自衛隊、イラク撤退 の次に来るもの @ 各国撤退 青山貞一 2006年7月22日 @各国撤退 A財政負担 B既成事実 C戦時派遣 D国際貢献 |
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<試される平和>シリーズは、電話があった木曜日の朝刊でも、現在の在日イラク大使のインタビュー記事を掲載するなど、さまざまな角度、多様な視点から平和や非戦を追求している。連載の本数もゆうに100をゆうに超えているという。 今の日本の新聞メディアの一般的な状況からすると、この種の重要ではあるが至極地道な内容で、100本以上連載を継続するというのは、なかなか難しいと思う。 東京品川区のJR目黒駅近くにある私たち環境専門の闘うシンクタンク、環境総合研究所でインタビューを受けた。 記者と話して分かったのだが、私は連載の比較的初期の段階で一度インタビューを受けていた。記者に言われてそばにあるPCのグーグルで検索すると、以下の記事が出てきた。56歳となっている。なんと3年以上も前だ。 今回インタビューを受けた記事も、でたら本独立系メディアの「今日のコラム」で紹介したい。 東京新聞 2003年3月20日(木)朝刊 ◆各国のイラク撤退状況 独立系メディアの読者であればよくご存じだと思うが、私は以前から自分でも感心するくらいしぶとく「イラクからの最新撤兵状況」を調べ、報告し続けている。 下表はその一部だ。米国のブッシュ政権の要請に基づき当初からイラク戦争に参加した欧州の国々の一覧である。なお、世界各国の参戦状況は「イラクからの最新撤兵状況」を見て欲しい。
以下、新聞記事をもとにイラクからの撤兵、撤退状況を振り返ってみよう。 ●東欧諸国 ところで、肝心な撤退状況だが、当初、米国から見返り援助を期待して参加したチェコ、ポーランド、ウクライナなど東欧諸国は、結局、地上軍派兵によって財政負担がかさみ、他方、肝心な援助は期待できないことが分かった。さらに国内世論の反発を買って、次第に撤兵を考慮しせざるをえなくなったというのが実態である。 出兵時、東欧諸国は一方で独、仏が中心となっているEUへの加盟を申請し、他方で米国ブッシュ政権の要請に応じた。当時、私は国際学会で欧州にいたが、独仏首脳はテレビで東欧諸国のそのような対応に怒りをあらわにしていたことを覚えている。 東欧諸国が国民を説得の最大の理由としていたイラク戦争の最大の大義、すなわち大量破壊兵器が見つからなかったことに加え、多くの犠牲者がでたことが撤退を余儀なくされた最大の理由である。
●スペイン・イタリア EU諸国で当初から派兵していたイタリア、スペインは、スペインが国内で大規模な列車爆発テロが起き、イタリアはイラクでのジャーナリストらが拉致され人質となるなど、大義や正義のないイラク戦争に軍を送ったことが裏目に出た。 イラク中部ナジャフに駐留していた220人規模のスペイン軍は表向き任務終了ということだが、2004年4月、イラク戦争に派兵していたEU諸国として最初に撤退を開始することとなった。
イタリアでは、その後行われた国政選挙で派遣時の政権政党が凋落し政権が交代することとなった。これが撤退や撤退予定を早める主要な要因となった。
●オランダ サマワに駐屯した日本の自衛隊の警護に当たったオランダは、2003年8月、「有志連合」の一員としてサマワがあるムサンナ州に1300人規模の兵を維持し、一時期は1680人規模となったが、2名の兵士が死亡したことをきっかけに撤兵世論が高まり、2005年2月、イラクから撤兵することとなった。 私見では、自衛隊の警護に当たっていたこのオランダ軍の撤兵が、今回、自衛隊が撤退することになった大きな遠因であると推察できる。すなわち、オランダ軍の撤退の肩代わりを英軍約600人とイラク治安部隊がすることとなったが、それによって英軍が行っていた任務に支障が生じることになったからだ。
