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西千仏洞(百度百科3)

(West Thousand Buddha Caves,中国甘粛省敦煌市)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日
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◆西千仏洞(百度百科3)

洞窟紹介

西千仏洞第4窟


出典:中国 百度百科

 この洞窟は前室と主室の二つから構成されています。前室の天井部分はややアーチ状をしており、主室の天井は、枡形をしています。洞窟は隋の時代に建設が始まり、唐時代を経た後、回鶻、民国時代に修復を重ね、洞窟内の随時代の参拝者、唐時代の説法図、回鶻経変画及び主室北壁ニッチ(くぼみ)内の民国時代に改修した仏像を裏付けることができました。

 自然的かつ人為的な理由から、前室の下部は摩耗や湿気でかすれてきていました。現存する比較的完成度の高い北壁門上に展開されている盛唐時代の壁画の仏説法図の中で、仏は結跏趺坐し、頭には、花笠の飾りをつけ、弟子の菩薩が仏の左右につき従い、容貌は豊満、その姿は、美しく豊かな盛唐時代の人物の特徴を姿を現しています。

 主室北壁には二重壁のくぼみ(龕)が開かれており、この形式の仏壇は随時代の比較的早い時期から初唐時代に出現しました。仏壇内の座仏は民国時代につくられたもので、壁画は回鶻と民国時代に描かれたものです。

 ウイグル時代(1170年代から12世紀初頭)の間に洞窟に描かれた壁画が多数あることは注目に値します。たとえば、前室には仏が座しており、普賢の変(化身)、薬師の変(化身)などで、洞窟の天井部分は、藻井(そうせい:飾り天井)に図案が描かれており、主室の東、西の壁には説法図が描かれています。

 この時代の壁画の内容は、ほとんどが説法図あるいは仏、菩薩、羅漢などの尊像が主で、それら人物像の配置は、ばらばらで、仕上げも緻密ではなく、描画は粗略なものでした。主要な壁面の上(南と北の壁)にはそれぞれ説法図の絵が描かれており、画面は大きいが、人物は少なく、人物像が大きく描かれて壁の空間を埋めていました。

 各洞窟の建築構造の頂上部(窟の天井、通路の天井、仏壇の天井)は、みな一律に沢山の牡丹や花の図案で埋め尽くされており、説法図や尊像の壁画に比べて壁の図案は非常に緻密に描かれ、色彩も鮮やかで美しく、描画も丹精で細かく、人々がこの時代の装飾画が仏教の人物画より重視されていたのではと考えるほどでした。

 この時期の人物造形の特徴は、健康的で、顔は面長の楕円形で、両頬は豊かに太り、柳形の眉に目は細く、花は筋は高く通っていて口は小さく、明らかに回鶻民族の外観、気質の特徴を表しています。これは、まさしく、はっきりと回鶻仏教芸術の民族的重要性を反映したものと考えられます。


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