エントランスへはここをクリック   


真夏の碓氷峠遺産探訪

信越本線碓氷線 F文化

青山貞一 池田こみち

29  August 2010
独立系メディア「今日のコラム」
無断転載禁

<目次>
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 @歴史  
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 A橋梁 
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 Bトンネル 
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 C変電所
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 D技術 
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 E設計 
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 F文化
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 G提案 
真夏の碓氷峠遺産探訪〜信越本線碓氷線 H補遺

 私(青山貞一)は、2003年から2006年にかけ長野県庁に非常勤の特別職地方公務員で毎週通った。年に50往復以上したはずだ。

 圧倒的大部分は長野新幹線を使って長野まで行ったが、新幹線だと東京駅から軽井沢まで約1時間、長野まで約1時間半の道のりである。

 また北軽井沢にある研究所の保養所にもこの5年で数10回でかけたが、関越自動車道を使うと練馬インターから碓氷軽井沢インターまで渋滞がなければ1時間半程度で行ける。

 しかし、それこそ半世紀前まではアプト式鉄道、さらに一世紀前には馬車鉄道で碓氷峠を越えなければならず、東京〜長野は途方もなく時間がかかっていた。

 実際、新幹線や関越道ができるまで、東京から一番遠い日本は長野だったのである。

 だが、所要時間が仮に1/5そして1/10になったからと言っていいことばかりではないだろう。今回の碓氷線遺産探訪はそれを教えてくれた。

 たとえば第三橋梁、めがね橋のような稀有で秀逸、芸術性も高い土木構造物や東京駅の煉瓦建築物に象徴される建築はすべてなくなり、あるのはマッチ箱のようなビルやスマートだがおよそ味もそっけもない橋ばかりである。


撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15

 つまり私たちは便利さととっかえひっかえに、多くの文化、芸術的営為をなくしてしまったのではないだろうか。

 また、たとえば東京〜長野は、日帰りが容易となったために、長野での仕事が終わるとさっさと東京に日帰りしてしまう。仕事、ビジネス以外の営為は二の次、三の次となってしまったのである。

 その結果、東京に人口や経済がさらに集中してしまった。

 一方、今回の視察で煙害を防止するために蒸気機関車がトンネルに入るやいなや、麻の大きなカーテンでトンネルに蓋をする隧道番というひとがいたことを知った。しかも、少なくとも4名が殉職していたことを。

 信じられないことだが、本当のことである。これを考えると非常に複雑な気持ちとなる。一家そろってトンネル坑口近くに24時間住み込み、トンネルに幕を張る隧道番の方々の存在は、本当に悲劇的だ。

 科学や技術は、私たちに便利さ豊かな経済をもたらすが、反面、意外なところに落とし穴があることだ。以前、これを「スポッティング・オートメーションの弊害」と習ったことがある。

 一言でいえば、科学や技術の進歩はたえずいつの時代にも、副作用、跛行性(はこうせい)を持っているということだ。

 そして経済的に富裕なひとびとは、科学や技術の発展、進歩の恩恵をもろに受けるが、社会経済的に貧しいひとびとの多くは、科学や技術の発展、進歩の副作用や跛行性をもろに被る。

 ところで、欧州ではイタリアだけでなく、どこの国に行っても過去の遺跡、史跡を大切に保存し、観光だけでなく、精神文化のよりどころとしている。ただ遺跡、史跡を大切にするだけでなく、その周辺の景観や環境も大切にしている。

 しかし、日本はどうだろう。

 多くの場合、古いもの=廃棄すべきものとして、跡形なく破壊している。仮に単体として建築物や建造物は保全しても、その周辺の環境やトータルの景観がめちゃくちゃとなっていることが多い。

 また富士山が何度か世界遺産にノミネートされながら、実際に登録れれないのは遠くから見るとすばらしいが、近くに寄ればゴミだらけなのが理由とされている。同じことが群馬県の碓氷峠などにも言える。

 第三橋梁(めがね橋)は離れてみると、本当に素晴らしい構造物である、近づくと煉瓦にたくさんの落書きがある。これは本当に残念なことである。さらに今回見学していた感じたことだが、せっかくすばらしい自然環境と歴史文化遺産の現場に来ていながら、人を気にせずに喫煙し、吸殻をポイ捨てしている人がいたことだ。

 また碓氷峠から横川駅に行く途中、<坂本宿>や<碓氷関>があった。江戸時代の名残だ。長野県の海野宿ではないが、坂本宿にも往時の面影があった。おそらく中山道で江戸から信州に行くひとは、<沓掛宿>(=今の軽井沢)に到着する手前で<坂本宿>の旅籠に一泊したのだろうか。

 東海道の箱根関を通る前日の小田原宿に泊まるようなものでわくわくする。


碓氷関。江戸時代は箱根関とともに関東の三大関のひとつ
であったとのこと
撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15


撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15


撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15


撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15

 新幹線ができ、高速道路ができると、一般鉄道や一般道路の比でなく、これら江戸時代から明治、大正を経由し、営々と続いてきた地域の歴史や文化、生活は持続可能性を失うことになる。

 私たち自身にも多くの問題があるだろうが、やはり経済効率を一義とし、地域の歴史、文化がそのまちの個性や味わいを生かすために十分配慮されてこなかったことを今更ながら強く感じる。これは「おぎのや」の「峠の釜めし」ひとつをとっても感じることだ。


「峠の釜めし」で全国的に有名なおぎのやの本店
撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15


おぎのや本店内部から横川駅をみたところ
撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15


撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15

 下は「おぎのや資料博物館」にあった客車のシート。窓から乗り出し、「峠の釜めし」を買って席で食べた記憶は鮮明だ。


撮影:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15

 というのも、長野県庁に東京から毎週通って一時、新幹線が軽井沢止まりとなり、雪がしんしんと降る1月、軽井沢の駅で食べたおぎのやの「峠の釜めし」や「てんぷらそば」の味が忘れられないからだ。もし、新幹線が、これほどおいしい食べ物をなくしたとしたらと思った。 

 今回、横川駅前にあるおぎのや本店で食べた「峠の釜めし」や「てんぷらそば」は格別であった。この種の和の文化をなくしてしまっては、いくら新幹線や高速道路の便利さがあっても、けっして孫子のためにはならないだろう。幸い、「峠の釜めし」や「てんぷらそば」はかろうじてレッドデータブックのex同様、かろうじて残っているが、碓氷線の資産同様、ぜひ、孫子の代まで残して欲しいものだ。

 いろいろ述べてきたが、私たち日本人は戦後経済一辺倒でここまで走ってきた。しかし、振り返ってみると孫子の代に自信を持って残せる歴史遺産、文化遺産、自然遺産があるのだろうか、とふと思う。

 ここ5年、北軽井沢を拠点にしておりにふれ群馬、長野の自然に接してきた。


出典:青山貞一、CoolPix S8 2010.8.15が撮影した写真をもとに筆者が独自に作成した