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 <初秋の信州街道と秘湯探訪C>
「かやぶきの郷
薬師温泉・旅籠」

青山貞一
 2008年9月18日
転載禁

■秋の信州街道と秘湯の旅
 @田代湖と鹿沢高原
 A鹿沢温泉と新鹿沢温泉
 B信州街道と万騎峠
 Cかやぶきの郷、薬師温泉・旅籠

 こうして9月13日、わたくしたちは以前から気になっていた上州の秘湯、薬師温泉に向かい午前11時過ぎに、やっとのことで国道406号線にぶつかった。ここから薬師温泉は近いはずだ。
 
 そして薬師温泉に到着した。


撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 ここであらかじめ草津温泉でもらったカラーパンフレットにあった「かやぶきの郷、薬師温泉旅籠」を目指す。アチコチに看板があるので、すぐに目的地に到着した。

 薬師温泉旅籠正式な地番は、群馬県吾妻郡東吾妻町本宿である。私たちの別荘も群馬県吾妻郡にあるが、薬師温泉までは同じ吾妻郡で最も遠いようだ。


「かやぶきの郷」の位置
出典:かやぶきの郷、薬師温泉旅籠のパンフより

 「かやぶきの郷、薬師温泉、旅籠」は、本物のかやぶきの農家を全国各地から集めた今流に言えば、テーマパークだが、本業はあくまで温泉付きの宿泊(宿=旅籠)である。

 パンフでは、「かやぶきの郷、薬師温泉、旅籠」について次のように書いてある。

 かやぶきの郷、薬師温泉、旅籠は、上州吾妻にある浅間隠山の山懐に抱かれた静かな一軒宿です。この地に二百余年前より自噴する天然温泉を懐かしい古民具の数々...旅装をとき、ゆるやかに流れる時感を心ゆくまでお楽しみ下さい。

 今回私たちは、あくまで日帰り湯コースで来たのだが、実際、「かやぶきの郷」に入って分かったことある。それは、ここの施設はどれもこれも本物であることだ。そして管理が非常に行き届いている。さらに従業員の誰もが徹底的に客に対する訓練を受けていることだ。

 「かやぶきの郷」は、@宿泊客以外に、A施設見学者、B施設見学+日帰り温泉入浴者の区分がある。私たちはBの施設見学+日帰り温泉入浴者として入園した。大人は一人当たり1200円である。ちなみにAは500円である。ホームページにある関連サイトに割引券があり、それを持参すると1200円が1100円と、100円割引される。

 「かやぶきの郷」は、秘境の秘湯にふさわしい山奥にあり、自然と調和している。こんな温泉、宿泊施設今まで見たこともない! すばらしいの一言である! 実際、インターネットのWebで公開されている利用客のコメントをみてもこのことはよく分かる。

 ひとり一泊2万5千円前後でありながら、客は一様にここの施設、温泉となによりももてなしを高く評価しているからだ。


入り口。長屋門
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


 ↑は入り口、エントランスである。パンフでは長屋門と称している。長屋門は合掌茅切妻造で東北地方の庄屋や豪農の家を百年以上も支えてきた古材を主軸に組み合わせて造られている。この長屋門が「かやぶき郷」の玄関口である。屋根の長さは約26m、棟木までの高さは約9m、木造2階建てである。


入り口。長屋門の反対側
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 ↓は「かやぶきの郷」の全体構成立体地図。敷地全体は傾斜地にあり、かやぶきの家と家を枕木の回廊がつなぐ構造となっている。

 敷地の最上部に駐車場があり、その前に入り口(長屋門)がある。一段降りたところに茶房、厠、そば打ち匠房などがある広場ある。そこからさらに枕木で出来た階段を下りると左側に南部曲がり屋の木村家がある。 さらに降りると左側に出羽の国、紺野家がある。

 紺野家から枕木の階段を降りきると、真ん前に勇壮な本陣がそびえる。雪見の露天風呂に入るにはこの本陣で荷物を預ける。他方、宿泊客はせせらぎ館ややすらぎ館にとまる。


かやぶきの郷の全体構成
出典:パンフより


南部曲がり屋 木村家の解説板
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


南部曲がり屋 木村家
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 ↑の 南部曲がり屋 木村家は江戸時代(安政2年)スギクリケヤキなどで建てられた曲がり屋の代表的な構造。内部には薬膳願所や職人店がある。↓は木村家の外壁。


南部曲がり屋 木村家の外壁
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 ↑は数百点の時代ものが満載されている。鎧、兜などの武具、蒔絵、古伊万里、日本の古い灯火器など、貴重な品々を収集し展示している。

 ↓の時代箪笥回廊には、嫁ぐ娘の幸せを祈り祝布団やふろしき、箪笥、筒書きなどが展示されている。


時代箪笥回廊
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


 ↓の木綿の藍染めは必見である。


時代箪笥回廊
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



時代箪笥回廊
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


南部曲がり屋 木村家の鐘楼
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


 ↓は木村家がある階を一段下りたところにある時代もの展示処。


時代物展示処
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 下は木村家から紺野家にかけての前にある甘味処の蔵戸。ここで女性軍は「クリームあんみつ」を注文。常時ひとはおらず、客がインターホンのある番号を押すと店員が来る仕組みだ。非常にリーズナブル。値段もリーズナブルと思う。ちなみにクリームあんみつは税込みで650円。


