メアリー・ステュアートの足跡を追って スコットランド2200km走破 セラフィールド核廃棄物再処理工場2 Sellafield Nuclear fuel reprocessing facility 2 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 2018年12月10日公開 独立系メディア E-Wave Tokyo 無断転載禁 |
スコットランド総目次へ* セラフィールド核廃棄物再処理工場1 セラフィールド核廃棄物再処理工場2 セラフィールド核廃棄物再処理工場3 ◆セラフィールドの概要 以下は現地調査時、2012年7月の概要です。 セラフィールド - 中央付近に見える煙突4本のうち右端の太い煙突が1957年に火災事故を起こしたプルトニウム生産炉 Source:Wikimedia Commons Attribution, Link セラフィールド (Sellafield) は、原子力廃止措置機関 (NDA) のもと、イギリスのセラフィールド社が管理する原子力施設です。 イギリス北西部の一角に位置してアイリッシュ海に臨む核燃料再処理工場群からなるこの施設は、その操業開始からというもの、北欧にまで至る広域的な海洋汚染や、幾度もの事故を背景とした周辺住民らへの深刻な健康被害などから論争を引き起こしてきました。 20世紀後半頃からは受け入れ使用済み核燃料の全収容量の4分の1近くが日本からのものに想定されていたほど日本との関わりが深く、2010年からは中部電力との独占契約状態にありました。 その中部電力の管理下にある浜岡原発の2011年における全面停止に伴い存続の危機が指摘されています。 セラフィールド工場の位置 Source:Wikimedia Commns CC BY-SA 3.0, Link 国 イングランド ・所在地 カンブリア・シースケール ・現況 運転終了 ・運転開始 1956年 ・運転終了 2003年 ・事業主体 NDA ・運営者 セラフィールド社 ・原子炉 ・運転終了 4 x 50 MWe, 1 x 24 MWe (net) ・4 x 60 MWe, 1 x 36 MWe (gross)・ 種類 マグノックス、AGRプロトタイプ 歴史 セラフィールドはもともと王立の軍需工場であり、第二次世界大戦においてはTNT爆弾などの砲弾を製造していました。 ウィンズケール ウィンズケール Source:Wikimedia Commns By Chris Eaton, CC BY-SA 2.0, Link 1947年、核兵器の材料となるプルトニウムの生産を行うため、ウィンズケール原子力研究所が着工されました。近くにあるプレストン市のウラン処理工場 Springfields と名前が似ていることから、混乱を避けるためにセラフィールドではなくウィンズケール (Windscale)[5] の名前を採用しました。こちらも付近の村の名前に由来します。 1954年、イギリス原子力公社(英語版)(UKAEA: United Kingdom Atomic Energy Authority、現在は AEA Technology plc.)が設立されるとともに、ウィンズケール原子力研究所より所有権が移動されました。 1956年10月17日、ウィンズケールに隣接するコールダーホール原子力発電所が、マグノックス炉の方式で世界初の商用発電を開始し、名称も「ウィンズケール・アンド・コールダー研究所」 (Windscale and Calder Works) となりました。 なお、世界初の原子力発電所は旧ソビエト連邦のオブニンスク発電所です。 1957年10月10日、ウィンズケール火災事故が起きます。この事故は世界初の原子炉重大事故となりました。英国北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド核燃料再処理工場)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出しました。 避難命令が出なかったため、地元住民は一生許容線量の10倍の放射線を受け、数十人がその後、白血病で死亡しました。現在の所、白血病発生率は全国平均の3倍です。 当時のマクミラン政権が極秘にしていましたが、30年後に公開されました。 なお、現在でも危険な状態にあり、原子炉2基のうち一基は煙突の解体が遅れている状態にあります。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロを汚染し、ヨウ素(ヨード)の危険性を知らせたことで有名です。また水蒸気爆発のおそれから、注水に手間取りました。 1971年、核兵器の研究および生産拠点としての操業終了に伴い、新たに設立された英国核燃料公社 (BNFL: British Nuclear Fuels Limited) に生産部門が吸収統合され、ウィンズケールの施設の大半が BNFL の管理下となりました。 1973年、天然ウラン燃料生産用B204棟で大規模漏洩事故が発生。31名の労働者を被爆させ閉鎖となります。 参照 ※ ウィンズケール原子炉火災事故 セラフィールド 2005年のウィンズケール(セラフィールド) Source:Wikimedia Commns By Simon Ledingham, CC BY-SA 2.0, Link 1981年、ウィンズケール・アンド・コールダー研究所は施設の再編成に伴い、セラフィールドと改名しました。 UKAEA に残された施設は、戦後の核兵器の開発のために構成されたもので、現在もウィンズケールと呼ばれています。また、ウィンズケール原子炉は、改良型ガス冷却炉の原型となりました。 2003年、施設自体が老朽化していたこと、また英国内における電力自由化などの影響で採算が取れなくなっていたことも重なり、閉鎖が決定となりました。 2 007年9月29日、コールダーホール原子力発電所の4つの冷却塔が爆破解体されました。 セラフィールドは当初より、使用済み核燃料の再処理工場も多く保有していました。再処理が施されることにより、例えば日本の高速増殖炉もんじゅなどに利用されるMOX燃料の製造にプルトニウムを用いることが出来ます。他にも、ガンマ線照射用の線源としてセシウム137の抽出を行うなど、核分裂生成物を再利用するための努力も行なわれてきました。 「セラフィールド再処理工場3」につづきます スコットランド総目次へ* |