メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 エディンバラ城に入る Enter Edinburgh Castle 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* エディンバラ城に入る 外部防御 ポートカリス門とアーガイル塔 ハーフムーンバッテリー 王冠広場と王宮 グレートホール 戦争記念館 聖マーガレット教会堂 アン王女の建物 国立戦争博物館 ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 ◆エジンバラ城に入る ここでエディンバラ城に入ってみます。 エディンバラ城への入口 source:Wikimedia Commons Public Domain, Link エディンバラ城の入り口にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 エディンバラ城の入り口にて 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 以下はエディンバラ城の施設配置図です。敷地はそれほど広くはなく、岩山の上の要塞となっています。これはスコットランドの城全般について言えることです。度重なるイングランドの襲撃に対応する配置、構造といえます。 |
以下はエディンバラ城の平面図です。 エディンバラ城の主要施設配置図 A:遊歩道 B:門塔 C:入場券売場 D:落とし格子門と菱形模様の門 E:菱形砲台 F:ミルズマウント砲台と大砲(ワンオクロック砲) G:カートを入れる小屋 H:西側防衛 I:病院 J:丸太砲台 K:スコットランド国立戦争博物館 L:総督(知事)官邸 M:新兵舎 N:軍事刑務所 O:ロイヤル・スコッツ博物館(スコットランド皇室博物館) P:フージの門(要塞への主要な入口) Q:貯水池 R:モンス・メグ(中世の 射石砲) S:動物墓地 T:セント・マーガレット礼拝堂(教会堂) U:半月型砲台 V:王冠広場 W:宮殿 X:グレートホール Y:アン王女棟 Z:スコットランド国立戦争記念館 Plan of Edinburgh Castle Key: A Esplanade ・ B Gatehouse ・ C Ticket office ・ D Portcullis Gate & Argyle Tower ・ E Argyle Battery ・ F Mills Mount Battery & One o'Clock Gun ・ G Cartsheds ・ H Western Defences ・ I Hospital ・ J Butts Battery ・ K Scottish National War Museum ・ L Governors House ・ M New Barracks ・ N Military Prison ・ O Royal Scots Museum ・ P Foog's Gate ・ Q Reservoirs ・ R Mons Meg ・ S Pet Cemetery ・ T St. Margaret's Chapel ・ U Half Moon Battery ・ V Crown Square ・ W Royal Palace ・ X Great Hall ・ Y Queen Anne Building ・ Z Scottish National War Memorial source:Wikimedia Commons CC 表示-継承 3.0, リンクによる 主要施設 デイヴィッズ・タワー デイヴィッズ・タワーは、1376年にデイヴィッド2世により建設が委任された。当時の主流の建築であり、城の主要な入り口でしたが、のち塔が宿泊する客人や貴族のため拡張され、原型の入り口はゲスト・ハウスに塗り込められました。 カトリックを信仰した女王メアリー1世は1567年にプロテスタントのジェームズ・ヘップバーンと結婚し、これに反対する貴族たちの大規模な反乱を引き起こしました。 反乱軍側に投降したメアリーはロッホ・リーヴン城へ監禁されました。メアリーに忠誠を尽くす一部の貴族の助けを借り、彼女は城から逃亡しイングランドへ亡命しました。 エディンバラ城守護だったウィリアム・カークルディーは一年余り城に立てこもこりました。幼王ジェームズ6世(のちのイングランド王ジェームズ1世)の摂政モートン伯ジェイムズ・ダグラスは、エリザベス1世より支援を受け、砲撃と銃撃でデイヴィッズ・タワーを崩壊させました。 城の陥落後、ウィリアム・カークルディーは絞首刑にされ、ハーフ・ムーン・バッテリーを含む多くが再建されました。 半月型砲台広場 ハーフ・ムーン・バッテリー 半月型砲台広場 ハーフ・ムーン・バッテリー Half Moon Batery source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ハーフ・ムーン・バッテリーは、古いデイヴィッズ・タワーの後に建設された砲台です。この壮大な防衛の設備は今日も城の東側を占めています。かつてディヴィッズ・タワーの客室であった部分は、冬の間だけ軍事用ハトの小屋にされたりしていました。 