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岩手県 歴史短訪
Bそして金色堂に
青山貞一   池田こみち
掲載月日:2011年8月29日
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◆岩手県歴史短訪 世界遺産になった中尊寺
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 @はじめに苦言を少々
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 A中尊寺を歩く
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 Bそして金色堂に
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 C金色堂覆堂とその周辺
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 D白山神社ととその周辺
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 E平泉文化と毛越寺
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 F毛越寺を歩く(前編)
歴史短訪・中尊寺/毛越寺 G毛越寺を歩く(後編)

そして金色堂へ

 中尊寺の本堂の近くに、金色堂がある。

 ただし、私が45年以上前に見た金色堂はなく、1965年建設につくられた鉄筋コンクリート造の覆堂の中にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断されていた。

 金色堂関連施設は、以下の拝観券発行所で大人ひとり800円の拝観券を購入する。


撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8

 拝観券購入後に最初に入るのが、讃衛蔵という宝物殿の一種である。ここも一切撮影禁止となっていた。


撮影:青山貞一 Digital Camera Nikon CoolPix S8

 その後、金色堂に向かう。まるで遊園地である。




●金色堂




出典: Wikipedia

 以下、金色堂関連解説の出典は Wikipedia

金色堂は奥州藤原氏の初代藤原清衡により建立された。棟木に天治元年(1124年)の年次と共に「大檀散位藤原清衡」「女檀 安倍氏 清原氏 平氏」が物部清国を大工として建立した旨の墨書があり、この年が建立年とされている。

 2006年に奈良文化財研究所は、解体修理時に取り外されていた金色堂の部材をデジタルカメラを使用した年輪年代測定法で調査した。その調査報告によれば、金色堂に使用された木材の伐採年代は1114年から16年頃とされ、上記の建立年代は科学的にも裏付けられた。

 奥州藤原氏滅亡直後の文治5年(1189年)、中尊寺経蔵別当心蓮が源頼朝に差し出した「寺塔已下注文」(『吾妻鏡』所収)には、当時残存していた中尊寺の堂宇が書き出されているが、その中に「金色堂 上下四壁は皆金色なり」云々の記載があり、当時から「金色堂」と称されていたことが分かる。



出典:テレビ東京、世界遺産となった中尊寺特集

金色堂

 中尊寺金色堂は、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の建築、美術、工芸の粋を集めたものとして国宝に指定されている。堂の所有者は宗教法人金色院である。

 金色堂は、中尊寺山内のやや西寄りに東を正面として建つ、方三間(正面、側面共に柱間が3間)、平面の1辺が5.5メートルの小型の仏堂である。堂は、1965年建設の鉄筋コンクリート造の覆堂(おおいどう、さやどう)内にあり、ガラスケースに納められて外気と遮断されている。


出典:トランヴェールの2011年9月号

仏像

 堂内安置の仏像について見ると、中央壇、右壇、左壇共に阿弥陀三尊像(阿弥陀如来坐像、観音菩薩立像、勢至菩薩立像)を中心に、左右に3躯ずつ計6躯の地蔵菩薩立像(六地蔵)、手前に二天像(持国天、増長天)を配し、以上11躯の仏像から構成される群像を安置している。

 ただし、右壇では二天像のうち右方(向かって左)の増長天像が失われているので、堂内安置の仏像は計32躯である。また、右壇の阿弥陀如来像は金色堂本来の像でなく、後世他所から移入された像であると見なされており、金色堂本来の仏像は計31躯ということになる。

 中央壇と左壇の阿弥陀如来像は膝前で両手を組む定印(じょういん)を結ぶが、右壇の阿弥陀如来像は右手を挙げ左手を下げる来迎印で、像高も一回り小さく、金色堂本来の像でないことは明らかである。像高は中央壇阿弥陀如来像が62.3センチメートル、左壇阿弥陀如来像が65.4センチメートル、右壇阿弥陀如来像が48.9センチメートルで、その他の諸像の像高は60 - 70センチメートル台である。


出典:テレビ東京、世界遺産となった中尊寺特集

 須弥壇内に安置される遺体は、中央壇が藤原清衡、右壇が2代基衡、左壇が3代秀衡とするのが通説である。清衡は大治3年(1128年)没、基衡は保元2年(1157年)頃没、秀衡は文治3年(1187年)没で、約30年の間隔を置いて没している。

 須弥壇上の3組の仏像群も、上記3名の没年の前後に造立されたものと推定されているが、現状の仏像の配置は必ずしも平安時代のままではなく、後世に入れ替わった部分が多いと見なされている。各像はいずれも寄木造または一木割矧造で、漆箔を施し、用材はカツラ、ヒバ、ヒノキの3種がある。各像の様式、用材、木寄せ法等から、おおよその制作年代が推定されている。

 阿弥陀三尊像に着目すると、中央壇の阿弥陀如来像は典型的な定朝様(じょうちょうよう)で、定朝から3代目の円勢などの円派仏師の作風に通ずるところがあり、12世紀前半の制作と見なされることから、中央壇の本来の本尊と思われる。中央壇の両脇侍像も阿弥陀如来像と一具の作とみられる。


出典:テレビ東京、世界遺産となった中尊寺特集


金色堂の螺鈿(らでん)
出典:テレビ東京、世界遺産となった中尊寺特集

螺鈿
  螺鈿はおもに漆器や帯などの伝統工芸に用いられる装飾技法のひとつ。貝殻の内側、虹色光沢を持った真珠層の部分を切り出した板状の素材を、漆地や木地の彫刻された表面にはめ込む手法、およびこの手法を用いて製作された工芸品のこと。螺は貝、鈿はちりばめることを意味する。使用される貝は、ヤコウガイ(夜光貝)、シロチョウガイ(白蝶貝)、クロチョウガイ(黒蝶貝)、カワシンジュガイ(青貝)、アワビ、アコヤガイなどが使われる。はめ込んだ後の貝片に更に彫刻を施す場合もある。


つづく