■秋の信州街道と秘湯の旅 @田代湖と鹿沢高原 A鹿沢温泉と新鹿沢温泉 B信州街道と万騎峠 Cかやぶきの郷、薬師温泉・旅籠 12日の午後、休暇村 鹿沢高原からさらに鹿沢、湯の平方向に行う。以下の地図では、鹿沢高原キャンプ場からAの鹿沢温泉を通り、信州湯の丸スキー場に向かった。 湯ノ丸峠、鹿沢高原一帯の地図 Aが鹿沢温泉 湯ノ丸峠、鹿沢高原一帯の地形図 Aが鹿沢温泉 途中、下の写真にある「たまだれの滝」という看板に出会った。たまだれの滝は、県道94号線と桟敷山の間で道路沿いに位置している。 結局、時間の関係で「たまだれの滝」までは行かなけなかったのだが、道沿いにすばらしく透明度の高い池があった。ここで、しばし静寂と水を体感、堪能する。人間にとって水と空気が清浄であることはこの上なく大切であることを実感する。 こんな綺麗な水にはなかなかお目にかかれないほどの水であった。 たまだれの滝の案内板 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 たまだれの滝が流れ込む池。透明度は抜群! 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 たまだれの滝が流れ込む池。透明度は抜群! 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 たまだれの滝周辺はこんな深い山奥! 下に吾妻屋が見える。 たまだれの滝の周辺。1800−2100mの山脈が連なる 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 冒頭に書いたように今回は、時間の関係もあり、たまだれの滝までは行かないことにし、滝そのものは次回におあずけとする! この後、「たまだれの滝」から鹿沢温泉を通過し、湯の丸高原まで行く。 途中、下の写真にあるような白樺の林やすばらしい自然景観に出会う。 湯ノ丸高原近くの白樺の林 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 湯ノ丸高原近くの白樺の林 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 「湯の丸」峠にはスキー場があり、冬には廃ったとは言え、スキー目当てで学生や若者が来るらしい。実際、芝浦工業大学、東京工業大学などスキー合宿目的の大学の宿泊施設がたくさん見受けられた。 おそらく冬季にこの湯の丸地域は若い人でにぎわうんだろうが、夏から秋は単なる峠の駐車場にすぎない場所だ。ここで湯の丸峠から鹿沢に向かって引き返し、温泉に入る。 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 「湯の丸」には鹿沢温泉を目当てで行ったのだが、残念ながらいわゆる鹿沢には日帰り温泉はほとんどない。全体の数も非常に少ない。 そこで、「新鹿沢温泉」で我慢することにした(笑い)。 途中、多数の道祖神にあう。下は第84番の千手観音。 湯の丸から鹿沢には多数の道祖神があった。 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 湯の丸から鹿沢には多数の道祖神があった。 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 鹿沢温泉でもらったパンフレットに、道祖神の解説があった。何でも百体の観音像があり、そのうち81番から100番が鹿沢にあるとのこと。上の写真は84番の観音像である。 出典:鹿沢温泉郷を紹介するパンフレット 新鹿沢では「鹿沢館」など数件が日帰り温泉をしていた。結局、もたもたしているうちに時間が過ぎ、「鹿沢館」の日帰り入浴にぎりぎり間に合った。ギリギリ間に合ったという意味は、午後5時までした日帰り客には温泉を開放していなかったためだ。 とはいえ、新鹿沢温泉は鹿沢温泉からの引湯だという! 日帰り入浴した新鹿沢の鹿沢館 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 ※ 新鹿沢「鹿沢館」のWeb ※ 「鹿沢館」の温泉分析表 撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 「鹿沢館」の温泉質は源泉掛け流しで温度も43度以上ある本格的な温泉である。 私たちが入った時は、他の客はまったくおらず、男湯、女湯ともに貸し切り状態となった。ラッキーである! 日帰り入浴料金は大人一人500円である。 下のパンフを見ると、新鹿沢には12ほどの温泉がある。 出典:鹿沢温泉郷を紹介するパンフレット なお、鹿沢温泉は日本で最も古い温泉の一つとのことだ。以下は、信州加沢郷薬湯縁起からの一節。 「孝徳天皇、白薙元(650)年に、里人、信州の加沢というところの山峯より、光明さすをあやしみ、そこの煙にしたがい来てみると、熱湯が地より湧出を見る。さらに聞えけるは『われ東方薬師如来なり、されば一切衆生老病死の四苦あり、其の苦しみをたすけ、寿命長穏の薬をあたへ、現世の身心をやすらかにせしめ、困苦をすくい処に至らしめんために、薬師の号を得たり』」 明治四十四年の浴客数は、男性三千人、女性二千人、の計五千人。大正時代には客数も増え、十二年ごろには男性約七千六百人、女性約五千六百人。このように湯治場として発展していったのですが、大正七年の火事で温泉街は壊滅。その後引湯管を整備して、旅館は一軒を残して現在の新鹿沢温泉の場所に移転しました。これが新鹿沢温泉です。 上記、黄色部分の出典:軽井沢日記 ということで、軽井沢日記から鹿沢温泉そして新鹿沢温泉の成り立ちも分かった。引湯している理由もよく分かった次第である!
つづく ■秋の信州街道と秘湯の旅 @田代湖と鹿沢高原 A鹿沢温泉と新鹿沢温泉 B信州街道と万騎峠 Cかやぶきの郷、薬師温泉・旅籠 |