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2018年・東日本大震災
復旧実態調査(福島県編)
〜南相馬市沿岸部


青山貞一・池田こみち 
環境総合研究所顧問
掲載月日:2018年7月28日
 独立系メディア E−wave Tokyo
 転載禁
<2018-6 東日本大震災・津波・原発事故事後調査>
 調査の内容と方法 北茨城市大津港 五浦海岸六角堂1 五浦海岸六角堂2
 茨城福島県境  いわき市勿来 須賀海岸 勿来・岩間 小名浜港・中之作
 江ノ浦・江名港  江名走出  合磯・豊間海岸 薄磯海岸  四倉海岸
 久ノ浜・末続 原発立地自治体放射線量 新地町1 新地町2 相馬市松川浦
 相馬市大洲松川線 南相馬市沿岸部 飯舘村(放射線量)
 久々の会津若松

 この後、相馬市の沿岸側にできた車が中央を走れる防潮堤南相馬で南相馬に向かう。

 この辺りの空間放射線量率は、0.05μSv/hであった。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


出典:グーグルマップ

 南下すると、沿岸に大規模な太陽光発電のパネルが置かれていた。ここはもう、南相馬市の鹿島区である。

 この辺りは、3.11後、津波により海水が田畑が大規模に浸水していた場所である。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 その後、県道74号線はいったん沿岸部から離れる。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は相馬市から南相馬市の鹿島区のグーグルマップである。JR常磐線の左側にある。


出典:グーグルマップ

 この後、南相馬市で一旦、内陸側を走るが、前方に風力発電装置が4機、沿岸部に設置しているのが見えた。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 この辺りは、3.11以前からあった低い防潮堤のすぐ内陸側に並んで設置されていた。池田の背後に4機の風力発電が並んでいるのが分かった。

 下の写真は南相馬鹿島区の堤防工事現場のものだが、ご覧のように、堤防陸側の高さは約1mと、非常に低い。これは内陸の広大な背後地を津波浸水時にため池的なバッファーとして使うことを前提としたものと考えられる。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 下はその堤防である。池田こみちの背丈と比べると高さがよくわかる。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 南相馬市鹿島区沿岸での空間放射線量は以下にあるように 0.06μSv/hであった。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下の4機が堤防の陸側直近に設置された風力発電装置である。回っているものもあれば、停止しているものもあった。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


◆3.11直後の南相馬市浜通り海浜部の被災地視察

 下の津波被災状況図で南相馬地区を見ると30kmの橙色の破線が海にぶつかる周辺である。私たちは最初に南相馬市役所を訪問し、桜井勝延市長(当時)と会い、この間の状況についてインタビューを行った。

 以下は3.11後による南相馬市の津波被災状況図である。赤色部分が海水が浸水した部分(主に農地)である。


南相馬市の東日本大震災の津波による被災状況図
撮影:青山貞一

 その後、市役所を離れ、私たちは南相馬市浜通りの被災現場を北(相馬市・南相馬市境界)から南(浪江町・南相馬市境界)まで現地視察し、浜通りの要所で放射線を測定するとともに、被災住民らと議論やインタビューを行った。


被災地をビデオで撮影する青山貞一
撮影:鷹取敦

 被災地には前日(6月18日土)まで2000人規模の自衛隊が駐留しながら瓦礫の除去、分別、要所への移動、さらに運び出しなどに全力をあげ、当日はいわき市など南部地区に比べると信じられないほど南相馬市浜通りの被災地は綺麗に瓦礫、建設廃材などが整理されていた。まさに災害救助隊としての自衛隊の面目躍如たるものを実感した。

 実はこれも櫻井市長が自衛隊に早期段階から積極的に災害救助の要請、櫻井さんの言葉でいうところの強いメッセージを出し、自衛隊がそれに正面から対応したからである。

 私たちがこの日(6月19日)、二本松から南相馬市に向かう、すなわち南相馬市から二本松や福島経由で東北道に向かう途中、多くの災害救助の自衛隊のトラックやジープなどに出会ったが、それらの車両は瓦礫撤去を終え南相馬から駐屯地に引き上げる途中であった。


南相馬市海浜部の津波被災地、半壊した住宅
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地、防波堤が破壊されている
撮影:青山貞一

