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黄檗宗・黒瀧山不動寺1
(群馬県南牧村)

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda
1 May 2023
独立系メディア
E-wave Tokyo

出典:黄檗宗・黒瀧山不動寺

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黒瀧山不動寺4
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はじめに

 私達の北軽井沢(群馬県)別荘の周辺には、殆ど寺院はなく、神社でも「妙義」まで行かないとないなかで、ひときわその存在を示しているのが、黄檗宗・黒瀧山不動寺である。

 黄檗宗・黒瀧山不動寺は、以下の地図にあるように、首都圏にあって限界集落状態にある南牧村にある。南牧村は、群馬県最西部で隣は長野県佐久市となる。

 なお、黄檗宗・黒瀧山不動寺は、妙義・荒船・佐久高原国定公園の中にある。また黒滝山は、ぐんま百名山のひとつにもなっている。標高は870mである。


黄檗宗・黒瀧山不動寺の位置 出典:グーグルマップ

 黒瀧山・不動寺は、群馬県西部と長野県東部との県境にあり、JAL123日航機事故で有名な上野村(群馬県)の御巣鷹の尾根の真北、南牧村(群馬県)にある。

 以下のグーグルマップは黄檗宗・黒瀧山不動寺の位置を押す方の尾根との関連で示している。一番上(北)に黒瀧山不動寺があり、一番下に上野村の御巣鷹の尾根がある。


一番上(北)に黒瀧山不動寺があり、一番下(南)に上野村の御巣鷹の尾根がある
出典:グーグルマップ

 この寺は、かの有名な奈良時代の仏教伽藍つくりの寵児、行基の作であり、群馬県に数ある寺院の中でも、もっとも古いと言える。

  ※注:行基とは
   行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日
   (749年2月23日)[1])は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した
   日本の仏教僧。朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接
   布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成
   し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に
   仏教を説いた。併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。布施
   屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地
   に整備した。出典:Wikipedia


 この辺りには、ロッククライミングの登山家ならだれでもよく知っている妙義山や荒船山が近くにあり、その他、立岩、馬の背など地形的に特異な地域である。標高はそれほどなくても、との特異さ故に、いたるところに鎖場がある。

 黄檗宗・黒瀧山不動寺は、鐘楼、本堂、開山堂などの伽藍が標高で700~750mに分布している。黒滝山・小澤線という県道202号線が黄檗宗・黒瀧山不動寺まで来ており、その終点が不動寺用の駐車場につながっている。

 以下に黄檗宗・黒瀧山不動寺のアクセスマップを示すが、駐車場から山門までは直線距離は短いが、地形の変化、高低が著しく、雨上がりなどは、足元が危険となる個所もある。


黄檗宗・黒瀧山不動寺のアクセスマップ 出典:グーグルマップ


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