シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ヴェネツィア( Venezia、イタリア) アルメニア人の聖ラザロ3 (San Lazzaro degli Armeni ) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2019年4月20日 独立系メディア E-wave Tokyo |
<ヴェネツィア総合メニュー> <アルメニア人の聖ラザロ> アルメニア人の聖ラザロ1 アルメニア人の聖ラザロ2 アルメニア人の聖ラザロ3 アルメニア人の聖ラザロ4 アルメニア人の聖ラザロ5 アルメニア人の聖ラザロ6 アルメニア人の聖ラザロ7 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 ◆アルメニア人の聖ラザロ3(San Lazzaro degli Armeni) 20世紀以降 1975年12月8日の夜に火事が起こり、それによって図書館が部分的に破壊され、教会の南側が損傷し、2つのGaspare Dizianiの絵画が破壊されました。 2002年から2004年の間に、修道院の構造の大規模な修復が、Conistzio Venezia Nuova、イタリアのインフラ運輸省の機関の調整の下でMagistratoアレックによって行われました。それは島の岸と壁そしてボートハウスの修復を含んでいました。 サン・ラザロは2015年の第56回ヴェネツィアビ・エンナーレ期間中にアルメニアのパビリオンを主催しました。この展覧会は、アルメニア人虐殺の100周年を記念し、Adelina Cuberyanvon Furstenbergによってキュレーションされ、全国参加カテゴリーでゴールデンライオン賞を受賞しました。 修道院 聖ラザロは、アルメニ・アカトリック(Mekhitarist)会衆の本部である聖ラザロのMekhitarist修道院によって完全に占められています。 修道院はアルメニア語では「Mekhitarist Mother Monastery」と、イタリア語ではMonastero Mechitaristaと訳されていますが、M(?)khitarian Mayravank 'として知られています。 修道院には現在、鐘楼のある教会、住宅地、図書館、美術館、絵画館、原稿保管所、印刷工場、雑貨教育研究施設、庭園、1962年にアントニオ・バッジョによって建てられたMkhitarの銅像があります。 1960年代に建てられたアルメニア人虐殺記念碑と1987年にソビエトアルメニア政府から寄贈された14世紀の玄武岩のハッカール(十字架石)があります。 修道院の回廊は、ドーリック順に並んだ42列の吹き抜けで構成されています。 木々や低木に囲まれた回廊の中心部には15世紀の井戸があります。 フェニキア人や初期のクリスチャンの碑文、アクイレイア出身のローマ時代の貴族の彫像、その他の遺物などの考古学的発見があります。 タマネギドームを備えた鐘楼は1750年に完成しました。 鐘楼は教会のすぐそばになく、教会の北側の近くには離れてあろます。 教会 聖ラザロの教会 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link アルメニア人の聖ラザロの教会内部 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link アルメニア人の聖ラザロの教会内部 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0, Link 聖ラザロ教会は、何世紀に渡り数回改装されましたが、依然として14世紀の尖頭アーチ型のスタイルを保っています。教会はアルメニアの僧侶が定住してから5年後の1722年にMkhitarによって大規模に修復されました。 彼らは祭壇を完全に再建しました。その後世は1899年に主に新ゴシック様式の要素を加えて拡張されました。 アルメニア人の聖ラザロ4へつづく |