 浜通りの被災地には、土台部分だけ残した膨大な数の家屋が散在していた。


南相馬市海浜部の津波被災地、土台部分だけ残した家屋
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地
動画撮影:青山貞一


被災地をビデオで撮影する青山貞一
撮影:鷹取敦


動画撮影:青山貞一(東京都市大学)

 自衛隊が瓦礫と建設廃材を撤去した後の南相馬市浜通りの風景。


南相馬市海浜部の津波被災地
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地
動画撮影:青山貞一

 さらに私たちは南相馬市浜通りの海岸線を県道74号線で北上し、相馬市との市境まで進んでみた。県道74号線の両側には水田が広がり、農家が点在していたが、すべて津波で流され、荒地と化していた。

 しかし、2000人規模の自衛隊がガレキの処理を既に済ませており、きれいに片付いていた。南相馬市では41kuが津波で浸水しており、その大部分が農地であったことが見て取れる。そこは南相馬市鹿島区地区である。

 市境の北端部はやや高台となっており、海岸線に出てみると、テトラポットは激しく破損され、堤防も道路もずたずたの状態だった。頻繁にパトカーが巡回し、見回りをしている様子だった。


 ここは南海老という地区で、北端の高台には70世帯が暮らしていたが、すべて流されてしまった。亡くなったのは高齢者というより、若い人が多かった。地震直後に車で自宅の様子を見に戻った直後、津波に襲われ、車ごと流された人が多い。

 この地区では20名以上が亡くなっており、まだ3名近く行方不明だ。津波直後に集落の高台にある墓地に逃げた人によると、引き波で、一旦海の底が見えるほど沖のテトラポットの防波堤まで水が引き、その後、高台の松の木のてっぺんを越える大津波が襲った。車で地区の運動場(かなり高台)に逃げた人はそこで津波をもろに受け、車ごと裏のため池に流されそこで大勢が亡くなった。


被災住民と議論する池田こみち
撮影:鷹取 敦


南相馬市沿岸被災地 コンクリート堤防が破壊されていた
撮影:青山貞一

 海に面して建っていた家は友達の家だが、土台も残らないほど流されてしまった。今は、地区の人たちはバラバラになってそれぞれ避難している。これほどの被害にあうとは、悲しいを通り越してもう笑う以外にないほどだ。

 幸い、この地区は海に面しており、一年を通じて東風が強く、原発からの放射能は低い。震災後、立派な椎茸ができたので、みんなで食べてしまい、放射能が高かったらと心配したが、保健所に聞いたら60歳以上は問題ないと言われ、一安心した。年寄りはまだしも子供たちが心配だ。

 堤防から数十メートル先に作られたテトラポットの防波堤の上には船に合図を送る小さな灯台が3カ所取り付けられているが、そのうちの一つは津波前にはひっくり返っていたのに、津波でまっすぐに起きあがってしまった。

 相馬市との境の農地だったところは、今では湾のように水がまだ引かない。


自衛隊が整理した瓦礫の山と水がまだ引かない農地
右は原町火力発電所
撮影:鷹取敦

 南相馬市の浜通り地区でも要所で放射線量を測定した。


南相馬市浜通り海浜被災地で放射線を測定する
撮影:青山貞一








南相馬市海浜部の津波被災地(動画からの切り出し)
撮影:青山貞一


南相馬市海浜部の津波被災地(動画からの切り出し)
撮影:青山貞一

 結果は0.26〜0.36μシーベルト/時と、飯舘村や南相馬西側の濃度に比べ約1/10と低いことが分かった。

福島放射線現地調査結果(2011.6.19午前)  単位:μシーベルト/時
月日 天気 市町村名 測定地点の地表面 地上1m高 地表5cm高
6月19日 南相馬市 海浜部、路肩 0.35 0.54
6月19日 南相馬市 海浜部、 0.36 0.61
6月19日 南相馬市 海浜部、路肩 0.35 0.78
6月19日 南相馬市 海浜部、土 0.26 0.33
出典:東京都市大学青山研究室、環境総合研究所共同調査結果

 南相馬市では、前市長の桜井勝延氏に会いインタビューを行う予定だったが、入れ違いとなったためインタビューは取りやめ都市、桜井前市長側近の市民2名と昼食をとりながら、インフォーマルにお話を伺うこととした。


つづく