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ヴェネツィア( Venezia、イタリア)

カジュスティニアン宮殿
(Ca 'Giustinian)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日
独立系メディア E−wave Tokyo
 無断転載禁

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を更けています。 

◆カジュスティニアン宮殿

 下はグーグルマップで見たカジュスティニアン(Ca 'Giustinian)宮殿です。


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 下はカジュスティニアン(Ca 'Giustinian)宮殿の外観です。


カジュスティニアン宮殿
Source:Wikimedia  Commons

 カジュスティニアン(Ca 'Giustinian)は、サンマルコ地区に位置し、大運河を見下ろすヴェネツィアの宮殿です。

 カジュスティニアン宮殿は、ヴェネツィアの最初の家長であるロレンツォ・ジュスティニアンが15世紀の前半に住んでいた既存の建物の代わりに、15世紀の後半に、ヴェネツィアの家系の最も輝かしい家族の中でジュスティニア人の委託によって建てられました。

 1820年までモロシーニ一家に17世紀の間に渡り、その宮殿はヨーロッパのホテルに変身しました。そこでは、それらはとりわけ、Theophile Gautier、Marcel Proust、そしてGiuseppe Verdiによって所有されていました。

 1866年10月19日、エウロパのホテルの部屋で、フランスの全権大将エドモンド・ル・ブフは、10月21日から22日にかけてのヴェネトの公演の前置きであるヴェネトの正式な売買証書に署名しました。

 自治体によって購入された後、建物は完全な修復の恩恵を受け、今日はヴェネツィアビエンナーレの事務所を収容しています。


Il palazzo nel 1969 visto dal Canal Grande, in una foto di Paolo Monti. A sinistra Palazzo Bauer.
Source:Wikimedia  Commons

説明

 カジュスティニアン(Palazzo Giustinian)の大きなファサードは、ゴシック様式の文字列コーニスで仕切られた4階建ての建物です。

 建物の主要部分は、15世紀後半の通りを埋めることによって、左側の建物とつながっていました。それ以来、2つの建物は1つの建物を構成します。

 ほとんどの開口部、perlopiu ogivaliは、レンガの表面に白い石造りの枠で囲まれたシングルライトの窓です。

 中央部門のものは際立っています:1階には2つの鼓室のシングルランセット窓がある丸頭ポータルがあります。それに2つの高貴な床と後の期間の最上階に重ね合わされている。

 左側の統合された建物の1階にあるserlianaの存在に注意してください。

 ファサードの最上部は、鋸歯状コーニスが横切っており、最後の一続きの大運河、プンタ・デラ・ドガーニャ、サンマルコ盆地を望むテラスを閉じる長い手すりで終わっています。


Il palazzo durante il restauro del 2009
  Source:Wikimedia  Commons


カ・ダリーオ へつづく