シルクロードの今を征く Now on the Silk Road ハラッーパー考古遺跡(2004年暫定リスト) (Provisional list of World Hertage of Pakistan) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) パキスタンの暫定世界遺産リスト 暫定世界遺産1 暫定世界遺産2 暫定世界遺産3A 暫定世界遺産3B 次はパキスタンの暫定世界遺産リスト(Provisional list of World Hertage of Pakistan)3、ハラッパー考古遺跡です。 ◆ハラッパー考古遺跡(2004年暫定リスト) This is a photo of ASI monument number Shefali11011 - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ハラッパー (Harappa) は、インダス文明の都市遺跡です。パキスタン北東のパンジャブ地方ラホールの南西約200kmのラーヴィー川左岸に位置し、モヘンジョダロと並び称される標式遺跡として知られます。ハラッパとも。 主なインダス文明の遺跡 CC 表示-継承 3.0, リンク Source:Wikimedia Commons 発掘の歴史 この遺跡は、1826年にチャールズ・マッソンが発見し、1853年にアレキサンダー・カニンガムによって発掘され、特殊な印章が出土する遺跡として1875年に学会に報告されていましたが、当時はまだ特定の文明の遺跡としては知られていませんでした。 1921年に、R.B.D.R.サハニの発掘調査によって、未知の文明の都市遺跡であることが明らかにされました。その後のサハニによる数次にわたる調査と、ほぼ同時期に行われたモヘンジョダロの調査によって、インダス文明の存在と性質が位置づけられ、インダス文明の別名として知られる、「ハラッパー文化」の命名の起源になりました。 1926年~1934年までM.S.ヴァッツらによる発掘調査、1946年~1947年には、M.ウィーラーによる発掘調査が行われました。1986年以降は、G.F.ディールズ、R.H.メドー、J.M.ケノイヤーらによるアメリカ隊が組織的な発掘調査を行っています。 遺跡のレンガ石を周辺住民が利用したり、東インド会社の鉄道敷設などで遺跡全体の保存状態は悪いと言えます。 文化層 ハラッパーから出土した紀元前2500年頃の文物 Trish Mayo from New York, US - P1250552, CC 表示 2.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons This is a photo of a monument in Pakistan identified as the Muhammad Bin Naveed - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons 紀元前3300年~同1700年前後にわたって、居住が確認され、古い順から、ラーヴィー期、コト・ディジ期、インダス文明期、変移期、H墓地期の5期にわたる文化層が確認されています。 ラーヴィー期の集落は、遺跡の北側の下層から発見され、手づくねの多彩文土器を伴うのが特徴です。すでに紅玉髄や凍石製ビーズの生産を行っていて、後のインダス文字の起源と考えられる文字が土器の表面に線刻されています。コト・ディジ期になると、遺跡の南東部などに集落は拡大し、周壁が築かれるようになります。 インダス文明期になると、「城塞」と城門によって隔てられた二つの「市街地」の区分けが明確になり、さらに「城塞」の北側には、床面積800m2強の2列にならんだ「穀物倉」と、径3.5mの「円形作業台」18基などが造られます。 「円形作業台」の中央には、木製の臼をおいて作業をしたと推定され、脱穀場という説もあります。「穀物倉」と呼ばれる建物は湿気のある川に近く、穀物の形跡も発見されていないため、現在では他の用途に使われたと考えられています。現地の遺跡にある案内板には、初期の学者が穀物倉と推定したが証拠が発見されていないと書かれています。 「城塞」は、南北約400m、東西約200の南北方向に長い平行四辺形で、「城壁」は、焼成煉瓦で被われた日干し煉瓦で築かれ、その基部の厚さは12m、北西と南東の隅に「見張り台」を置き、北側と西側に「城門」を設けています。 「城塞」の南側150~200mの地点には、土坑墓からなるR37墓地が営まれました。焼成煉瓦を多用し、インダス式土器一式のほか印章や、紅玉髄を始めとする各種貴石製ビーズ類が出土しています。 R37墓地の北側には、H墓地があり、H墓地文化、後ハラッパー文化の標式遺跡として知られます。 関連項目 ・ハラッパー語 ・ドーラビーラ ・ロータル ・インド考古調査局 暫定世界遺産3Bへつづく |