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厳寒のロシア2大都市短訪
 

血の上の救世主教会
建築

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年5月30日
独立系メディア E-wave Tokyo

無断転載禁
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 ・血の上の救世主教会
  概要  歴史  建築  内装  イコン


サンクトペテルブルグ(Saint Petersburg)
  サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群

    

血の救世主教会の建築

 血の救世主教会の建築に関しては、一般にサンクトペテルブルクにおける他の教会建築とは様式において異なると見なされます。

 ペテルブルクの主な教会建築物が、主としてバロックおよび新古典主義様式であることに比べ、この教会の建築はロマンチックなロシア・ナショナリズム、中世のロシア建築の影響を色濃く受けています。

 確かに玉ねぎのような形状の屋根や無数のモザイク画に彩られた壁面を見たとき、一般にモスクワの聖ワシリイー大聖堂(生神女庇護大聖堂)や、17世紀のヤロスラヴリの教会建築を思い起こさせます。



サンクトペテルブルクのセカンドガーデンブリッジ付近の
モイカ川の河畔から見てる血の上の救世主教会
Source: Wikimedia Commons
Fumihiko Ueno, CC 表示 3.0, リンクによる


 ピョートル大帝以来、西欧化を推進してきたロシアにおいては、建築においても伝統的なロシア様式が否定され、ヨーロッパの建築様式が主流となっていました。

 その西欧化を体現してきたともいうべき都市ペテルブルクにおいてさえ、聖ワシリー大聖堂のようなロシアを象徴する建築が無意識的に望まれてできたと考えられます。

  その一方で、聖ワシリー大聖堂と比較すると、全体の構成のより自由な点や優美さなどはモスクワに代表されるロシア的なものとは異質であり、やはり、ペテルブルクの建築であるとの評価もあります。

 血の上の救世主教会は、アレクサンドル2世の暗殺というロマノフ家にとっての悲劇がきっかけになって建立された建築物である。このため、『聖書』の中から悲劇的な要素の強い主題とした面積7500平方メートル以上のモザイク画によって壁面が装飾されています。

歴代ロシア皇帝, インペラートル) 11代から14代まで
歴代 皇帝 在位 備考
第11代 ニコライ1世 1825年-1855年 パーヴェル1世の子、アレクサンドル1世の弟。
第12代 アレクサンドル2世 1855年-1881年 ニコライ1世の子。「人民の意志」派の爆弾テロ(ロシア語版)により暗殺される。
第13代 アレクサンドル3世 1881年-1894年 アレクサンドル2世の子。
第14代 ニコライ2世 1894年-1917年 アレクサンドル3世の子。二月革命により退位。1918年に家族とともに殺害される(ロマノフ家の銃殺))。

 その一方で、教会は無数のトパーズ、青金石(ラピスラズリの原料)および他の半貴石で飾られていて豪奢な印象を与えているのも事実です。

 イコノスタシスは、ヴィクトル・ヴァスネツォーフ(Viktor Vasnetsov)、ミハイル・ネステロフ(Mikhail Nesterov)、(ミハイル・ヴルーベリ)らを含む当時のロシア最高の芸術家たちによって設計されています。

 主任設計士はアルフレッド・アレクサンドロヴィチ・パルランド(Alfred Alexandrovich Parland)である(彼の名前はロシアにおいてもほとんど知られていません)。



建物の色があまりよく出ていませんが、地の上の救世主教会
Source: Wikimedia Commons

 下の2枚の写真は、血の救世主教会の最も高い位置にある主塔とⅡ番目に高い位置にある副塔の拡大です。


サンクトペテルブルグにある地の上の救世主教会のキューポラ
Source: Wikimedia Commons
By Gzen92 - Own work, CC BY-SA 4.0, Link



サンクトペテルブルグにある地の上の救世主教会のキューポラ
Source: Wikimedia Commons


 以下の2枚で一セットとなっている図面は、1882年に行われた血の上の救世主教会の設計競技(コンペ)で上位第一位から第四位の作品です。

 ただし、実際に使われたのは以下の第一案ではなく、いわばそれぞれの案のいいとこ取りのように見えます(これは青山の私見)。


Antony Tomishkoによる血の上の救い主教会の設計案。
1882年の設計コンペ優勝作品
Source:Wikimedeia Commons


ntony Tomishkoによる血の上の救い主教会の設計案。
1882年の設計コンペ優勝作品
Source:Wikimedeia Commons



血の上の救世主教会の設計案。 Ivan Bogomolov作品
1882年の設計コンペへの登録作品
Source:Wikimedeia Commons


血の上の救世主教会の設計案。 Ivan Bogomolov作品
1882年の設計コンペへの登録作品
Source:Wikimedeia Commons



血の上の救世主教会の設計案。 Ieronim Kitnerと, Alexander Huhn.の共同作品
1882年の設計コンペにおける次席作品
Source:Wikimedeia Commons



血の上の救世主教会の設計案。 Ieronim Kitnerと, Alexander Huhn.の共同作品
1882年の設計コンペにおける次席作品
Source:Wikimedeia Commons



血の上の救世主教会の設計案。 Victor Schroeterの作品
1882年の設計コンペにおける第四位の作品
Source:Wikimedeia Commons


血の上の救世主教会の設計案。 Victor Schroeterの作品
1882年の設計コンペにおける第四位の作品
Source:Wikimedeia Commons



血の上の救世主教会
Source:Wikimedeia Commons



ロシア、サンクトペテルブルグの血の上の救世主教会大聖堂
Source:Wikimedeia Commons


つづく