東南アジア最後の秘境 ミャンマー シゥエサンドーパゴダ(1) Shwesandaw Pagoda 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2016年8月4日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
(116) ローカテェイッパン寺院 (117) シュエサンドーパゴダ(1) (118) シュエサンドーパゴダ(2) (119) シュエサンドーパゴダ(3) (120) シュエサンドーパゴダ(4) (121) 馬車でホテルに戻る ◆シゥエサンドーパゴダ Shwesandaw Pagodat この後、視力の良い池田が遠くに見える大きなパゴダの上に人がたくさん乗っている、というので、畑の中に道をそのパゴダの方に向けて歩きました。 出典:グーグルマップ 下は、シュエサンドーパゴダ Shwesandaw Pagodat にあった看板です。 確かに、このパゴダには正面に石の階段がついており相当上の部分まで登れるようになっています。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 来る前には分からなかったのですが、このパゴダは、バガンで登ってもよいパゴダの一つで、シュエサンドーパゴダ Shwesandaw Pagodat でした。 確かに近づいて望遠レンズみると、下の写真のように、パゴダの上の方に人がたくさん登っています。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 まず、 以下は「地球の歩き方」によるシュエサンドーパゴダの概説です。 このシュエサンドーパゴダは、タトオン国征服の後、ただちに建てられた仏塔のひとつです。1057年の建立で、パガン黄金期のなかでは初期にあたります。 五層のテラスをもつたいへん見事な仏塔で、国を統一したアノーヤター王の意気込みが伝わってくるようです。そびえる塔の台座は八角形にっており、少し変わっています。 「サンドー」とはピルマ語で「聖髪」を意味し、この仏塔の中にはモン族(タトオン国)の所有していた釈迦の遺髪が収められているといいます。 さらに以下はシュエサンドーパゴダの詳細解説です。 ◆シュエサンドーパゴダ hwesandaw Pagoda ・遺跡のタイプ : タイプ II パゴダ (Zedi) ・場 所 :オールドバガンの北東 ・地 域 : オールドバガン ・創健者 :アノーヤター王 ・創建年 :1057年 ・遺跡番号 :1568 1057年、アノーヤタ王がタトン(Thaton)を制服後に、シュェサンドウ・パゴダを建設しました。この美しい円形をしたパゴダは、彼が新たに支配した王国の中心に建設されたのです。パゴダは、象の頭をしたヒンズー教の神の像が5層のテラスの角角に設置されてからは、Ganesh あるいは Mahapeineとして知られています。 5段のテラスは赤褐色の額にジャラカス(Jalakas)からの場面、風景が掘られていましたが、これらの跡やその他の彫刻は、(元のものとは大きく逸脱して)大幅に手直しされてしまいました。 パゴダの鐘は、二つの八角形の底部から上げられ、5層の四角いテラスの頂上に位置します。これは、バガンの中で、階段を上って四角い底部から丸いパゴダの下の部分まで上れる最初の仏塔でした。このパゴダには、おそらく、タトンから持ち帰られた仏陀の遺髪が納められていると考えられています。 地震で倒れた傘蓋は、現在もパゴダ敷地内の外れに設置されています。新しい傘蓋は地震の直後に設置されました。 人々がテラスに登ることを許される以前は、そこはバガンの夕日を眺める絶好のスポットでした。しかし、今日では、遺跡をよい状態に保つため、階段は閉鎖されています。(実際には登れるので、この記述は古い記載と思われます。) 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2016-6-7 以下はシュエサンドーパゴダの平面図(レイアウト)です。 Source:http://bagan.travelmyanmar.net/shwesandaw-pagoda.htm つづく |