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メアリー・ステュアートの足跡を追って
スコットランド
2200km走破


アーカート城

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
2018年10月30日公開予定
独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁
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◆アーカート城の概要



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2012-7



ネス湖のアーカート城
Source: Wikimedia Commons


ネス湖のアーカート城の城館(タワー・ハウス)



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2012-7


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2012-7


 アーカート城(Urquhart Castle)は、スコットランドハイランド地方のネス湖そばにあります。 アーカート城の位置は、インヴァネスの南西21km(13mi)、ドラムナドロッキットの東2km(1.2mi)、A82の道路沿いでづ。

  中世初期の要塞の上に、13世紀から16世紀にかけて建造されましたが、現在は廃墟となっています。

 13世紀に創設され、14世紀にはスコットランド独立戦争の舞台となっています。 その後は王城となりましたが、マクドナルド一族のロス伯爵(Earls of Ross)には何度も襲撃されました。

  1509年、城はグラント一族(Clan Grant)に下賜されましたが、マクドナルドとの争いは続いています。 その後も城は幾度か急襲を受けて増強されましたが、17世紀の中ごろには打ち捨てられました。

  アーカート城は1692年、ジャコバイト軍の手に落ちるのを阻止するため、部分的に爆破され、荒廃しました。

  20世紀に州の管理下に置かれ、市民に公開されるようになりましたが、 現在は、スコットランドでも最も観光客の多い城となっています。

 城は、スコットランドでも大きい湖であるネス湖を見下ろす岬の突端に位置しています。 西に入口を持ち、堀と跳ね橋で守られていました。 岸辺の上に主な囲い地が2つあり、建物はその囲い地の周りに建てられていました。

 北の囲い地には、門番小屋をはじめ現存する建物のほとんどが集中しており、城の北端には5階建てのグラント・タワーがあります。 南の囲い地は、より高い位置にあり、初期の建物の残骸が少し残っているだけです。

概要
Key:
A Site of drawbridge
B Gatehouse
C Nether Bailey or Outer Close
D Chapel
E Inner Close
F Grant Tower
G Great Hall
H Kitchen
I Water gate
J Upper Bailey or Service Close
K Motte and shell keep
L Doocot
M Smithy
N Loch Ness

A 跳ね橋の位置
B 守衛詰所/門番小屋
C ネザーベイリー/城の外囲い
D 礼拝堂
E 城の内囲い
F グラント・タワー
G 大ホール
H 台所
I 水門
J 上部外壁/軍用囲い地
K Motte and shell keep 城や要塞を築いた小さな丘とその上の石でつくった円
形の砦
L 鳩小屋(スコットランド方言Dovecot)
M 鍛冶屋の仕事場
N ネス湖
アーカート城の平面図 Source:Wikimedia  Coomons

 アーカート城は、ネス湖湖岸北西部の三角形の岬、Strone Point と呼ばれる場所にあり、グレート・グレン峡谷に沿って走る道路は、アーカート峡谷入口に面しています。 城の位置は湖水面にかなり近く、岬の北東側には低い崖になっています。

 内陸側には召集のための広場があり、そこには17世紀当初、庭や果樹園だけでなく業務用の建物もあったと思われます。 このエリアを超えると地面は高く盛り上がり、ビジター・センターとA82道に向けては急な坂になっています。

 堀は水のない空堀で、最も幅広い場所で30m(98ft)、おそらく中世初期に掘られたもので、陸側からの侵入を防いでいます。 かつて中央には濠を渡る跳ね橋がかかっていましたが、跳ね橋に至る道は石畳になっています。 歩道の城側は塀があり、甕城の役割を果たしていました。

 アーカート城は、スコットランドでも特に大きな面積を持つ城の1つです。 城壁に囲まれた部分は、数字の「8」のような形をしています。 ネス湖湖岸に沿って北東から南西の方向へ、2つのベーリー(囲い地)を並べたような形で、全周は約150m(490ft) × 150m(490ft) × 46m(151ft)です。 北のベーリーが低く、南のベーリーが高い[nb 2]。 両ベーリーのカーテンウォールは主に14世紀のもので、のちの建物によってかなり増強されています。現在の遺構のほとんどは、北のベーリーにあります。


ネス湖よりグラント・タワーを望む



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2012-7


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2012-7


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8  2012-7

下のベーリー

 16世紀の門楼は、下のベーリーの内陸側にあり、入口通路の側面には2つの「D]の形の塔があります。 かつての入り口は落とし格子と二重の扉に守られ、門衛室も両側にありました。

 入口上にはいくつか部屋があり、城の番人の宿泊施設として使われていたと思われます。 門楼の周囲には、1690年の爆破以降に崩壊した石組みが残されています。

 下のベーリーは、1400年代以降の城の観光のポイントであり、北端のグラント・タワー、城館主要部、キープが残っています。 グラント・タワーは12m(39ft) × 11m(36ft)、壁の厚みは最高3m(9.8ft)あります。

 グラント・タワーは14世紀の基礎の上に建っているが、建物部分のほとんどは、16世紀の再建によるものであります。 当初は5階建てで、南の壁は18世紀初期の嵐で崩壊していますが、それでもまだ城の中では最も高い建物になります。

 残存する胸壁は1620年代に改築されたもので、塔の隅の上部には、持ち送りのある張り出し櫓(小塔)がついています。 西のメインの扉、および東の裏門上部には出し狭間という狭い隙間が開いており、城を攻撃する者に向けて岩などを落とすことができます。

 西の扉は、溝と跳ね橋で守られており、玉石を敷いた囲い地に接続、主要な城壁との境目には門があります。 現存する建物内部には、塔の東壁に敷設された螺旋階段で登ることができます。

  内部1階はホール、2〜3階は部屋、小塔の屋根裏部屋から成っています。 主な階の部屋には、16世紀の大きな窓と、防御のための銃窓があります。 グラント・タワーの南側には、14世紀の控え壁の、厚いカーテンウォールが続いています。

 その区域の中央部は大ホールになっており、城主の個室となる主寝室と、北には採光室、南には台所があります。 長方形の建物の基礎が、下のベーリー内の岩の多い塚に残っており、教会の跡だということが確認されています。

上のベーリー

 上のベーリーは、城の南西の角の、岩場の多い土手の上に当たります。 岬で最も高い場所であり、この土手はアーカート最初期の地所となります。 中世初期の要塞に特有の、ビトリファイドの資材が土手の斜面で発見され、アルコック教授によって中世初期の要塞の位置が確認されました。 13世紀には、土手は、デューワードによって建てられた原型の城のモットとなり、現存する壁は当時のシェル・キープ(くぼんだ囲い地)の名残であります。 これらの遺跡は断片的ですが、北と南のシェル・キープに塔が存在したことを示しています。

 上のベーリーの東壁には水門があり、湖につながっています。 隣接した建物は、厩舎だった可能性があります。 その南、モットの反対側は、鳩舎(Dovecote)の基礎と、おそらく以前は大きなホールで、のちには鍛冶場として使用されたと思われる13世紀の建物の残骸が少し残されています。


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