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真田の里、上州沼田

迦葉山・弥勒寺

青山貞一   池田こみち   鷹取敦

September〜October 2015
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真田の里、上州沼田 2015-9-20  2015-10-11
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21 迦葉山弥勒寺

 2015年10月 日、青山、池田、鷹取は、美しい河岸段丘の中腹にある道の駅で「河岸段弁当」の食事をした後、沼田市の最北部、標高1300m近くの山の上にある迦葉山弥勒寺に向いました。

 10月となると、100mの高さで約1℃気温が下がるので、標高1300m近くまでくるとかなり寒くなります。私たちの浅間高原の別荘は1000m〜1100mの間にあるので、あらかじめそれなりの防寒をしてきていたので問題はありません。

 迦葉山は古くから「天狗の霊峰」と称され、中腹には弥勒寺が鎮座しています。迦葉山信仰として講が組織され、関東をはじめとする広範な信仰を集めた。麓には胎内潜岩があります。


迦葉山遊歩道案内図
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11

 標高600m程度の沼田市から車で迦葉山まではかなりのきょりがあり、さらに迦葉山も1200m超まで上ってくると下の写真のように、雲海が下に見えます。


撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11


迦葉山弥勒寺の概要

 迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ) は、群馬県沼田市上発知町にある曹洞宗の寺院です。沼田市北部にそびえる迦葉山の中腹に鎮座しています。寺号は「迦葉山 龍華院 弥勒護国禅寺」ですが、一般には単に「迦葉山」と呼ばれることが多いようです。

 天狗の寺として知られ、高尾山薬王院、鞍馬寺と共に「日本三大天狗」の一つに数えられています。参拝の際には、中峯堂から天狗の面を借りて帰り、願いが成就したら、その面ともう一つ新しい天狗の面を奉納し、また別の面を借りるというならわしがあります。


迦葉山弥勒寺の歴史

 嘉祥元年(848年)に、葛原親王の発願により、比叡山の円仁を招いて、天台宗の寺院として創建されたと伝えられています。

 康正2年(1456年)に、曹洞宗に改宗します。

 以下は古い時代の絵ハガキです。

  ※ 上州名山・迦葉山


迦葉山弥勒寺の縁起   出典:迦葉山龍華院弥勒護国寺縁起

 天狗のお山として知られる当山は、谷川連峰の東、沼田市より16キロに位置し、関東の霊域として名高い。春の新緑、夏は霊鳥「仏法僧」の声を聞き、秋には全山紅葉に染まり、冬は白雪に覆われる。

 開創は嘉祥元年(848年)時の上野国の大守、桓武天皇の皇子葛原一品親王が比叡山三祖円仁慈覚大師を招き、国家繁栄、民主安泰の鎮守護国寺として開かれた。唐より帰朝まもない高僧慈覚大師は、大乗経中三会の法「迦葉仏鶏足山に出現し、不生不滅を示し、弥勒下生龍華院を期す」より、遠くお釈迦様の後を継がれた迦葉尊者が第一回の経典を作られた結集の地、鶏足山と山なみが同じであるとし、初の千人供養法会を開き、迦葉山龍華院弥勒護国寺となる。そして北関東黎明の基となり49院を擁し政治文化野中心として栄えた。

 康正2年(1456年)改宗開山天巽慶順禅師行脚の途、弥勒中慈雲律師の高徳を慕い来山した。慈雲律師は天巽禅師の戒定慧の三学、座禅の徳風に感得して六百年の天台宗の宝燈を譲り入定せりという、これによりて曹洞宗となり迦葉山龍華院弥勒護国禅寺と号す。

 天巽禅師に随身する神童に中峯あり、十年一日の如く禅師に師事し伽藍の造営から布教法にに尽くした。常に容顔変わることがなかったという。禅師が二世大盛禅師に譲られるや「吾、迦葉尊者の化身にて己に権化化業は終わったよって今後は永くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん」と誓願して案山峰より昇天され、その後に天狗の面が残されていたという。

 時が経つに従いその霊験は益々応所に現れ、参拝者の絶えることなく鎮守中峯大薩として祭られ迦葉山の信仰の中心となっている。

 又、徳川初代将軍の祈願所となり朱印百石、十万石の格式を有し、七百十八町歩が下賜された。当時の面影を残すものとして、旧参道を上り切った右側に天然記念物馬隠れの杉がある。この杉より内は三蔵密教の霊域にて城主でも馬乗りを禁じ、馬が隠されても疑わずとして名付けられたものである。特に近年は霊鳥「仏法僧」の声を聞きつつ静かに座禅堂に坐し、古く迦葉尊者の禅風を慕う研修会や、一夜俗塵をはらい心静かに家内安全や開運を願う御参籠者にて賑わっている。



