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(1)概要 (2)歴史 (3)景観 (4)建造物 (5)建造物 ■歴史的建造物、ランドマーク、現在の生活
T武器の広場(Square of Arms) 1.正門(Main Gate):海の門 都市国家コトールは城壁に囲まれている。正門は「海の門」といわれ、コトル湾に面している。 海側から見たコトル旧市街。高い壁がめぐらされている 2.時計台 コトルのシンボルとなっている建物である。1602年、アントニオ・グリマニ市長 (主席司祭)が統治する時代に建設が始まった。地震によって若干全体が西側に傾いている。当初は時計は一面だけだったが、フランス統治時代に南側にも時計を取り付けた。 4.旧市庁舎(Old Town Hall,1904) この建物は建設当初(1762)から20世紀初頭に至るまで、軍用の食物貯蔵を目的として使用されてきた。しかし、フランス統治時代の一時期、劇場としても用いられた。そのため、コトルの人々はこの建物をフランス劇場、あるいはナポレオン劇場などと呼んでいる。 5.武器の広場(Square of Arms) 正門を入るとすぐ広場となっており、広場を囲むように、宮廷・旧市庁舎・ヴェネチア時代の武器庫などが並んでいる。広場に入って最初に目に付くのが時計台である。 *モンテネグロ独立との関連でニューヨークタイムズ紙に掲載された武器の広場 Source: Independent and in Demand, New York Times 5.宮殿(Prince's Palace) 当初、宮殿は聖Tryphon広場に建設されたが、1667年の地震で壊滅的な被害を受け、その後現在の西側の武器の広場に1763年に建設された。その後も、この建物は軍隊の様々な目的のために利用されてきた。 コトルの歴史的建造物、遺産をあしらったモンテネグロ(Crna Gora)郵政省の切手の数々。 6.ビザンチ宮殿(Bizanti Palace) ビザンチ家の宮殿として14世紀に建設された。1667年の地震で破壊され、修復後は現在の姿に変わっている。 7.ベスクーサ宮殿(Beskuca Palace) この宮殿が建設されたのは18世紀後半。非常にシンプルなデザインとなっており、ビザンチ家の宮殿に隣接し、そこから門のレリーフなどが移設されている。現在も残されている門は町の門のレリーフと同様に、14世紀のゴシック様式の特徴を色濃く残す貴重なものである。 U小麦粉の広場(Square of Flour) 小麦粉の広場という名前は、昔、ここが小麦粉の貯蔵施設であったことから命名されたものである。この広場に面して、由緒ある貴族の館が並んでいる。 9.ピマ宮殿(Pima Palace):17世紀 1667年の大地震のあとに建設されたルネッサンス・バロック様式の建築物である。正面のアーチ形の門やその上のバルコニーなどに時代の特徴を感じさせている。 10.ブッツァ宮殿(Buca Palace):14〜17世紀 現在は質素な佇まいのこの建物は、当時のBuca家の隆盛とは大いに異なった印象を受ける。Buca家はコトルでも最も高貴な一族として名をはせた。当初の宮殿はゴシック様式で14世紀初頭に建設されたが、数回の地震によって破壊され、最終的に1667年の地震の後、今の形となったものである。 Buca家は中世のコトル市にあって、市の財政を司る最高裁判所の高官などを務めていた。 ○海の男聖ニコラス教会 この教会は、Buca家の教会として1453年まで使用されていた。海軍や海事に係わる男たちの社交の広場としても利用されていたことが記録されている。そのこともあって、この場所には、航海時代を象徴するかのように、昔は体育館として使用されていた広い施設に、現在は「海事博物館」(Maritme Museum)が設置されている。 V聖トリフォン広場(St.Tryphone's Square) この広場にはカテドラルもあり、コトルの中心的な広場として位置づけられている。場に面して、歴史博物館、ドラゴ宮殿、司教館、カテドラル、市庁舎が並んでいる。 12.カテドラル(St.Tryphon's Cathederal) 聖トリフォンの遺品や遺骨は、809年にベネチア商人によってコンスタンチノープルからコトルに持ち込まれた。コトル市民、アンドレア・サラセニスがそれらの遺品を収める教会としてこのカテドラルを建設したとされている。教会内部の調査研究の結果、最初の建造物は900年代前半の、ビザンチン帝国コンスタンチン七世の当時ではないかと推察されている。 聖トリフォンカテドラルをフィーチャーしたユーゴスラビア時代の切手。 13.司教館(Bishop's Palace) コトルにおける最初の司教の活動は、紀元530年ごろにさかのぼるとされている。当初、この建物は隣接するコトルの貴族ドラゴ家の屋敷の一部として利用されていたようだが、後に、ドラゴ家が移転し、司教館として独立して使用されるようになった。 14.ドラゴ家の宮殿(Drago Palace) コトル市を代表する貴族のひとつ。現在残る建物は1166年の地震の後に建てられたもので、南西の館と北の館の二棟からなっている。1667年の地震によって美しいゴシック様式の鐘楼などが破壊され、当時の面影が失われた。 W美術館広場(Museum Square) この広場はコトル市の中心に位置している。現在は、ピザハウスなどもあり、広場にはテントも張られ、市民や観光客が散策の足を止め一服するスポットなっている。私たちもこの広場の一角にある地域で有名なピザ屋で昼食をとった。 17.グレゴリーナ宮殿 コトルの貴族グレゴリーナ家の屋敷として18世紀に建設されたバロック様式の宮殿である。広場に面した壁面は、左右対称のシンプルな形状が美しい。内部は、現在は、モンテネグロの海事博物館となっており、一般市民に海の歴史、航海の歴史を展示している。 11.市庁舎 18.公共の井戸カランパーナ(Karampana) この美術館広場ひ入る路地の真ん中に、現在の井戸の跡が残されている。これは、コトル市唯一の公共の井戸として親しまれてきたものである。現在の形、造形は17世紀末から18世紀初頭につくられたままの姿を残している。その優れた造形美は工芸家、技術者の才能を見せつけている。 1917年ごろまでは実際に女性たちが水を汲みに来ていたが、今も昔も人々のたまり場として親しまれている。コミュニティの中心として様々なうわさ話やニュースなどが広まる場となっていたのである。 X聖ルカの広場(St.Luca's Square) この広場に面して、ロンバルディク宮殿(18世紀)、聖ルカ教会(1195)、音楽学校(19世紀半ば)、聖ニコラス教会(1909)などがある。 20.聖ルカ教会 1195年に建設された。西側ファサードには建築家の名前が刻まれている。Mauro Kacafrangi がその名前である。カテドラル同様、ロマネスクとビザンチンの様式が混ざり合っているのが特徴である。 21.聖ニコラス教会 この教会の建設は1902年に始まり、1909年に完成した。もともと、1540年に建てられたドミニカ会修道院があった場所である。1896年には大火があり、修道院も教会も崩壊したが、1902年、現在のオーソドックスな聖ニコラス教会に修復された。 つづく |