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佐渡現地視察総合目次 鎮目市左衛門の墓 佐渡金山、旧中心地相川町 佐渡金山、旧相川町の町並 資料によると、江戸時代(慶長年間)に、相川地区に金銀山が発見され開発のために日本全国から多くの人々が相川地区に集まっていたという。 当時の人口は3〜4万人にも達していたということなので、山師や鉱山関係の技術者だけでなく、商業、行政関係者などさまざまな職種の人々が集まり活況を呈していたことが想像に難くない。 そうしたことを背景に、相川地区には当時80を超える寺院が建立され、人々の生活のよりどころとなっていたようだ。祭りや弔い、人々の生活の安定を祈る場として多くの寺院が地域に今も残っているのはその名残であると思われる。 以下は現在の相川及びその周辺の寺院、神社の分布。拡大するとこれ以外にも、寺院や神社があることが分かる。 出典:グーグルマップ 出典:グーグルマップ 以下は相川町の史跡散歩地図である。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 西側の海沿いには、現在でも相川〇〇町という地名がたくさん残っている。現地には虫食い的に古い町並みが多数残っているが、夥しい数の電柱とともに、往時の相川を知るのは難しい。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下はガソリンスダンドを見つけるため佐渡奉行所から海沿いに下りる途中に発見した古い洋風の建物。これは 1970年まで旧税務署、その後、図書館として利用されているという。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 なお、新潟県佐渡市の重要伝統的建造物群保存地区は南部の宿根木の町並みだけであり、相川地区には存在しなかった。 以下は数少ない歴史的町並みの写真。出典は佐渡市。写真は相川の「京町」。 出典:佐渡市 出典:佐渡市 ちなみに、以下の写真は佐渡奉行所の敷地の海側から撮影した旧相川の町である。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 下はグーグルストリートビューで見た相川の海沿いの町(ほぼ上の写真に相当する)。 出典:グーグルストリートビュー 出典:グーグルストリートビュー つづく |