厳寒のロシア2大都市短訪 レーニン廟 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2017年5月30日 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
ロシア短訪・総目次に戻る ・国立歴史博物館 クレムリンから赤の広場へ 国立歴史博物館 概要 ・赤の広場 赤の広場の歴史 現在の赤の広場 大祖国戦勝パレード レーニン廟 レーニン レーニン著作 ◆モスクワ市概要 ここでは、レーニンの概要について紹介します。 私たちは最後の前日、赤の広場に北側の国立歴史博物館の世ことを通り、正面にワシリー大聖堂の方向に進み増した。レーニン像は、向かって右手にあります。 下の地図では、左上から入り、レーニン廟の前を通り、聖ワシリー大聖堂に向かったことになります。 Sourde:グーグルアースより青山貞一作成 ◆レーニン廟 レーニン廟( Мавзолей Ленина)は、ロシア連邦モスクワ市中心部の赤の広場にあるウラジーミル・レーニンの霊廟です。 レーニン廟は、モスクワの中心、赤の広場のクレムリンよりの中央にあります。以下のグーグルアースの記したついた位置にあります。 レーニン廟はモスクワの中心、赤の広場のクレムリンよりの中央にあります 下の3枚の写真はいずれも、レーニン廟のものです。 Lenin's Mausoleum レーニン廟 Source:Wikimedia Coomons: By CaritasUbi - Own work, CC BY-SA 3.0, Link 下の写真は当日、近くを通ったときに撮影したレーニン廟です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2017-2 Lenin's Mausoleum レーニン廟 Source:Wikimedia Coomons By Grebol9 - Own work, CC0, Link レーニン廟の沿革 1924年にレーニンが死去した際、全国から弔問に訪れる人民のため、その遺体に保存処理(エンバーミング)が施され、赤の広場に建築家アレクセイ・シューセフの設計により、木造の遺体安置所が短期間(約3日間)で建設されました。 Mausoleum: ritual model Source:Wikimedia Coomons By Ю.Л. Шабельников, Ю.И. Фесенко - Ю.Л. Шабельников, Ю.И. Фесенко, via OTRS, CC BY-SA 3.0, Link 以下はレーニン遺体安置所を訪れるソ連市民の行列です。 レーニン遺体安置所を訪れるソ連市民、1925年 Source:Wikimedia Commons By Bundesarchiv, Bild 102-01169 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, Link レーニン廟の壇上に並ぶソ連首脳(右から、スターリン、ヴォロシーロフ、 カガノーヴィチ)と作家ゴーリキー、1931年 Source:Wikimedia Commons unknown; photo retake by George Shuklin - State museum of political history of Russia, パブリック・ドメイン, リンクによる 1930年により恒常的な施設として、現在の石造の廟を建設し、完成させました。 1953年にヨシフ・スターリンが死去すると、その遺体も保存処理が施されレーニンと並んで安置されていましたが、1961年の「第二次スターリン批判」にともなって撤去され、クレムリンの壁とレーニン廟の間にある英雄墓域に埋葬されました。 スターリン以後のソ連最高指導者のうち、在職のまま死去したレオニード・ブレジネフ、ユーリ・アンドロポフ、コンスタンティン・チェルネンコの3名もこの墓域に埋葬されています。 レーニン廟の壇上で宇宙飛行士(左から、ガガーリン、ポポーヴィチ、 テレシコワ)と談笑するフルシチョフ、1963年 Source:Wikimedia Commons RIA Novosti archive, image #159271 / V. Malyshev / CC-BY-SA 3.0, CC 表示-継承 3.0, リンクによる 赤の広場で行われる国家的行事に際しては、ソビエト連邦共産党・政府の首脳はレーニン廟のひな壇から観閲し、演説を行うのが慣例となっていました。レーニン廟に並ぶ指導者の顔ぶれや序列は、西側諸国のジャーナリスト・研究者にとって、ソ連指導部の動向を知る手がかりの一つでした(クレムリノロジー)。 レーニン廟前で演説するプーチン大統領、2001年 Source:Wikimedia Commons Автор: Kremlin.ru, CC BY 4.0, Ссылка ソビエト連邦解体後、何度も廟の撤去案が持ち上がっていますが、その都度多くの反対に合い、撤去されないまま現在にいたっています。2011年1月にロシアの政権与党である統一ロシアがレーニン廟撤去の賛否投票を行えるサイト(外部リンク参照)を立ち上げました。 2012年12月に大統領のウラジミール・プーチンは撤去反対派のロシア連邦共産党と軌を一にしてレーニンを聖遺物に準えて保存を主張して東方正教会の一部から批判を受けています。 改修 しかし、同年12月末には、著しく老朽化が進んだレーニン廟の本格的改修を行うことが決定しました。2013年4月まで改修工事が行われ、また、1993年秋まではレーニン廟の入口にも衛兵が立っており、クレムリンの鐘の音に合わせて1時間毎に交代をしていましたが、現在ではそういった光景は無くなっており見ることが出来ません。 構造 構造は、ジェセル王の階段ピラミッドや大キュロスの墓のような古代の霊廟からのいくつかの要素を参考にしています。内部では、「エンバーミング」という技術でレーニンの遺体が保存されています。この保存技術は旧ソ連で開発されたもので、レーニン廟付属研究所によるものです。 影響 レーニン廟の影響をうけ、いくつかの共産主義国家などで指導者の遺体が永久保存処理され、これを安置する廟がつくられています。 現在も設置されているもの ・ベトナム ホー・チ・ミン廟 ・中国 毛主席紀念堂 ・北朝鮮 錦繍山太陽宮殿 現在は撤去されたもの ・モンゴル スフバートル廟 2004年遺体撤去、2005年施設解体。 ・ブルガリア ディミトロフ廟 1990年遺体撤去、1999年施設解体。 ・チェコスロバキア ゴットワルト廟 1962年遺体撤去。 なお、キューバのチェ・ゲバラ霊廟は、チェ・ゲバラが1967年にボリビアで戦死したため、例外的に遺体そのものを欠いた形で出発しました。その後1997年にゲバラの遺骨がボリビアから返還され、これが納められています。 つづく |