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やっぱりあったキャンプシュワブ
「地元住民」利権!?

青山貞一

31 March 2010
初出:独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

 
 普天間飛行場代替施設がキャンプシュワブ海上案に決まった際の政治家利権、ゼネコン利権については、すでに私が三鷹公会堂でこの2月に行った基調講演で日刊ゲンダイの記事をもとに述べた。記事を含めた詳細は以下にある。

◆青山貞一講演要旨 C政治家と利権 - 砂利
◆青山貞一講演要旨 D政治家と利権 - 土地

 講演では敢えて政治家とゼネコンのキャンプシュワブ海上案利権について話したが、ひとつ抜けている重要な[利権]がある。

 それは「地元」の住民なり自治会の利権である。これについては、以前、青山研究室の大学院生が沖縄の基地と公共事業問題をテーマとして研究していたとき、何度か名護市の辺野古に現地調査した。そのとき、地元の女性作家からまさにその「利権」について聞いたことがある。

 論考(巻末)では敢えて利権問題に直接触れていないが、話の中では住民、自治会の利権の話がでた。

 ところで日刊ゲンダイの2010年3月31日号に、まさにその地元住民利権とでも呼べる記事があった。

 以下に全文を掲載する。

 この住民や住民グループたちは、キャンプシュワブの陸上案には猛烈に反対しているが、海上案には大賛成というのだから???である。

 理由は簡単、海上案だと総事業費が5000〜7000億円にもなり、地元にさまざまな利権が落ちる。それらを大手ゼネコンなどから下請けし、恩恵、すなわち経済的権益をむさぼろうとしているのである。

 彼らはキャンプシュワブ海上案に賛成するが、利権がすくない陸上案には大反対となる。

 かくして、キャンプシュワブ海上案は、外交、軍事などという高邁な議論、政策ではなく、政治家、ゼネコン、地元住民団体の経済的な利権を確保するという観点で決まったことが良く分かる。

 残念ながら日本では、あらゆる公共事業や開発行為は、すべて高邁な議論、政策ではなく、政治家、ゼネコン、地元住民団体の経済的な利権によって決まってきたが、名護市でもご多分に漏れなかったことになる。

日刊ゲンダイ 2010年3月31日号


 以下は上記の記事のテキスト。

キャンプ・シュワブ「陸上案」反対派がつくった怪しい団体

米軍普天間基地の移設問題が案の定、難航している。何しろ有力視されている米軍キャンプ・シュワブ陸上部がある名護市辺野古地区の住民の反対がハンパじゃないのだ。しかも、ここの住民は現行案は「賛成」なのに、陸上案は「反対」というから厄介だ。27日には、シュワブ内に土地を持つ辺野古、久志、豊原の久辺3区が、そろって軍用地契約が切れる2012年5月以降、土地の賃貸借契約更新を拒否することを決めた。

 ジュゴンがすむ海を埋め立てる海上案は賛成なのに、既存基地を活用する陸上案に反対するのは一体なぜか。ヒントは昨年8月、辺野古地区で設立された「一般社団法人CSS(キャンプ・シュワブ・サポート事業協会)」という団体にあるという。住居が近くにあり危険というだけではなさそうだ。

「CSS は、普天間飛行場移設に絡む関連事業を手掛ける目的で立ち上げられた法人。つまり、普天間移設を“容認”する団体です。この法人の理事の名前をチェックしていくと、陸上案に反対している久志や豊原の区長などが多数含まれている。シュワブ基地内の土地の賃貸借契約について、集会で『絶対に書類を提出しないで』と呼びかけた普天間代替施設等対策特別委員会の委員長も、そのひとりです」(沖縄在住ジャーナリスト)

 CSSと名護市が地元などで示した説明資料によると、CSSは「(海上への)移設事業が本格化すれば、全体事業は5000億〜7000億円規模といわれ、地元企業に大きなビジネス」と強調。その上で「協会を活用することで地元名護市地域の生活向上につなげられる」と移設を“歓迎”していた。

 さらに「国発注(沖縄防衛局)工事をいかに地元企業に優先受注してもらうか」を重要課題とし、その中でCSSは防衛省や大手ゼネコンに対して地元企業を下請けとするよう要請する「窓口」になるとしていた。民主党が主導する陸上案では、こうしたもくろみがパーになる。

