ウズベキスタン現地予備調査 カラーン・モスク at Kalyan Mosque 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年3月7日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
<全体メニュー・中央アジア> タキ アブドゥールアジズ・ハン・メドレセ ウルグ・ベグ・メドレセ カラーン・モスク カラーン・ミナレット ミル・アラブ・メドレセ 私達がブハラで滞在したホテルは、カラーン・ミナレットやカラーン・モスクのすぐ隣にあります。 下はウルグベグ・メドレセを視察後、カラーン・モスクに向かう途中で撮影した写真です。 ミル・アラブ・メドレセの外壁は写真のように工事中でした。今回私達がウズベキスタンに来たのは真冬の2月、この時期は完全にシーズンオフです。おそらくこの種の改修、修復工事はシーズンオフに集中的に行っているようです。 ミル・アラブ・メドレセの外壁の修復工事 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 下はカラーン・モスク、カラーン・ミナレットに行く途中にあるミル・アラブ・メドレッセの外壁です。かなり風化、破壊が進んでいるようです。また何回かの修復により外壁がつぎはぎとなっていることがわかります。 ミル・アラブ・メドレセの外壁 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 下がカラーン・ミナレット(尖塔)とカラーンモスクの入口です。 下の写真にあるカラーン・ミナレット(尖塔)は「チンギスハーンがブハラに攻め入ったとき、あまりにも素晴らしい構造物なので破壊しなかった」という代物です。確かに素晴らしいです。 カラーン・ミナレット(中央の塔)とカラーンモスク(右) 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 下は数あるブハラの世界遺産のなかでも最も秀逸なカラーン・モスクのエントランスです。キリスト教のカテドラル、教会のファザードに相当する部分です。上の写真の右側にある建築物です。 カラーン・モスクのエントランス 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 下の写真はカラーンモスクの内部です。 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 ところでカラーン・ミレットは、尖塔の高さ47m、地下が10mもある巨大な構造物です。そのとなりにある大きなメドレセは、ブハラにある現役の2カ所のひとつで、昨日訪問した時はちょうど授業の最中でした。 いずれにしても、シルクロードの中心の一つ、ブハラの旧市街はイスラムの精神文化は衰退しているようですが、往時のまちなみと景観は健在であり、中央アジアのかけがえのない記憶だけでなく実在する場所であることに変わりありません。 皮肉にもソ連時代の文物の破壊はCISロシアになってから180度変わり文物の保存になっています。 また現在、ウクライナ問題でロシアは、欧米、日本から激しい経済制裁を受けていますが、ウズベキスタンを中心に中央アジア諸国、コーカサス諸国はロシア支援で様々なモノの輸出特需となっており、ウズベキスタンからは主に野菜を輸出しているそうです。 ブハラの旧市街に来ていると、400年一日のような「悠久の歴史」を感じるとともに、西欧近代化が人間社会にもたらしたものの大部分が資源、エネルギーの浪費であるとさえ思えます。 ブハラは、以前でかけたポーランドの 古都クラクフやバルト三国の古都など、キリスト教諸国の古都を訪問したときのトキメキとはまったく異なった衝撃をうけました。これは青山が過去出かけたイスラム系の国々とも違う大きな衝撃を受けています。 ◆カラーン・モスク Kalyan Mosque 下は、宿泊先ホテルからほど近い、カラーン・モスク、カラーン・ミナレット、ミル・アラブ・メドレセなどが集中する地域の衛星写真です。ウズベキスタンでは、モスクなどの宗教施設、公共施設それに一般家庭まで中庭付きとなっています。 この航空写真を見ると、ブハラの歴史地区にあっても、ほぼすべての建築物に中庭があることがよく分かります。 下の写真では、ほぼ中央にカラーン・ミナレットがあります。 出典:グーグルアース 衛星写真 出典:グーグルアース 衛星写真 多くの建築物が立ち並ぶブハラの中でもカラーン・モスクはひときわ目をひくランドマークそしてモニュメント的な建築物といえるでしょう。 古来よりこのモスクは、住民、市民誰もが礼拝できる金曜モスクです。 カラーン・モスクが現在の敷地に最初に建てられたのは8世紀が最初ですが、最初の建築物は13世紀のチンギスハーンのモンゴル来襲時にことごとく破壊されています。 現在のカラーン・モスクは16世紀、シャイバーニ朝の時代に建てられたものです。 名前が示すとおり大変大きな建築物で、1万人もの信者が同時に礼拝できます。チンギス・ハーンがブハラを征服するとき、宮殿と間違えてモスクを破壊したという話もあります。 宗教が否定されたソ連時代、このモスクはは何と倉庫として利用されたそうですが、1970年代より改修が進められ、ウズベキスタン独立後、再びモスクとして利用されるようになっています。 カラーンモスク 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25
このカラーン・モスクの広場には礼拝のとき1万人規模のブラハ市民が集まるといいます。 カラーンモスク 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 カラーンモスクにて 撮影:Nikon Coolpix S8 2015-2-25 下はカラーン・モスクの回廊を写したものです。 カラーンモスクの回廊 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 カラーンモスクの回廊 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 カラーンモスクの回廊 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-25 カラーンモスク 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 モスクの中にはカソリックのキリスト教のように崇拝の対象物はまったくなく、あくまで礼拝を行うための場となっています。 下は礼拝時に使われる設備です。具体的には解説をお読みください。写真の中にあります「くぼみ」と「階段」について説明しています。 カラーンモスク 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25
カラーンモスク 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 以下の写真はカラーン・モスクの平面図を示したものですが、→があるので、非常時の退出を示しているのかも知れません。。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 ところで、このカラーンモスクを視察していたところ、ウズベキスタンの若い三人組が入ってきました。聞けば、そのうちの2人はイギリスのロンドンで行われたパラリンピックに出場したアスリートの若者とのことです。 一人はジャンプ、もう一人は陸上の短距離などの選手、そのうちの一人は、盲目の選手、2020年の東京オリンピックにもぜひ参加したいとのことでした。 下の写真は彼らとは一緒に撮影した写真です。 ブハラのカラーンモスクマで撮影したイギリスのロンドンのパラリンピックで活躍し若者 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-2-25 ブハラのマドレセで撮影したイギリスのロンドンのパラリンピックで活躍した選手と一緒に 撮影:池田こみち:Nikon Coolpix 6400 実はウズベキスタンの3人の若者には、翌々日、ブハラからサマルカンドに行く特急列車のなかで再会することになります! つづく |