黄檗宗・黒瀧山不動寺3 (群馬県南牧村) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 1 May 2023 独立系メディア E-wave Tokyo |
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出典:黄檗宗・黒瀧山不動寺 禅寺総合メニューへ 黒瀧山不動寺1 黒瀧山不動寺2 黒瀧山不動寺3 黒瀧山不動寺4 黒瀧山不動寺5 黒瀧山不動寺6 以下は、黄檗宗・黒瀧山不動寺の概要である。創建は行基で開山は、奈良時代、かなり古い。
歴史 創建は奈良時代と言われ、実際、伽藍や彫刻などが、行基の手に寄っており、行基により開山されている。行基自らが彫った不動明王を安置する草庵が当寺の起源である[1]。 ※注:行基天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)) 行基は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日本の仏教僧。 朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを 禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿) を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。 併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。布施屋9所、道場や 寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備した。 出典:Wikipedia 1675年(延宝3年)、潮音道海によって中興され、黄檗宗の寺となった。潮音道海は江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の帰依を受けており、最盛期には200の末寺を擁していたという[2][1]。 「上州の奥ノ院」「厄除け不動」として、庶民の信仰を集めたという[2]。 黒瀧山不動寺は、上州南牧谷の奥深い黒瀧山の岩壁から滝しぶきの舞うところ。 寺に到着すると、まず鐘楼、山門、不動堂、大雄宝殿、黒瀧泉そして開山堂へと続いている。 上州の奥ノ院とも称され、江戸時代徳川五代綱吉公が帰依した1675年潮音禅師によって中興開山され、厄除け不動の霊場として千余年の歴史を重ねる古寺である。 標高870メートルの黒瀧山。黒瀧三霊鳥の仏法僧、木魚鳥、慈悲心鳥も鳴く静寂幽玄な山寺。 その他の生き物や植物も数多く生息。悠久の時の流れの中で命をつなげています。 文化財 黒滝山の大スギ(群馬県指定天然記念物 昭和27年11月11日指定)[3] 黒龍山・不動寺の伽藍 黄檗宗・黒瀧山不動寺は、以下の絵図から分かるように、一番西(左)に鐘楼があり、一番東(右)のトイレまで、横一線に鐘楼、宿坊、山門、不動堂(大雄宝殿)、本堂などの伽藍が一列に並んでおり、東端から石階段で開山堂に登るようになっている。 出典:黄檗宗・黒瀧山不動寺 宿坊 「鐘楼」の次にあるのは、以下の写真にある不動寺の宿坊(事務所)である。ここでお賽銭をわたす。またさまざまな縁起小物がおいてある、宿坊なのでここに僧侶や信徒が泊ったのだろう。 不動寺の宿坊(事務所)前の池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 不動寺の宿坊(事務所)前 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 宿坊の出口近くに黒滝山の大杉がある。 黒滝山の大杉 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 黒滝山の大杉と池田こみち 撮影:青山貞一 iphone 黒滝山の大杉 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 その後、「山門」とつづく。 その4へ |