メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 カーライル Carlisle 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* カーライル カーライル城1 カーライル城2 カンブリア軍事博物館 コッカーマス ◆出典、翻訳等について 本稿では、現地調査時に入手した資料、撮影した写真以外に、概要、歴史などでは日本語、英語のWikipediaを、また写真についてはWikimedia Commonsを、さらに地図についてはグーグルマップ、ストリートビューを使用しています。その以外については逐次出典を付けています。さらに、Wikipedia の英文版など外国語版などについては、逐次池田、青山が日本語訳しています。 ダンドレナン修道院を視察、参拝したあと、私たちは、はじめてスコットランドからイングランドに向かいました。行き先はカーライル城があるカーライルです。 もっぱら、メアリー女王は、ダンドレナン近くのメアリーポートから船でカーライルに向かっています。 ◆カーライルの概要 (Carlisle) 出典:グーグルマップ 出典:グーグルマップ カーライル (Carlisle)は、イギリス・カンブリア州の都市です。 人口は71,773人(2001年)。シティ・オブ・カーライル主要なエリアを占め、周辺地域を含んだシティ・オブ・カーライルとしては、100,734人の人口を抱えます。 イングランドの歴史的行政区画カンバーランドの町として、スコットランド国境に近いことから軍事の要所とされてきました。1092年にウィリアム2世の命令でカーライル城が建てられ、一時スコットランド女王メアリー1世が幽閉されていました。 由来 古代ローマ人は、現在のカーライル付近の自分たちの居住地をLuguvaliumと名付けましsた。しかし、11世紀から12世紀頃の文書には、Caer Luel、またCael Llewelynと記録されていた。Caerとは城と同義です。 Luelとはウェールズ語で人名を意味し、ローマ人がやってきてローマ化されるまではウェールズ語を話す人々が定住し続けていたことを意味しました。 カンブリアは9世紀にはケルト王を抱くストラスクライド王国の支配下にありました。ウェールズ語の名前が一部復活した。現代ウェールズ語でカーライルは"Caerliwelydd"といいます。 関連ブログ ◆青山貞一:スコットランド独立の背景②ローマ帝国時代 ◆青山貞一・池田こみち:スコットランド+北イングランド現地調査報告 ~ローマ皇帝・ハドリアヌスの長城~Hadrian's Wall of Roman Empire An aerial photograph of Carlisle, Cumbria, England. カーライル聖堂 Source:Wikimedia Commns CC BY-SA 3.0, Link 歴史 ローマ時代 72年か73年頃、ローマ帝国がカーライルに丸太の砦を築きました。103年から105年頃に破壊されたため、二度目の砦が築かれました。165年頃、この砦は石造りに建て替えられた。のちにこの砦はカルヴェティ種族の首都となりました。 中世以降 カーライルはスコットランド国境最前の町であったり、時にはスコットランドのイングランド直近の町であったりした。2つの王国が軍事的重要性のあるカーライルを侵略、再獲得を繰り返したのです。 1745年12月、ステュアート家の王子チャールズ・エドワード・ステュアートは、カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス指揮のイギリス軍がカーライルを包囲する最中に捕らわれました。 翌1746年、チャールズ・エドワードを支持するジャコバイト軍が撤退する間、彼はマンチェスター連隊に要塞としてのカーライルを『イングランドで少なくとも一つの町を保持し続けるよう』命じました。 1916年、第一次世界大戦中、イギリス政府は町中のパブとビール醸造所の全てを接収しました。なぜなら、グレトナの軍需工場で働く労働者や建設作業員の間に、風土病ともいえる酒浸りが多かったからです。 地理 Carlisle from the castle By Alex, CC BY-SA 2.0, Nuoroda カーライル近郊にはイーデン川、カルデュー川、ペットリル川が流れています。ニューカッスル・アポン・タインの90キロ西、ランカスターの115キロ北、グラスゴーの145キロ南にあります。 近隣の村はロングタウン、ペンリス、ブランプトン、ウィグトン、ハッグベック、ハーカー、カーウィンリー、ブラックフォードなどである。 交通 南へ向かうM6自動車道、グラスゴーへ向かうM74自動車道が通ります。バス網は2社が参入している。イングランド西岸の主要駅カーライル駅もあります。交通渋滞が問題となっています。 貿易と産業 19世紀から20世紀初頭にかけ、カーライルは工業都市として多くの織物業工場、機械工業の工場、食品加工業の工場を抱えていました。その多くはデントン・ホルム区に集中していました。 19世紀初頭には、カルデュゲイトとカーライル港とをつなぐ水路が掘られた。水路はのち線路とするべく埋め立てられました。 2004年まで、カーライル最大の雇用主はノーザン・フーズ傘下のカヴァハン・アンド・グレイ社でした。2005年1月に工場が閉鎖されて近郊のイースタン・ウェイや他の工場へ分散されたため、ほぼ700人が職を失いました。 . 2005年3月28日、カーライルはフェアトレード都市の称号を得えました。 「カーライル城1」につづきます スコットランド総目次へ* |