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世阿弥と日蓮の足跡をたどる佐渡の旅

佐渡の旅を終えて

〜エピローグ〜

青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda
2018年9月18日公開
独立系メディア Media E-wave Tokyo  
無断転載禁
佐渡現地視察総合目次     

  よろこんで(食堂)3   両津港から新潟港へそして東京
  佐渡の旅を終えて


 かくして私たちの佐渡の旅は終わった! 

 実質2日間の滞在という非常に短期間の旅だったが、毎日、午前4時起きで、当初予定した目的地だけでなく、当初予定しなかった佐渡の史跡、旧跡、名所を多数視察することができた。

 思えば2018年8月上旬、ふと思いついた北軽井沢から佐渡への旅であった。宿泊場所を調べたらどこもかしこも、満員。最後にWebで行きあたったのが両津湊の金沢屋旅館だった。その金沢屋はお盆中は食事の提供は無理と言われ、いろいろ探し、最後に見つけたのが両津港フェリーターミナル3階の「よろこんで」という大食堂だった。

 ブログに書いたように、この「よろこんで」では魚介を生かした素晴らしい夕食を存分に連日いただくことができ、最後の日には女将にお土産までいただいた。

 今回の佐渡の旅行では、当初の目的である「世阿弥と日蓮上人の足跡を辿る旅」をほぼフォローすることができた。もちろん、いくつか寺院、能舞台などで行けなかった場所もあるが、それでもわずか実質2日間の滞在としては上々の成果であると思う。
 
 北部、民俗博物館など今回断念した地域、施設もあったが、本127本のブログにあるように、ほぼ所期の目的を十二分に達成することができた。できれば次回、佐渡を訪問したときに補完できればと思う。

 旅行中残念だったのは、8月16日に台風の関係で大降雨があったことだ。しかし、機転を利かせ、一番激しく雨が降る最中は佐渡金山の宗太夫抗の中でジオラマをとみることとした(笑)。これが功を奏した。遊道抗トンネルを出た時点では小ぶりとなっていた。

 さらに偶然入った佐渡博物館には佐渡の能楽や能舞台の充実した展示があり、池田がメモを取り、そのごの能楽舞台視察に生かすことができた。これも12か所の能舞台のうち、現地視察できたのは5カ所だが、残りは次回の訪問時に視察したい。

 ところで、流罪地である佐渡だが、佐渡に流されたのは順徳天皇、日蓮上人、世阿弥と、日本の歴史上、日本の文学、宗教、能楽など、精神文化において最も偉大な業績を残した人物ばかりであり、それらの人々が佐渡に流刑となったことで、佐渡は日本有数の歴史と文化を今なお感ずることができる場所となったと思う。

 しかも、順徳天皇、日蓮上人、世阿弥はいずれも地形、気象を含め厳しい環境下での生活を余儀なくされながら、いずれも多くの文学、宗教、能楽にかかわる書などを、この地にそして後の日本文化の発展に大きな足跡を残している。

 佐渡といえば、とかく「金山とトキ」見学となりがちだが、上述のように、たまたま佐渡が京や鎌倉からの流罪地となったことで、佐渡は日本ではまれにみる中世以降の文化のエスプリを素晴らしい自然、地形、環境の中で体感できる場所となっている。

 ぜひ、多くの方々に「金山とトキ」見学に加え、「世阿弥と日蓮上人の足跡を辿る旅」を味わってほしいと思う。

 短期間であるが、お盆の中3泊の宿を用意してくれた両津港の金沢屋のご夫妻に心から感謝の意を表したい。

 以上、青山貞一。


 以下、池田こみち。

 今回の佐渡の旅は青山が事前に訪問先を調べてはいたものの、見所が余りにも多く帰ってきてから整理してみたところ、漏れがたくさんあることがわかった。

 とはいえ、群馬県北軽井沢から関越⇒北陸道⇒佐渡周遊⇒関越⇒東京と往復800kmほどを走破し、正味二日間と数時間の佐渡の滞在時間を最大限がんばって視察でき、大成果だった。

 途中、懸案だった出雲崎町にも寄ることができて、初めての佐渡旅行は意義深いものとなった。

 トキにはやや興ざめしたが、次回は、佐渡の田畑、自然の中で優雅に飛び歩く姿を是非見たいものである。

 もうひとつ忘れてはならないことは、柏崎刈羽原発周辺の暗い雰囲気である。再稼働していないためなのか、道路は整備されていても町は死んだような静けさで、人影も少なく活気もなかった。改めて原発との共生の難しさを感じたことも付け加えておきたい。

 本稿はこれで終了。