メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 グレンコーの大虐殺5 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2017年12月10日公開予定 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ ネス湖 アーカート城 アーカート城博物館 フォート・オーガスタス フォート・ウィリアム1 フォート・ウィリアム2 グレンコー グレンコーの大虐殺1 グレンコーの大虐殺2 グレンコーの大虐殺3 グレンコーの大虐殺4 グレンコーの大虐殺5 ※ジャコバイトについて1 ※ ジャコバイトについて2 体制の動揺 事件はイングランド政権にとって一大スキャンダルとなりました。特に問題となったのは背信行為でした。すなわち、マクドナルド氏族は敵同士でありながらも、慣習に従ってロバート・キャンベルらを客として遇し、2週間にわたって宿と食事を提供しました。 虐殺事件はその恩を仇で返した形となったのです。まずフランスで批判がおこり、ウィリアムとイングランド政府を激しく非難しました。これがイングランド・スコットランドに飛び火し、スコットランドからはもちろん、知らされていなかった大部分のイングランド議員や支配層からも批判がまきおこりました。 政府は調査を始め、ステア伯がこの事件で主導的役割を果たしたことを突き止めました。ステア伯は審問を受け、1695年官職を追われました。スコットランド側の不満はこれだけでは収まらず、ウィリアムはアフリカ・インド諸国会社の設立申請を許可せざるをえなかったのです。 犠牲になったマクドナルドの運命に、ハイランド人たちは恐怖する一方でウィリアムとイングランドへの反感を強め、ジャコバイトがふたたび正統性を主張できる根拠を提供する結果となりました。 以後半世紀にわたって、スコットランドではジャコバイトの蜂起が度々起こりました。ハイランド人を味方に引き入れるという当初の目論見は、短期的には成功といえなくもなかったものの、長期的には裏目に出てしまったのです。 責任の所在 事件が有名になると、キャンベルと司法長官ステア伯およびイングランド王室の間で、責任の押し付け合いが始まりました。イングランド政府は当初キャンベルの主導だったとしました。そのうえでステア伯はすぐに公職に戻されましたが、命令書が発見されて風向きが変わったのです。 さらに虐殺を指揮したジョン・キャンベルの子孫が、事件の詳細を執筆・出版し、そのなかでステア伯とウィリアムが黒幕であると指弾したのです。かくして議論は泥沼化しましたが、論争を続けても双方が傷つくだけでした。ヨーロッパ列強との戦争が続くうちに、次第に虐殺事件は忘れられて行きました。 村と氏族の「その後」 キャンベル氏族は、もともとスコットランド氏族内で「イングランド寄り」と評判がよくなかったのですが、虐殺に加担したことを機に氏族社会でさらなる孤立を深めてゆきました。 20世紀後半にいたるまで、グレンコーやマクドナルド氏族系のパブなどの多くで「No Hawkers or Campbells(行商とキャンベル一族お断り)」の札が掲げられ、キャンベルの子孫はひっそりとウイスキーを飲まなければならなかったのです。 虐殺を生き永らえた者たちはその後、王の許しを得てグレンコーに戻って村を復活させましたが、現在、グレンコー村では事件の歌が残っています。以下はその歌詞です。 グレンコー村では事件の歌が残っている歌の歌詞 英語版 (chorus)O cruel is the snow That sweeps Glencoe And covers the grave o' Donald And cruel was the foe That raped Glencoe And murderd the house of Macdonald They came in a blizzard We offered them heat A roof o’er their heads Dry shoes for their feet We wined them and dined them They ate of our meat And they slept in the house of Macdonald (chorus) They came from Fort William Wi' murder in mind The Campbells had orders King william had signed Put all to the sword These words were underlined And leave none alive called Macdonald (chorus) They came in the night When the men were asleep This band o’ Argyles Through snow soft and deep Like murdering foxes among helpless sheep They slaughtered the house of Macdonald (chorus) Some died in their beds At the hand of the foe Some fled in the night And were lost in the snow Some lived to accuse him That struck the first blow But gone was the house of Macdonald 日本語訳 † おお、極寒の雪は グレンコーの谷を浚い ドナルドの墓を覆う そして非情なる敵は グレンコーの地を破壊し マクドナルドを滅ぼした 彼らはブリザードを越えてやって来た 彼らに暖かい火を与え 風雪をしのぐ宿を与え 乾いた靴を与え ワインと夕食を与えた 彼らは我々のもてなしを受け マクドナルドの家で眠った †(繰り返し) 彼らはフォート・ウィリアムからやって来た 殺意をその胸に秘めて 命じたのはキャンベル 署名したのはウィリアム すべてを切り捨てよと マクドナルドを生かしておくなと †(繰り返し) 彼らは夜、やって来た 皆が眠りについたとき アーガイルの軍隊が雪の中から現れた 無防備な眠りに襲いかかる狐のように ほしいままに殺戮を †(繰り返し) ある者は敵の手にかかり ベッドに骸を横たえ ある者は夜闇にまぎれ 雪の中に斃れた ある者は生き残った ウィリアムに一太刀報いるために けれどもマクドナルドはもう戻らない つづく スコットランド総目次へ |