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日蓮の歴史と足跡を刻む
桜の名所
洗足池②

青山貞一・池田こみち

29 March 2021  
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁


その1   その2   その3

 
やっと、洗足池とソメイヨシノの競演です。背景は弁天島です。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29

 
背景は弁天島です何といっても、まだまだCOLVID-19蔓延の最中の東京、マスク姿ですみません!


撮影:池田こみち  iPhone  2021-3-29



撮影:池田こみち  iPhone  2021-3-29



撮影:池田こみち  iPhone  2021-3-29

 
以下は千束八幡神社です


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29

千束八幡神社の由緒

 当社は千束八幡神社と稱し、平安前期の貞観二年豊前国宇佐八幡を勧請し往時の千束郷の總鎮守としてこの巒上に創建せられ、今日に至る。 遠く千百余年の昔より、この地の氏神として尊崇せられ、普く神徳を授けてこらる。

 承平五年、平将門の乱が起る。朝廷より鎮守副将軍として藤原忠方が派遣せられたり。乱後忠方は池畔に館を構え、八幡宮を吾が氏神として篤く祀りき、
館が池の上手に当たるに依りて池上氏を呼稱、この九代目の子孫が日蓮を身延から招請す、之池上康光なり。

 又八幡太郎義家奥羽征討の砌、この池にて禊を修し、社前に額つき戦勝祈願をなし出陣せりと伝える。源頼朝も亦鎌倉に上る途次、この地を過ぐるに八幡宮なるを知り、大いに喜び此処に征平の旗幟を建つる哉、近郷より将兵集まりて、鎌倉に入る事を得、旗挙げ八幡の稱あり。名馬池月を得たるも此処に宿舎の折なりとの傳承あり。

 尚境内に武蔵国随一と云われし大松ありしが、大正十三年惜しくも枯衰し今はその雄姿を見るすべもなし。

 古歌の
『日が暮れて足もと暗き帰るさに霊に映れる千束の松』と詠まれて居り、老松の偉容が想像されよう。

 斯の如く當八幡神社は城南屈指の古社にて亦名社なり。

出典:境内の掲示


 
対岸を見るとサクラ広場のソメイヨシノが満開です


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29



撮影:池田こみち  iPhone  2021-3-29

 
下は安藤広重が描いた洗足池です。


広重「名所江戸百景」に描かれた洗足池。
Source:Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンクによる


 下は、近くの多摩川からのカワウか、それとも東京湾からのウミウです。大きな羽を休めています。


撮影:池田こみち  iPhone  2021-3-29


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29

 この辺り、陸側は高級住宅地となっていますが、その一角にシャクナゲが咲いていましt。あたかも、練馬区の石神井公園のようです。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29

 池の杭にひとつ杭を飛ばしてカモメが並んでいます。城南の公園ならではの野鳥ですね。石神井公園にカモメは来ませんので。今時らしく、ソーシャル・ディスタンスを守りながらの羽休め。手前の花桃の白と色がコーディネートして綺麗です。


撮影:池田こみち  iPhone  2021-3-29

 池に打ち込まれた木の杭の上で休むカモさんです。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900  2021-3-29
 


③につづく