クラウン・スクエア クラウン・スクエア source:Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0 de, Link クラウン・スクエア 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 クラウン・スクエアは城の頂上の砦である。スクエアの北側に国立戦争記念館、東側にロイヤル・パレス、南側にグレート・ホール、西側にクイーン・アン棟があります。 キングズ・ロッジング 15世紀から、かつて王族の居室のあった部分です。メアリー1世が嫡子ジェームズ6世を生んだ産室、またはメアリー・ルームも含みます。 グレート・ホール グレート・ホール Source:Wikimedia Commons By Mike Pennington, CC BY-SA 2.0, Link グレート・ホール 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 グレート・ホールは1511年、ジェームズ4世の命令で建てられた。スコットランド議会の会議場として使われましたた。現在時折儀礼的行事に用いられています。 クラウン・ルーム スコットランド王家の宝冠や宝石類が展示されています。宝冠は1540年に作られ、スコットランド産の金、94個の真珠、10個のダイアモンド、33個の貴石と半貴石でできています。 スコットランド王が代々戴冠してきた運命の石と呼ばれる『スクーンの石』も展示されています。この石は長くウェストミンスター寺院で保管され、イングランド、イギリスの代々の王が戴冠に用いてきましたが、1996年にスコットランドへ返還されています。 聖マーガレット教会堂 聖マーガレット教会堂 Source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 聖マーガレット教会堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 聖マーガレット教会堂 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 聖マーガレット教会堂は、エディンバラ、また城内の中で最も古い建物です。12世紀に建設が始められた。デイヴィッド1世が、1093年にエディンバラ城で亡くなった母マーガレットに捧げ、王家の私用礼拝堂として建てられました。 ロバート1世は、バノックバーンの戦いに敗れイングランド軍に捕らえられるのを避けるため、配下の司令官初代マリ伯に命じて城を破壊させました。しかし彼は行いを悔い教会堂の改修を依頼した。最大25人程度しか入らない教会堂ですが、結婚式や洗礼式といった宗教行事に多く使用されています。 モンス・メグ モンス・メグ source:Wikimedia Commons CC BY-SA 2.0, Link モンス・メグ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 15世紀、北側にむけ6トンもの巨大な大砲が設置されていました。150キロの砲丸が使われ、メアリー1世とフランス王太子フランソワ(のちのフランソワ2世)との結婚を祝い1558年に打ち上げられました。 ミリタリー・タトゥー ミリタリー・タトゥー source:Wikimedia Commons CC BY-SA 3.0, Link 8月に行われるスコットランド駐留部隊のパレードで、バグパイプとドラムを演奏し行進します。外国からパフォーマーを招待することもあり、2006年にはウガンダの孤児たちのコーラス隊が、2017年には日本から陸上自衛隊中央音楽隊が参加しました。パレードのクライマックスは、バグパイプによる『ピルブロッホ』の独演です。 ワン・オクロック・ガン ワン・オクロック・ガン source:Wikimedia Commons , Public Domain, Link ワン・オクロック・ガンとは、日曜を除く毎日ほぼ13時きっかりに、エディンバラ城に設置されたガン、大砲で行われる空砲です。 1時ちょっと前に、兵士が登場し儀式めいたやりかたで空砲を1発打ちます。その時刻になると観光客が見物に集まります。元々は、フォース湾を航行する船乗りたちに正確な時刻を教えるためであったといいます。 昔は、時計の時刻を正確に合わせておかなければ遭難しかねなかったのです。なぜ定時を教えるためだというのに、きっかり12時ではなく、(常識的に言えば半端な)1時に行うのか? と言うと、12時だと空砲を12回打たねばならず、打つたびに(火薬を使い)砲身を12回も掃除しなければならないのですが、1時ならば1発で済むから倹約できる、合理的だ、とスコットランド人は考えたからだといいます。 この銃砲は、2マイル離れたリース・ハーバーに停泊する船にもたやすく聞こえます。この音で市民や観光客が自分の時計の時刻あわせをしていました。 かつては口径18ポンドの前装式大砲を使用していましたが、1953年には当時のイギリス軍主力野戦砲であった25ポンド野砲に更新され、現在は新たにイギリス軍の主力野戦砲となったL118 105mm榴弾砲がその役目を担っています。 「外部防御」につづきます スコットランド総目次へ* |