エントランスへはここをクリック   

第3回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2013-6
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune

初夏のアマルフィ海岸を行く
 6日目

学術探査:ミノーリのヴィッラ・ロマーナ(2)

    青山貞一・池田こみち 環境総合研究所顧問
2013年6月14日

 
独立系メディア E-wave Tokyo  無断転載禁

学術探査アマルフィ海岸 ヴィッラ・ロマーナ アマルフィ海岸に戻る
 その(1)  その(2)  その(3)  その(4)  その(5)  その(6)

 2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー>



    
アマルフィの位置    ミノーリの紋章  イタリア国旗

◆ミノーリのヴィッラ・ロマーナ(2) 建築物全体

 ここで、ヴィッラ・ロマーナについて、その概要を紹介しましょう!

◆ヴィッラ・ロマーナ(Villa Romana)

 下の地形図が示すように、狭い渓谷など地形的にミノーリは北風から守られるため、古代ローマ時代から別荘を建造する上で理想的な場所と考えられていました。


アマルフィ海岸コムーネの位置図  Source:Google Map

 これはミノーリだけでなく、マイオーリ、ポジターノ、リガリ、ヴィエトリマーレ、チェターラでも同じです。その狭い谷にはローマ帝国時代多くの別荘が造られたのです。

 ローマやナポリなどの大都市のローマ人は休暇をミノーリなどで過ごし、さらにポンペイなどの別荘地で過ごしていたと思われます。

 ヴィッラ・ロマーナを持つ人々は、かなりの財政力と文化それにハイレベルのグルメ人であったことが想像されます。

 ミノーリの考古学博物館では、往時の別荘の複雑な構造やすばらしい装飾品を多数見ることが出来ます。

 海のレベルに建てられた別荘、そのレベルの下の階にある玄関など、また海に向かって開かれた大きなプール、これらは計画的に造られたものであることを示しています。さらにヴィッラ・ロマーナの居室の床には、温水が供給されていたことも分かっています。

 今から2000年近くも前にこのような施設が存在していたこと自体、驚きといえましょう。

 しかし、近くにあるポンペイ遺跡を見れば、当時のまちづくりの秀逸さはうなずけるものがあるといえます。

 ポンペイとミノーリを比較した場合、下の図にあるようにミノーリはヴェスビオ山大噴火の影響範囲内にあるもののポンペイに比べればはるかに少なかったと推察されます。


ヴェスビオ山大噴火の影響範囲 L'eruzione del 79 d.C.

 下はヴェスビオ山大噴火のときのポンペイです。


ヴェスヴィオス大噴火イメージ図  
Source:Da Wikipedia, l'enciclopedia libera.



  ミノーリに残ったローマ時代のヴィッラ・ロマーナ(Villa Romana)には、2500平方mに及ぶ豪邸があります。そこには広大な中庭そして食堂、ダンスホール、噴水、狩りの様子など、当時のローマ時代の貴族の家と生活が偲ばれます。

 それらの構造物、建築物のうち居室の壁などにはモザイク絵画があり、また厨房やダイニングには水差し、瓶、壷などが古代ローマ時代の建築と様式を博物館で見ることができます。

 下は考古学博物館のすぐ隣にあるヴィッラ・ロマーナの半地下の住宅の遺跡です。見たところ、構造物は破壊されておらず、ほぼ往事のままの姿が残っています。ヴィッラ・ロマーナの特徴は大きな中庭があり、その周りを住居(部屋)が囲んでいる構造にあります。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6

 下は中庭の芝生です。


ヴィッラ・ロマーナ(Villa Romana)
Source:Wikipedia Italiano


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6

 下はヴィッラ・ロマーナの平面図です。上の写真は主に A,C, D を示しています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6

 下ノ図面は上の平面図とほぼ同じものです。


The Roman Villa of Minori
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-6-6


ヴィラ・ロマーナ(3)へつづく