●オーストラリア 日本の陸上自衛隊が活動するイラク南部サマワの治安維持を担当したオランダ軍が撤退した後、治安維持を担当するのは当初、英軍の600人とされた。しかし、英軍が当初予定の600人派遣を大幅に削減し150人としたため、その残り450人をオーストラリア軍が埋めることになった。 イギリスとともに米国の要請に早めに対応してきたオーストラリアは、インドネシアのリゾート地、バリ島における大規模テロ発生をかかえ、正義も大義もなくなったイラクにおける泥沼戦争への参加によって大きなリスクを負っている。当然、財政状態も悪化している。 ●枢軸、米英 では先制攻撃の枢軸国、米英両国はどうだろうか。 大義なき先制攻撃の主人公、ブッシュ政権とその盟友、ブレアー政権としてみれば、暫定政府を構築し、イラク人による国民選挙を行い、新たなイラク政府が樹立された。総じてサダム・フセインによる独裁国家が民主国家となったのだから、早晩、米英もイラクから撤退すると言いたいところであろう。 しかし、ここでもっとも重要なことは、言うまでもなく、あれほどブッシュ、ブレアーが大見得をきった大量破壊兵器が見つからなかったことだ。この4月には以下のように、ラムズフェルド国防長官への米軍幹部からの辞任要求まで出た。
そればかりか政権内の要人がそのことに関連し次々に辞職した。政権に近いシンクタンクからも大量破壊兵器未発見に関する調査報告書が出された。また、米軍によるアフガニスタンやイラクで捕虜となった兵士への虐待が明るみでたことも、反戦世論を高めている。
エネルギー産業利権まみれのブッシュ一族にしてみれば、当初の大きな目的である世界第三位の埋蔵量を誇るイラクの油田を押さえ込んだものの、戦費のによる巨額の財政赤字はさらに逼迫し、今や国民の支持は30%前後まで凋落してきた。任期も限られ、ブッシュ政権は今後、後ろを見たら誰もついてきていない状況となることは必死だ。 上記と同等以上に、米国世論を高揚させてきたのは、いうまでもなくイラクへ送られた米国の兵士の多くが死亡していることである。もちろん、イラク側の兵士や国民の死亡数(イラク・ボディーアカウントでは4−5万人が死亡と推定している)にははるか及ばないものの、かなりの数の米国兵士が死亡している。とくにイラクで息子が戦死し反戦活動を続けているシンディー・シーハンさんのこの分野での活動が目立つ。 以下はこの4月、35万人規模のイラク反戦デモがニューヨークで行われた際の記事である。
イギリスでは、大量破壊兵器情報に関連する大きな事件が起きた。さらに追い打ちをかけるように英国ではロンドンの中心街で地下鉄内でテロ爆破事件が起こった。もともと出兵に批判的な国民世論を押し切って参戦した英国のブッシュの番犬ポチ、ブレアー首相も窮地に追い込まれたのである。 最近では以下の記事にある米兵によるロイター(英国に本部)の記者らが発砲を受け死傷した事件も英国の反戦意識を高めている。
●日本 そんななか、イラク南部サマワに駐留している陸上自衛隊の撤退が決まった。2004年2月に本隊が現地に入ってから2年半になろうとしている。この間、派遣された復興支援は十次、延べ人員は5500人に及んでいる。 上述のように世界各国が自ら撤退するなかで、日本の自衛隊の撤退は、派遣されたとき同様、あくまで米国の意向、都合であるといえる。アーミテージにブーツ・オン・ザ・グランドと言われ、憲法違反のイラク特措法を無理矢理制定し、「非戦闘地域」なる不可思議な定義のもと外国の戦地に送られたのが自衛隊だ。米国以外でイラク戦争の中枢をになってきた英軍やオーストラリア軍が今後、部分撤退を余儀なくされるなかで、撤退した陸上自衛隊とは別に、残留する航空自衛隊には、新たな業務が待ちかまえている。 何と、今後は今まで英軍が行ってきたC130による航空貨物輸送を日本の航空自衛隊が肩代わりするのだ。後述するように、陸上自衛隊のイラク撤退後、これが最大の課題となる。 つづく
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