木村家の前にある甘味処、蔵戸
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



木村家の前にある甘味処、蔵戸
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



木村家の前にある甘味処、蔵戸
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



木村家の前にある甘味処、蔵戸
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



出羽の国の紺野家の解説板
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



出羽の国の紺野家
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



出羽の国の紺野家
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 ↑は出羽の国の紺野家である。茅葺民家には珍しい三階建ての合掌入母屋造り、切り妻屋根天窓付きである。九代続く旧家の建物を出羽の国(今の山形県)から移築し、大広間には鴨居の上ににまで渡る二段障子があり、自然の光が取り込まれている。


出羽の国の紺野家の内部(一階)
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


出羽の国の紺野家の内部(一階)
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 私たちが郷の湯(薬湯)入ったのは、午後1時過ぎだ。この郷の湯に入るには、入り口でもらった番号札にある番号を入り口で自分で入力する。うまく入力出来れば戸があき、靴置き場を経由して脱衣場に行ける。


郷の湯(薬湯)
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 ↓郷の湯(薬湯)。郷の湯は、午前10時から午後4時まで入浴が可能。郷の湯は別名薬湯といい、とうぎ、よもぎ、ドクダミ、まつふじ、またたびといった薬草を温泉に混ぜている。効能としては、沈静、冷え症、しもやけ、婦人病、腰痛、湿疹、血行促進、疲労回復、神経痛、リューマチなどに効果があるとされている(パンフより)。上の写真は女湯。


郷の湯(薬湯)
出典:パンフより

 ひろくゆったりだ。洗い場も下の写真のように十分スペースがある。下の写真は男湯。


郷の湯(薬湯)。郷の湯
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


郷の湯(薬湯)の外壁
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



郷の湯(薬湯)の建築物
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10



撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10


本陣
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10
  

 ↑は本陣。広さ200坪、長さ42m、茅葺きの厚さは国宝建造物並の1mと国内でも有数の規模を誇る茅葺き屋根は荘厳で大変珍しい。ロビー中央の團炉里には常に薪がくべられ郷愁を誘う。


本陣の玄関
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10

 日帰り湯の客は、ここで荷物を預け滝見の露天風呂(自噴天然温泉)に入る。

 この露天風呂は宿泊客以外でも入浴可能だが、注意事項として午前11時から午後2時までに限定されているので、時間を見計らう必要がある。私たちは午前11時40分頃に入園したので時間的にはベストだった。土曜日だったが、男性側は私たち以外は2名ほどで静かに滝を見ながらゆったりと温泉を楽しむことが出来た。

 下の写真は女湯。


滝見の露天風呂(自噴天然温泉)
出典:パンフレットより


陶芸作家の浜田邸
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 

 本陣の前には、↑の栃木県益子町より人間国宝の陶芸家、濱田庄司氏と次男晋作氏が思いを込めて建てた居宅を二年の歳月をかけ移築している。入母屋造りで88坪の壮大な茅葺き民家。

濱田 庄司(はまだ しょうじ)

 1894年(明治27年)12月9日 - 1978年(昭和53年)1月5日)本名象二は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家。神奈川県橘樹郡高津村(現在の川崎市)溝ノ口の母の実家で生まれる。東京府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年、東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し窯業の基礎科学面を学ぶ。1916年同学校を卒業後は、学校が2年先輩の河井寛次郎と共に京都市立陶芸試験場にて主に釉薬の研究を行う。またこの頃柳宗悦、富本憲吉やバーナード・リーチの知遇を得る。

 1920年、イギリスに帰国するリーチに同行、共同してコーンウォール州セント・アイヴスに築窯する。1923年にはロンドンで個展を開催、成功する。1924年帰国、しばらくは沖縄・壷屋窯などで学び、1930年からは、それまでも深い関心を寄せていた益子焼の産地、栃木県益子町で作陶を開始する。

 殆ど手轆轤のみを使用するシンプルな造形と、釉薬の流描による大胆な模様を得意とした。戦後、1955年2月15日には第1回の重要無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定、また1968年には文化勲章を受章する。 柳宗悦の流れをうけて民芸運動に熱心であり、1961年の柳の没後は日本民藝館の第2代館長にも就任する。また1977年には自ら蒐集した日本国内外の民芸品を展示する益子参考館を開館。1978年益子にて没。享年83。

出典: Wikipedia


 館の中には↓にあるように濱田掃除、晋作のギャラリーが併設されている。


陶芸作家の浜田邸の内部
撮影:青山貞一、Nikon Cool Pix S10 

 以上、ここでは、「かやぶきの郷、薬師温泉旅籠」を駆け足でみてきた。私たちは別荘で作ったおむすびとお茶をここで食べ都合3時間半ほど滞在した。その間、「滝見の露天湯」と「郷の湯」と2つの温泉に30分づつ入った。

 宿泊したわけではないが、わずか1200円でこれだけ江戸時代にタイムスリップし、ゆったり、癒されたのはラッキーでありハッピーだったと思う。

 ポツンと一軒だけある秘湯も良いが、「かやぶきの郷、薬師温泉旅籠」のように、町並み、生活、温泉、食のすべてが歴史文化と調和し、さらに周辺の自然景観,自然環境と共生する湯治場こそ、本来あるべき温泉の姿であると感じた。

 当然、巨額の投資があって出来たことであろうが、これなら将来に渡り持続的な発展、経営が可能になるのではないだろうか?

 これで秋の信州街道・秘湯探訪はひとまずおしまいである!