地政学的・地経学的な自立性/独立性に必死にしがみつこうとしている。 「偉大さへの回帰」の時期は2017年から2018年頃に終わった。その後、ロシアはプラトーに陥った。近代化は続いたが、経済の低迷がその成果を否定しかねない。人々は(私も含めて)、ロシアが再び「もうちょっとで勝てる最後のところで、負けてしまう」ことを恐れ、苛立ちを感じていた。しかし、それは結局のところ、防衛力を中心としたもう一つの増強期でもあったのだ。 「ロシアは前進しており、今後10年間は戦略的に比較的無防備で、 自国の利益範囲内の地域で紛争が発生した場合には「エスカレ ーション・シナリオで優位に立つ」ことができるようにしているので ある。」 2021年末にロシアが米国とNATOに出した、ロシア国境付近の軍事インフラ整備と東方への拡張の中止を求める最後通告は、「建設的破壊」の始まりとなった。その目的は、単に西側の地政学的な推進力という、実に危険な慣性(イナーシャ)であっても、単に(NATOの)旗を立てることを止めるだけでなく、1990年代に決着したものとは異なる、新しい種類のロシアと西側の関係の基礎を築き始めることである。 ロシアの軍事力、道徳的正義感の復活、過去の失敗から得た教訓、中国との緊密な同盟関係は、敵対者の役割を選んだ西側が、常にとは言わないまでも、理性的になり始めることを意味するかもしれない。そして、10年後、あるいはもっと早い時期に、今度は大ユーラシア全体を含む、国連の原則と国際法に基づく新しい国際安全保障と協力のシステムが構築され、ここ数十年西側が世界に押し付けようとしてきた一方的な「ルール」ではなくなることを期待したいものである。 (2)へつづく |