厳寒のロシア2大都市短訪 エカテリーナ2世 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロシア短訪・総目次に戻る <ロマノフ朝> ロマノフ王朝 ロマノフ家 ロマノフ家の人々 ロマノフ帝国 エカテリーナ1世 エカテリーナ2世 ◆サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg) サンクトペテルブルグ市紋章 ロシア帝国の大紋章(1882 ~1917年) ◆エカテリーナ2世 エカテリーナ2世(アレクセーエヴナ 1729年4月21日- 1796年11月6日は、ロマノフ朝第8代ロシア女帝(在位:1762年6月28日 - 1796年11月6日。夫はピョートル3世ならびにグリゴリー・ポチョムキン(秘密結婚)、子はパーヴェル1世ほかがいます。 プロイセンのフリードリヒ2世(大王)やオーストリアのヨーゼフ2世と共に啓蒙専制君主の代表とされています。ロシア帝国の領土をポーランドやウクライナに拡大し、大帝 (ヴェリーカヤ)と称されています。 ロシア帝政時代、ロシア帝国国立銀行が発行していた100ルーブル紙幣の肖像に描かれていたほか、沿ドニエストル共和国の国立銀行が発行する500沿ドニエストル・ルーブルにも描かれていました。 1910年発行の100ルーブル紙幣(ロシア帝国国立銀行が発行) Source:Wikimedia Commons By Bank of Russian Empire / Scanned and processed by Vizu - scanned note from own personal collection, Public Domain, Link 2004年発行の500沿ドニエストル・ルーブル紙幣(沿ドニエストル共和国国立銀行が発行) Source:Wikimedia Commons By Passportguy - http://www.cbpmr.net/?id=11&lang=en, Public Domain, Link 日本では従来「エカテリーナ」の表記が多かったのですが、近年は原音により忠実な「エカチョリーナ」の表記が普及してきました。またドイツ語や英語由来の「カタリーナ」(Katharina II.)、「カザリン」、「キャサリン」などの表記も散見します。 ◆ロマノフ王朝 ロシア帝国における歴代皇帝(インペラートル) 黄色は女帝
以下は、<ロマノフ王朝>のアンナ、エリザヴェータからエカテリーナ2世までの概要です。 1725年のピョートル大帝の死後、ロマノフ朝は常に継承問題に悩まされました。大帝の男子はこの時点で早世しており、残っていたのは大帝が殺害した皇太子の子・ピョートル2世のみでした。このピョートル2世は1730年に男子を残さずに早世し、この時点でロマノフ家の男系の嫡流は断絶したのです。 ピョートル2世の死後、傍系のアンナが継ぐも彼女にも子は無く、1740年には遂に姪の息子でわずか生後2ヶ月のイヴァン6世に跡を継がせました。しかし嫡流のピョートル大帝系のエリザヴェータによるクーデターが起こり、イヴァン6世は廃され、エリザヴェータが女帝として即位しました。 出典:東洋文化ミュージアム ロマノフ王朝企画展 しかし、彼女にも子が無く1762年に死去。甥のピョートル3世が跡を継ぐが、宮廷革命でドイツ人の皇后・エカテリーナ2世が即位しました。なお、ホルシュタイン=ゴットルプ家からピョートル3世を皇帝として迎えた時点で、以後はホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ王朝と呼ぶのが史実的には正しいといえます。なお、この過程でロマノフ家にはドイツ系の血が濃厚となりました。 エカテリーナ2世からアレクサンドル1世 エカテリーナ2世は積極的な対外進出を推し進める一方、様々な行政改革と近代化を行い、帝政の全盛期を現出しました。1796年の女帝の死後は息子のパーヴェル1世が跡を継ぎましだが、彼の父はピョートル3世ではなく(公式にはピョートル3世の息子とされている)愛人セルゲイ・サルトゥイコフ伯爵の息子ともされており、仮にそうなる場合はロマノフ家が断絶したと解釈することもできます。 出典:東洋文化ミュージアム ロマノフ王朝企画展 青山貞一・池田こみち:「美の極致」、極寒のロシア2大都市を往く 2017-2 エカテリーナ2世のモノグラム Source:Wikimedia Commons Glasshouse - 1791, 5 kopek coin, CC 表示-継承 3.0, リンクによる エカテリーナ二世 Source:Wikimedia Commons Follower of ヨハン・バプティスト・ランピ1世 - 美術史美術館, パブリック・ドメイン, リンクによる 1742年頃のエカテリーナ二世 Source:Wikimedia Commons Von Anna Rosina de Gasc - http://collection.nationalmuseum.se/eMuseumPlus?service=ExternalInterface &module=collection&objectId=15939&viewType=detailView, Gemeinfrei, Link クーデターを指揮する馬上のエカテリーナ(エリクセン画) Source:Wikimedia Commons ウィギリウス・エリクセン - http://www.ceremonija.lv/pages/maska.ru.php, パブリック・ドメイン, リンクによる 戴冠式でのエカテリーナ2世(エリクセン画) Source:Wikimedia Commons Автор: Эриксен, Виргилиус - smk.dk, Общественное достояние, Ссылка 1780年代、玉座の女帝 Source:Wikimedia Commons By Fyodor Rokotov - Unknown source, Public Domain, Link 晩年の女帝 Source:Wikimedia Commons Автор: Владимир Лукич Боровиковский - http://lj.rossia.org/users/john_petrov/416351.html, Общественное достояние, Ссылка サンクト・ペテルブルクの首座使徒ペトル・パウェル大聖堂に埋葬された エカテリーナ2世の棺。隣はピョートル3世の棺 Source:Wikimedia Commons By El Pantera - Own work, CC BY-SA 2.5, Link つづく ロシア正教会とはへ 総目次に戻る |