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恐山宇曽利湖と菩提寺


@恐山と宇曽利湖
 
青山貞一池田こみち
環境総合研究所(東京都目黒区)

掲載日:2014年5月26日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


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文責・青山貞一

 青森県下北半島と言えば、全国的に恐山が有名である。しかし、聞いていただけで今まで一度も恐山に行ったことが無かった。


出典:下北ナビ

 調べれば、恐山は下北半島の中央部に位置する「外輪山」であり霊場である。また、霊場内に数種類の温泉が湧き、湯治場としても利用されている。下北半島国定公園に指定されており標高は878mある。

 その「恐山」は、カルデラ湖である宇曽利湖(うそりこ)を中心とした外輪山の総称であり、外輪山には釜臥山、大尽山、小尽山、北国山、屏風山、剣の山、地蔵山、鶏頭山の8つの峰がある。「恐山」という名称の単独峰はないのだ。

 火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴であるという。

 下の地形図を見ると、上記がよく分かる。宇曽利湖の周りを8つの外輪山が取り囲んでいる。


恐山周辺の地形図  湖は宇曽利湖その周りが外輪山である
 グーグルマップ地形図

 恐山は霊場であり、お寺がある。お寺の名は菩提寺である。

 本坊はむつ市田名部にある曹洞宗円通寺である。円通寺はかの斗南藩が藩庁を置いた寺である。 本尊は地蔵菩薩である。

 恐山は、地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られており下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。

 2014年5月18日、午前8時半、宿泊先の矢立温泉を車で出発した私達は、恐山に向かうため宿泊先の主人に教えられた道を30分ほど行く。  

 途中は山林ばかりだったが、突如,下の写真にある木製の構造物に出会った。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

 そうこうしているうちに、約30分で恐山のカルデラ湖、宇曽利湖(うそりこ)に到着した。日曜日だというのに、まだ朝早いせいか、ほとんど人影がない。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

 
下が宇曽利湖(うそりこ)である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

 
車を降りる。 湖畔に赤い太鼓橋がある。登り下りの傾斜はかなりきつい。


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400 2014-5-18


撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S6400 2014-5-18


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

 赤い太鼓橋のそばに「三途川」(さんずのかわ)の標識がある。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

◆三途川(さんずのかわ、さんずがわ)

 伝説上の川。また群馬県や千葉県などにある実際の川は、この伝説にちなんで名付けられた。
土佐光信画『十王図』にある三途川の画。善人は川の上の橋を渡り、罪人は悪竜の棲む急流に投げ込まれるものとして描かれている。左上には、懸衣翁が亡者から剥ぎ取った衣服を衣領樹にかけて罪の重さを量っている姿が見える。此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川。一般的に仏教の概念の1つと思われがちだが、実際は仏教に民間信仰が多分に混じって生まれた概念である。

 三途川の起源は『金光明経』の「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である。この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい、これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる。しかしながら俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)による。

出典:Wikipedia

 太鼓橋の近くに「奪衣婆と懸衣翁」があった。

 三途の川の解説を見ると、「奪衣婆と懸衣翁」があるので、おそらくセットになっているのだろう。

 このあたりから何となく、恐山がなぜ、恐山とよばれるかを感じることになる。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

◆奪衣婆

奪衣婆(だつえば)は、三途川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼。脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆(しょうづかのばば)姥神、優婆尊とも言う。奪衣婆が剥ぎ取った衣類は、懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられる。

衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。俗説ではあるが、奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もある。江戸時代末期には民間信仰の対象とされ、奪衣婆を祭ったお堂などが建立された。民間信仰における奪衣婆は、疫病除けや咳止め、特に子供の咳止めに効き目があるといわれた。

◆懸衣翁

懸衣翁(けんえおう)とは、死後の世界の三途の川のほとりにある衣領樹(えりょうじゅ)という木の上、または川辺にいる奪衣婆の隣にいるといわれる老人である。奪衣婆と共に十王の配下で、奪衣婆が亡者から剥ぎ取った衣類を衣領樹の枝にかけ、その枝の垂れ具合で亡者の生前の罪の重さを計るとされる。

罪の重い亡者は三途の川を渡る際、川の流れが速くて波が高く、深瀬になった場所を渡るよう定められているため、衣はずぶ濡れになって重くなり、衣をかけた枝が大きく垂れることで罪の深さが示されるのである。また亡者が服を着ていない際は、懸衣翁は衣の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るという。

出典:Wikipedia

 恐山だが、伝承によれば、その開山は貞観4年(862年)という。貞観と言えば、貞観津波が有名だが何と1153年も前となる。

 霊山の開祖は天台宗を開いた最澄の弟子である円仁(慈覚大師)であるという。

 文化7年(1810年)再刊の『奥州南部宇曽利山釜臥山菩提寺地蔵大士略縁起』によれば、円仁が唐留学中に 「汝、国に帰り、東方行程30余日の所に至れば霊山あり 地蔵大士一体を刻しその地に仏道を広めよ」という夢告をうけたという。

  円仁はすぐに帰国後、夢で告げられた霊山を探し歩いた末、下北半島の 恐山にたどり着いたといわれれている。

 霊山の恐山には地獄をあらわすものが108もある。108と言えば除夜の鐘の数と同じだ。

 108のすべてが夢と符合するので、円仁は6尺3寸の地蔵大士(地蔵菩薩)を彫り、 本尊として安置したとされている。

 宇曽利湖は静穏で、ほとんど波も無く、なかなかすばらしい自然景観だ。


◆火山としての恐山

 恐山には史料に残された噴火記録はなく、地質調査の結果からも、最後の噴火は1万年以上前と見られている。しかし、カルデラ内の一部には水蒸気や火山性ガスの噴出が盛んで、気象庁が2007年12月1日より開始した「噴火災害軽減のための噴火警報及び噴火予報」の対象になっている。

 ただし、現在のところ、噴火警戒レベルを導入した16火山には含まれていない。

 温泉沈殿物として金の異常濃集体が発見されており、2007年、日本の地質百選に選定された(「恐山の金鉱床」)。地質調査によると、その金の含有量は鉱石1トン当たり平均約400グラム、場所によっては6500グラムにも達し、世界でも最高の品質を誇る金の鉱脈である。

 ただし、この一帯は国定公園に指定されている上、土壌には高濃度の砒素が含まれていて、ここの地面を掘れば作業者の生命にも危険が及ぶため、商業目的の金の採掘は不可能とされている。

 恐山の「地獄」付近には火山性ガス(亜硫酸ガス)が充満していて特有の硫黄臭が鼻を突く。注意が必要である。

出典:Wikipedia


出典:菩提寺  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-5-18

つづく