メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 ダンドレナン修道院2 Dundrenann 2 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* アロウェーの公園 ロバート・バーンズ ダンフリーズ1 ダンフリーズ2 ダンフリーズ3 ダンフリーズ4 ダンドレナン修道院1 ダンドレナン修道院2 ダンドレナン修道院3 ダンドレナン修道院4 ダンドレナン修道院5 ダンドレナン修道院6 以下はダンドレナン修道院の告知板です。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 ◆ダンドレナン修道院の概要 スコットランド南端、イングランドとの境界のスコットランド側にあるダンドレナン修道院は、1142年、ギャロウェイ領主ファーガス 、スコットランドのデヴィッド1世I(1124-53)、リーヴォール修道院跡の修道士によって1142年に設立されたロマネスク様式のシトー会の修道院です。 その後、ダンドレナン修道院は幾たびかの戦いにより広範囲にわたって破壊されれていますがトランセクトなど、主要な建物で破壊を免れたものもあります。 ダンドレナン修道院はシトー修道会の厳格な理想を反映し、その建築の純粋さと控えめな慎み深さが注目されています。また、非常に荒れた灰色の砂岩から作られており、元の建築様式とモールディングはよく今なお保存されています。 スコットランドの女王メアリー・スチュアートは、スコットランドのラングサイド戦のあと、1568年にスコットランドのこのダンドレナン修道院で最後の夜を過ごしています。 その後、隣のポートメアリーから、メアリーはソルウェイ湾を横断してワーキングトンに渡り、すぐ後にイングランドのカーライル城に投獄されました。 下は想定ルートです。 出典:グーグルマップ 1587年に、スコットランド改革に続いて、ダンドレナン修道院の土地は王に渡されました。さらにその後、家畜を収容するのに使われた後、そのダンドレナン修道院の場所は荒廃し、廃墟化しました。 しかし、スコットランド歴史遺跡保存機構は、ダンドレナン修道院を記念碑及び歴史的建遺跡としてリスト化し、今日の修道院の遺跡を維持しています。 以下はダンドレナン修道院の遺跡です。修道院の遺跡は広大な敷地のなかに点在しています。 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix s8 撮影:池田こみち Nikon Coolpix S10 ダンドレナン修道院 Source:Wikimedia Coomons , CC BY 2.0, Link 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 ダンドレナン修道院 Source:Wikimedia Coomons By Astrid Horn, CC BY-SA 2.0, Link ダンドレナン修道院 Dundrennan Abbey at dusk Source:Wikimedia Coomons By Dr Neil Clifton, CC BY-SA 2.0, Link 「ダンドレナン修道院3」につづきます スコットランド総目次へ* |