「CSSは今は活動していない」と名護市。設立からわずか半年、移転先変更に伴って「賛成」が「反対」にひっくり返ったワケはこの辺にありそうだ。

(日刊ゲンダイ2010年3月29日掲載)


<参考>浦島悦子さんへの青山インタビュー概要

辺野古は元々、貧しい地域であり、過疎が進む地域である。基地問題が最初に起こった時、住民はあまり乗り気ではなかった。

 沖縄県の西側に比べ、過疎が進み貧しく、西側の人々は辺野古に対して、関心がなく住民投票をしても賛成するのではないかという不信感があった。反対運動を通して、西側の人々との交流が生まれ、西側の人々も基地の建設には反対だということがわかり、運動も広がっていき、不信感が払拭されていった。

沖縄県の南北問題は、南の那覇市を中心に豊かであり、北は貧しいという面があり、東西では西側はリゾート地であるが、東側はそのような観光地はない。辺野古地域は、南北格差と東西格差のすべてを背負っているために経済差別がある。嫌なものが全て押し付けられている。住民はそれに対する怒りを持っていた。

名護市との合併後、名護市全体の廃棄物の最終処分場が建設された。さらに基地までもが押し付けられようとしている。辺野古ではなぜ、名護市と合併したのかという意見すらある。(1970年、名護町・羽地村・久志村・屋部村・屋我地村の5町村が合併し、名護市になる)名護市との合併で、軍用地料が名護市にも入り、西側の人々のために使われていた。基地を抱える地域への恩恵が少ないと不満がある。

 部落の有力者、発言力のある人は基地移転の賛成派に多かった。11人の声を聞くと基地移転に反対であるが、その声が反映されることはない。

 沖縄の米軍基地は、戦時中に日本軍が使っていた飛行場や基地を米軍が接収したものや暴力的に土地を取り上げた所もあるが、キャンプ・シュワブは戦後、約10年経ってできたもので、「唯一、住民が受け入れた基地」と言われている。

 しかし、必ずしも住民は受け入れたわけではない。「暴力的に米軍に土地を接収されるのを見せ付けられ、それならば条件付で基地を受け入れる方が」という意見から、キャンプ・シュワブができた。基地の建設に伴い、沖縄本島・離島から仕事を求め、人が集まり、辺野古周辺の部落は以前より大きくなり、そういう意味での米軍基地の恩恵もあった。

 同時に訓練など基地による被害も受けてきた。キャンプ・シュワブと周辺部落とは身近であり、米軍と住民の間でのコミュニケーションもとってきた。今の基地はいいが、新しい基地建設には反対であるという姿勢である。

 
199712月、名護市では辺野古への基地移転の是非を問う住民投票が行われた。賛成は37.19%しかおらず、住民の過半数は反対という結果であった。しかし、名護市長が選挙結果を無視し、基地建設の受け入れを表明した。反対運動を続けてきた人たちには、この精神的なダメージ、いくらがんばっても駄目だという思いを与えることとなった。

 血と汗の結晶を一言で無駄になってしまった。いくら反対の行動を起こしても、声を聞き入れられないことから、反対運動が衰退していった。気持ちでは基地建設反対であるが、住民にはどうしようもないと思いが強まっていった。行政の方としては、反対住民を手懐けようとして、住民投票の頃から地域振興補助金が、
10の集落に年6000万円、1つの集落に平均600万円が入るようになった。

 そのお金は部落の首長や役員の給料に上乗せや住民に少しずつ還元されてきた。それにより、じわじわと補助金に蝕まれてきた。新しい基地には関係なく今あるキャンプ・シュワブの迷惑料として、各公民館が防衛庁予算で新設された。政府は、お金貰うと言い難くなる状態を作っていった。

 部落の首長たちは、「気持ちはあくまでも反対であるが、いくら反対しても国が強行する。だから、強行された時のために条件付賛成として、もらえるものは取っておく。」という意見になっていった。お金と暴力的に圧力によって、反対運動を衰退させ賛成せざるおえない事態に切り崩されていった。