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バルト3国現地調査 ラトヴィア
リーガ歴史地区
火薬塔・ラトヴィア軍事博物館@

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

10 April 2010 無断転載禁
初出:独立系メディア「今日のコラム」

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自由記念碑、科学アカデミー 1991年バリケード記念館

●2010年2月19日(金) ラトヴィア軍事博物館@




リーガ旧市街図
作成:青山貞一


 2月19日は昼過ぎまで博物館視察だ。コインがあるので車をバルァナ通りとビルセータス川が交わる道路の駐車スペースに駐車させ徒歩で博物館めぐりを行う。

 最初に訪問する博物館は、ラトヴィア軍事博物館だ。

 途中、リーガ旧市街で有名な「ネコの家」(Kaku Maja)の前を通る。


ネコの家
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010


ネコの家
 撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010

 ※ネコの家のいわれ

 その昔、この家には裕福なラトヴィア商人が住んでいた。商人は大ギルドに加わりたかったが、資格があったにもかかわらず、ラトヴィア人であるということで、ドイツ人が支配的なギルドへの参加を拒否された。怒った商人は大ギルトの会館(ブラックヘッド会館)にお尻を向けたネコを屋根の上に取り付けた。これにギルドは激怒したが商人は「あなた方は規則を持っているのに、それを守らない。私のネコは規則などもっていないのだから、どうしようと勝手じゃないか」と。その後、ギルド会館はコンサートホールに代わりネコはそこで奏でられる音楽に誘われ向きを変えたとのことだ。 

 ラトヴィア軍事博物館の位置は、旧市街の北東でスウェーデン門の100m南東にある。下はスウェーデン門(Ziedru Vati)だ。


スウェーデン門 出典:資料画像

 リーガはもともと城壁をもつ要塞都市だった(博物館展示資料参照)。1698年、上の写真のように城壁を利用して集合住宅が建てられた際に、門が付け加えられたもので、当時、向かい側の兵舎に住んでいたスウェーデン兵がよくこの門を利用したことからスウェーデン門と名付けられたという。

■ラトヴィア軍事博物館 Latvian War Museum (Latvijas Kara muzejs)


ラトヴィア軍事博物館のロゴ

 下は現在、ラトヴィア軍事博物館が入っている火薬塔。


ラトヴィア軍事博物館の前で
 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010


ラトヴィア軍事博物館の入り口の前で
 撮影:池田こみち Nikon CoolPix S8 19 Feb. 2010

 ラトヴィア軍事博物館は、歴史上、十字軍、スウェーデン、ドイツ騎士団、帝政ロシア、ナチスドイツ、ソ連など諸外国との戦争で、被害、悲惨、悲劇を受けてきたラトヴィアの歴史的事実を、時代区分毎にそれらの戦争に関連する写真、資料、模型などで展示している。

 上記の戦争の圧倒的多くは、十字軍、スウェーデン、ドイツ騎士団、帝政ロシア、ナチスドイツ、ソ連による侵略、不法占拠、攻撃によるものである。

 たとえば時代区分としては以下のものがある。

・Latvian soldiers in the World War I. 1914- 1918
 第一次世界大戦の1914年から1918年のラトヴィア兵

・Latvia in the World War II  
 第二次世界大戦中のラトヴィア

・Latvia’s state establishing and fights for freedom. 1918 - 1920
 1918年から1920年のラトヴィアが戦い自由を獲得した時代

・Latvian soldiers in the Civil war in Russia. 1918 - 1921
 1918年から1921年、帝政ロシアにおける市民戦争中のラトヴィア兵

・The defence of Latvian state. 1920- 1940
 1920年から1940年のラトヴィアの防衛

・The period of Soviet occupation of Latvia. The third Awakening. 1945-1991
 1945年から1991年のソ連によるラトヴィア占領期、第三覚醒期

 以下が博物館の歴史である。

History of the museum

Original roots of Latvian War museum are connected with events of the World War I on the territory of Latvia, with the creation of national military unit ? the battalion of Latvian Riflemen had been a part of Russian Czar’s army in 1915. The museum started to work as Riflemen Museum in 1916.

During Latvian independence till 1940 mentioned museum had been under the supervision of the War Ministry. Starting from 1919 the museum had been located in the Riga’s ancient Powder tower. The main target of the museums work had been reflection of the national fight for freedom and independence, building of national self-acknowledgement, increasing of love to the Fatherland in museum expositions.

Were created expositions - Medieval and Modern history, Latvians participation in the revolution in Russia in 1905, World War I events, Proclamation of independence of Latvia, Liberation fights, state foundation. The museum had rich collections of weapons, photos, documents, medals, military uniform dresses and other collections.

In 1937 was started respectable Powder tower annex building, finished in 1940. New premises had no possibility to start working, due to Soviet Union occupied the Latvian territories on the 17th of June 1940. War museum of Latvia had been removed as well as all institutions in Latvia. Part of the museum collections have been lost, other part have been given to another museums and archives.

From 1957 the museum of the Revolution in the Soviet Republic of Latvia, which introduced ideological opinion of Soviet authority about the 20th century history of Latvia, had been located in the building. However, the museum, in it working period, has been gathered valuable, Soviet system characterized collections.

The War museum has been recovered in 1990, due to beginning of Latvia independence restoration processes. The museum target is to open to the society complicate military-political history of Latvia, specially accentuate the 20th century, when Latvians had twice fought back their independence.
 
 博物館は入場は無料だ。

 博物館では1階から4階まで展示スペースがあり、非常に展示内容は充実している。

 着ているコート、荷物は地下一階のクロークに預けることができる。無料で写真撮影が出来る。

 ※博物館での写真撮影について

   バルト3国の博物館では、撮影が可能、撮影が禁止の2つの
   区分があり。さらに可能な場合も無料の場合と有料の場合が
   ある。有料の場合には、まとめて料金を払う場合と、1枚に付
   きいくらと支払う場合、さらに三脚を使う場合割高となる場合
   など、非常に複雑である。

   撮影不可の場合は、随所に監視人がおり、撮影していると寄
   って来て、撮影許可書(=領収書)の提示を求められる。もし
   もっていないと、受付まで随行され上記の区分で料金を徴収
   されることになるので要注意である。

   バチカン博物館はじめイタリアの博物館で実質撮影が野放しと
   なっているのとは大違いである。またポーランドのアウシュヴィ
   ッツ博物館では、大部分のひとが携帯やデジカメで撮影してい
   るが、正規にはやはり上記の区分がある。ガイドがいると注意
   を受けるが、罰金、科料などはないようだ。
  
   上記に加え撮影が有料、無料を問わず可能な倍でも、ストロボ
   撮影を禁止している博物館が多いのでこれも注意すること。

 なお、以下は博物館と提携しているラトヴィア国内の関連サイトのリンクである。

  Ministry of Defence Republic of Latvia www.mod.gov.lv

  Maritime forces Republic of Latvia
www.navy.lv

  Military magazine “T?vijas Sargs”
www.sargs.lv

 TV programm ?Laiks v?riem?” www.tv.lv

 State authority of museums www.muzeji.lv

  State Military museum of general Laidoner
www.laidoner.ee

  Vytautas the Great War Museum http://www.muziejai.lt/Kaunas/karo_muziejus.en.htm


つづく


【参考資料】
・地球の歩き方、「バルト3国、エストニア・ラトヴィア・リトアニア」、ダイヤモンド社
・Wikipedeia English Edition