東南アジア最後の秘境 ミャンマー タラバー門 Tharabar Gate 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年8月4日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
(95) ホテルの朝食と庭園散策 (96) シュエグージー寺院 (97) 旧王宮遺跡発掘現場 (98) タラバー門 王宮の開場までまだ時間があるので、王宮の直ぐ近くにあるタラバー門を視察しました。 私達の滞在したホテルはオールドバガンの城壁の中にあり、マンダレーからバガンに来たとき、アーナンダ寺院などに行くとき、など頻繁にタラバー門(The Tharabar Gate)を通りました。 タラバー門はバガン黄金王宮のすぐ東にあります。下はグーグルマップで見たタラバー門の位置です。 出典:グーグルマップ 下の地図では城壁の東側(右側)にあります。 ただし、現在、城壁は廃墟化して一部しか残っていません。また他のゲートで片鱗があるのは南ゲートです。これについては、南側のパゴダを視察する際通りますので、その時に撮影した写真を紹介します。 出典:バガンのホテルが出している地図 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 下はタラバー門の概要解説です。 ◆タラバー門(The Tharabar Gate) ・遺跡の種類:バガン市の古い(城)壁 ・場 所:Pitakak Taik の北東 ・地 域:オールドバガン ・創建した王:Pyinbya王 ・年 代:紀元849年 ・遺跡番号 :− タラバー門は、東の壁のメインゲートで、Pyinbya王によって建設された古い町に唯一残されているものです。この門は、9世紀、紀元849年に建設されたものです。 町の西と北の部分の壁は、川の氾濫で流されてしまいました。創建当初は、12の門があったとされています。タラバー門はパーリ語の「Sarabhanga」という言葉に由来しており、「矢から遮蔽されている(盾となっている)」という意味をもっています。 ほとんどの建築構造物は朽ち果てていますが、漆喰で彫刻された鬼などを今でも見ることができます。門は霊的な存在によって守られているとされています。門の左側は、「巨大な山の神」と呼ばれる兄、右側は、「金の顔」と呼ばれる妹が守っていると信じられていました。 以下は英文Wikiの解説です。 ビルマの歴史書では、バガンのまちは紀元849年に要塞化されたと主張されていますが、放射性炭素による年代測定では、主要な壁の基礎部分が創建された年代は、紀元1020年という証拠を示しています。 もし歴史書の主張の通り、紀元9世紀に要塞が創られたとすれば、要塞は泥のような丈夫でない(より脆弱な)素材で創られたに違いありません。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 以下はトリップアドバイザーの写真です。 This photo of Tharabar Gate is courtesy of TripAdvisor Cette photo de Tharabar Gate est fournie gracieusement par TripAdvisor 下は1890年代のタラバー門の写真です。 Source: English Wikipedia 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 つづく |