東南アジア最後の秘境 ミャンマー 四日目の朝、インヤー湖 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年8月4日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
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(30) 四日目の朝、インヤー湖 (31) アウンサンスーチー氏 (32) ヤンゴンからマンダレーへ (33) マンダレーの概要と歴史 (34) マンダレーの下町を食べ歩く ◆ヤンゴン最終日の朝 今日、ヤンゴン四日目の午後一番の国内便(KBZ)で、ヤンゴン空港から次の目的地、マンダレー空港に飛び立ちます。 私達はいつものように、ホテルで遅めの朝食を済ませた後、ホテルをチェックアウトし、ホテルの前に駐車しているタクシーの運転手に声をかけます。 下はホテル正面とホテル一階前の写真です。 宿泊したホテル 出典:ホテル公式Web ホテルの前 出典:ホテル公式Web 実は運転手は非番のホテルのボーイさんで英語がそこそこできます。「空港までいくらですか?」と聞くと即座に8000K(=約800円)と帰ってきました。来た時と全く同じ金額なので手を打ちます。 東京で調べたとき、白タク以外のタクシーの空港とホテル間の片道タクシー運賃は、8000Kと決まっているからです。それにしても、東京からホテルに連絡し送迎を依頼した時の料金が米ドルで25ドル(=約2700円)というのは、何んだったんでしょうね(笑)。当然、即座にキャンセルしましたが。 タクシーの後ろのトランクに荷物を入れ、後部座席に乗り込みました。 ホテルからヤンゴン空港の国内線ターミナルに向けてタクシーで出発です。乗ってからタクシーの運転手に聞けば、ホテルの給料だけでは到底食べていけないので非番の日にはタクシー運転手をしているとのこどです。 ミャンマーでは、六歳から十五歳までの義務教育で国語(ビルマ語)に加え、英語が必修になっているそうです。そんなこともあり、若者は、誰でも片言ではあれ、英語を話します。 一方、高齢者はイギリス植民地統治下で英語を習得している人が多いため、結構流暢な英語を話します。日本のように、中学から大学まで英語を習いながら、外国人が寄ってくると、逃げ出すような人にはお目にかかったことがありません(笑)。 さらに、運転手によると、ミャンマーでは他の東南アジアの諸国同様、中国系の人々、特に商人が裕福で力を持っており、地域社会の上にたつことが多く、現地のミャンマー人の反感をかうことが多いようです。また、マレーシア、インドネシア程ではないものの、イスラム系の住民もいて、あちこちにモスクがあります。ある時間ともなると、アザーンの声が町に響き渡ります。 これについて運転手によると、イスラム系の人々は、閉鎖的な社会を作り勝ちでその他の人々との交流を持たないとのことで嫌われているそうです。 途中、タクシー代はそのままでインヤー湖南端の高級住宅地の一角にあるアウン・サン・スー・チーさんの自宅に立ち寄ってもらうことにしました。ここはスーチーさんが永年軟禁されていたところでもあります。(これについては、次の頁をご覧ください。) 下の写真はインヤー湖公園です。築堤の向こう側が湖です。ミャンマーには、インレー湖など、インがつく湖がおおいのですが、ビルマ語ではそもそも「イン」が湖を意味しています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-3 Yangon インヤー湖 (英語: Inya Lake、旧ヴィクトリア湖)は、ヤンゴンにある湖。ヤンゴン市内で最も大きな湖であるとともに、ヤンゴン市民のレクリエーション地域として親しまれています。湖はヤンゴン中心部から約10km北にあり、北はパラミ通り、西はピー通り、南西はインヤー通り、南はユニバーシティ通り、東はカバエーパヤー通りによって区画されています。 下のグーグルマップは、インヤー湖の位置を示しています。タクシーは湖岸すぐ左のピー通りを北上します。なお、★は、アウン・サン・スー・チーさんの自宅がある場所を示しています。 出典:グーグルマップ Source: Google Map インヤー湖を取り囲む地域はヤンゴン市で最も高級住宅街であり、ヤンゴン大学側と公園である南西堰堤を除いて、なんとすべての堰堤が私有地となっています。 ヤンゴンだけでなくミャンマーでも最高級の住宅地となっている湖岸の住宅街には、かのアウンサンスーチー邸宅をはじめ、ネ・ウィン邸宅、在ミャンマー米国大使館などが立地しています。 インヤー湖へのアクセスは、上の写真にある築堤そばの公園入り口のカバエーパヤー通りが一般的ですが、ヤンゴン大学脇のインヤー通りやピー通りを使ってもアクセス出来ます。このインヤー湖は、トレッキングで約2時間で一周できるそうです。
そうこうしているうちに一時間弱で空港に到着。国内線ロビーにはミャンマー各地に向かう人々でごった返していました。 つづく |