◆迦葉山弥勒寺の境内

 弥勒寺の境内は、下の案内図にあるように、迦葉山の地形を利用し、多くの門や寺院が配置されています。

 山門は以下の案内図よりはるか離れた場所にありますが、境内入口の中雀門の両側に、本堂(右)、龍華閣(さらに右)があり、中雀門の左側には受付の龍願門があります。

 中雀門をくぐると、太鼓橋を渡って右に法堂、方丈、東署員、竜堂があり、太鼓橋を渡って正面に迦葉堂、さらに中雀門の左奥には鐘楼、拝殿、中峯堂がありす。


迦葉山弥勒寺の伽藍案内図
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11

◆弥勒寺の伽藍

 以下主な伽藍を紹介します。

 以下は今から1200年前に出来たというい弥勒寺の本堂です。


迦葉山弥勒寺本堂
出典;Wikimedia Commons


迦葉山弥勒寺本堂
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


迦葉山弥勒寺本堂の前の池田こみち
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


迦葉山弥勒寺本堂の解説
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11
 

 下は中峯閣鎮守堂の前の左鷹取敦、右池田こみちです。


弥勒寺中峯閣鎮守堂の前で 左鷹取、右池田
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


中峯閣鎮守堂の解説
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11

 以下は、出典:中峯堂「鎮守堂」からです。

 鎮守中峯尊者は曹洞宗に改宗の天巽禅師に随伴した非凡の高僧で伽藍造営の大事業から布教伝導まで大いに努め禅師を助け、又山頂の岩屋やけわしい岩山など人力では到底登れないような所まで開き、修行者を導くなど非凡な神通力を持っていました。

 十年一日の如くその容顔変わることなく神童といわれ、天巽禅師が二世大盛禅師に住職を譲られるや中峯尊者は「実は私は迦葉尊者の化身である。衆生済度のため、かりに姿を変えてこの世に現れたのであるが、なすべきことは終わったので、今から昇天し末世衆生のため苦しみを除き、楽しみを与えよ」と両禅師に別れを告げ昇天され、その後に天狗の面が残されていたといわれています。

 その由緒ある場所が境内正面の案内峰と伝えられています。神童、中峯を祭って中峯尊者と申しますが一般にはお天狗さまとしてあがめられ、時が経つとともにそのご利益は益々高く化、開運守護の天狗さまとして知られ「迦葉山信仰」となって県内ともとより遠く埼玉、栃木、新潟、東京、関西にまでおよび、多くは講を作り、又、お互いに誘い合い毎年参詣するならわしになっています。

 寺城はうっそうとした樹木につつまれ、馬かくれの杉、地蔵の杉、など老杉を多く、山頂山頂は奇岩、怪石にとみ、和尚台などもあり、いにしえをしのび、散策するも意義深く、楽しいことと思います。



中峯閣鎮守堂の内部に鎮座する大天狗
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


中峯閣鎮守堂の前に鎮座する大天狗
撮影:隆土地敦 Nikon Coolpix S9900  2015-10-11


中峯閣鎮守堂にて
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


中峯閣鎮守堂にて
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


 下は中雀門と迦葉堂に上る前にある浄心池にかかる太鼓橋(中央赤色)


中雀門と迦葉堂に登る前にある浄心池にかかる太鼓橋
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


中雀門と迦葉堂に登る前にある浄心池にかかる太鼓橋
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


迦葉堂に通ずる階段
撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11


 下は階段の最上部にある迦葉堂です。このお堂も降るそうです。


階段を上って行った先にある迦葉堂
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


迦葉堂の解説
撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11



階段を上って行った先にある迦葉堂
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


お堂内部
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11

 下は迦葉堂と開山堂の間の道端にあった石仏


迦葉堂と開山堂の間の道端にあった石仏
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


 下は迦葉堂の右下にある開山堂。


迦葉堂の右下にある開山堂
撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11



迦葉堂の右隣にある開山堂
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


開山堂の屋根
撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11


開山堂の前の鷹取(左)、青山(右)
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


迦葉堂の右隣にある開山堂の解説
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11

 以下は太鼓橋と本堂の間の道端にあった石像


道端にあった石仏
撮影:池田こみち  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11


弥勒寺の鐘楼
撮影:青山貞一  Nikon Coolpix S9900 2015-10-11

 以下は弥勒寺の山門です。本堂から相当離れた場所にあるので、弥勒寺軽暖を視察した後、帰宅時に撮影しました。


弥勒寺の山門
撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11


弥勒寺の山門
撮影:鷹取敦  Nikon Coolpix S9900  2015-10-11

 この迦葉山弥勒寺には、次のような天狗伝説があります。

天狗伝説
 宝徳3(1451年)に天巽慶順とその弟子中峰が弥勒寺を訪れ、迎えた慈雲律師は法談問答した後「…今日禅師の来るは仏祖の招きならん。永く当山に常住し迦葉不滅の法燈を継ぎ、弥勒下生の暁を期し給え」と天巽に言い遺し入定しました。

 天巽は中興の祖となり、中峰はこれを補佐するが長年童顔変わらず神童と言われるようになりました。やがて中峰が「私は迦葉仏の化身なり。当世で為すべき事は終わった。今より末世の衆生を救うため昇天せん」と言い残して昇天し、姿を消した跡に天狗面が残っていたためこれを祀るようになったといいます。

出典:Wikipedia


 この後、北軽沢の別荘にかえりました!

本シリーズ終了