ウズベキスタン現地予備調査 ブハラ2日目 チョル・パクル・ネグロポリス1 Chor Bakr Negro Ptolis 1 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 掲載月日:2015年3月7日 独立系メディア E−wave Tokyo 無断転載禁 |
<全体メニュー・中央アジア> 早朝の歴史地区散歩 チョル・パクル・ネグロポリス1 ネグロポリス2 ネグロポリス3 ネグロポリス4 ネグロポリス5 ◆ブハラのイスラム建築物の歴史と現状 ブハラでの2日目、この日は朝から夕方までブハラ市の郊外にあるモスク、墓地、メドレセ、宮殿などイスラム建築について、またイスラムの精神文化や生活について「私立学芸員」の解説を聞き、いろいろ質問します。この日は、結果的に丸一日、昼食抜きで視察しまくりました。 そしてこの日はチョル・パクル・ネグロポリス、通称「死者の町」に始まり王制最後の時代の夏の宮殿や「第二のメッカ」といわれる国立のモスク、女性用モスク、墓などをじっくり視察し、イスラム本来の精神文化を学ぶことができました。 車で移動中、私達はさまざまな質問を遠慮なく連発しましたが、「私立学芸員」というだけあって、なんにでも答えてくれました。これには脱帽です。 たとえば、ウズベキスタンはソ連の占領下にあった約70年間、イスラム教が禁止されていたも同然だったこともあって、ブハラでに360カ所もあったモスク、80カ所あったメドレセ、38あったキャラバンサライ、45あったバザール、16あった公衆浴場、6つの交易所などが大幅に減ったとのことです。 チョル・バクールのミナレットとブルーのドーム 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-2-26 現役のメドレセ(神学校)はわずか2カ所となるなど、建築物が残っていても、利用されず、廃墟化がすすんでいるそうです。 独立後、とくに世界遺産に登録されて以降は、国、地域一体となって廃墟化するのを押し止めているそうですが、今回の現地視察では、多くの使われていないメドレセがあり、往事の壁や天井のタイルが剥げ落ちたり、ドームが落下しつつある現状をみることができました。 ブハラにあるそれら廃墟化しつつある建築物を、たとえば日本からの経済的支援により蘇生できたらと思うのは私達だけではないでしょう。ただし、通常の観光では、ただ世界遺産、それも秀逸な世界遺産を一通り見学するだけですので、上記のような現実を目の当たりにすることはないと思います。 ◆チョル・バルク ネクロポリス(Chor-Bakr Necropolis, 死者の町)に向かう ブハラ滞在2日目、最初に訪ずれたのは、ブハラの中心から西に5kmほど行ったスミタン村にあるチョル・バクルネクロポリスです。このチョル・バクルネクロポリスは「死者の町」とも通称されているモスク、ハナカ、霊廟、墓地などの一大複合施設です。 私立学芸員君は、昨日、チョル・バクルネクロポリスはブハラ中心部から10km以上離れた郊外にあると言っていたのですが、帰国後、地図上見るとブハラの中心部からはわずか約5kmです。 下のグーグルアースの地図は、ブハラの中心部(歴史地区)とチョル・バクルネクロポリスの位置関係を示しています。ブハラの歴史地区からはM37という一般道路一本で西に向います。スミタン村に入ってすぐのところにチョル・バクルネクロポリスはありました。 出典:グーグルアース: ブハラ中心部とチョル・バクルネクロポリス 私立学芸員君は10kmと言った手前なのか、時間稼ぎかどうか分かりませんが、かなり遠回りしました。おそらく時間で3倍ほどかけ「チョル・パクル・ネグロポリス」に到着しました。 実はこのようなことは、海外、とくに途上国でよくあることです。以前、青山がメキシコのアカプルコに出かけた際、タクシーに乗って目的地を告げたのですが、かなり走って到着したのは、乗車した位置からほど近い場所でした(笑い)。 下のグーグルアースの地図で見ると、M37号線の北側、Chor Bakr Memorial Complex とあるのがチョル・バクルネクロポリス、「死者の町」を意味します。周辺は住宅地です。 出典:グーグルアース: 地図ではM37号線の北側、 Chor Bakr Memorial Complex とあるのがチョル・バクルネクロポリス ウズベキスタンの住宅地は、「中庭がある」と聞いていましたが、航空写真からはそれがすぐにわかります。下の衛星写真を見ると、どの家にも中庭があり、歩いてみると道路側にはどの家も立派な扉があります。欧米の住宅地のようにいわゆるセットバックはせず、それぞれの家が道路一杯まで建築する代わりに、必ずどの家も中庭をもっています。 出典:グーグルアース 下のグーグルアースがチョル・バクルネクロポリスの拡大衛星写真です。 左半分で白色や灰色に見えるのがお墓、墓地です。右半分にモスクとミナレット、ハナカなどがあります。 出典:グーグルアース Chor Bakr Memorial Complex (チョル・バクルネクロポリス) さらに、以下はグーグルアースで3次元立体で見たチョル・バクルネクロポリスのモスクと霊廟部分です。入り口は右側の中央にある道をさらに右側に行ったところにあります。 出典:グーグルアース Chor Bakr Memorial Complex (チョル・バクルネクロポリス) このチョル・バクルネクロポリスは、ある意味、サマルカンドにあるシャーヒッズィンダ廟群に似たものと言えますが、シャーヒッズィンダ廟群のように40もの霊廟が丘に連なって存在する型式とは大きく異なっています。またブハラの中心地から離れているからか、私達が訪問した際、ほとんど礼拝者はいません。まして観光客は皆無でした。 ところで、名称となっているチョル・バクルは、4人のバクルという意味です。預言者ムハンマドの一族である初代カリフのアブ・バクルとその兄弟がここに葬られたいう伝承から、ウズベキスタン国内外でこのチョル・バクル ネクロポリスは大きな信仰を集め、往事のブハラの有力者は、この「チョル・バクルネクロポリス」にこぞって自分の墓をもうけたそうです。 16世紀になり、アブドゥーラ・ハンがモスク、メドレセ、ハナカなどを複合的(Memorial Complex)にこの地に設けて以来、ブハラのハン一族もここに葬られるようになったとのことで、ブハラを代表する一大墓地であり霊廟であると言えます。 つづく |