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北イタリア紀行
ダイオキシン大事故から30年
セベソ


青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komchi Ikeda

2006年4月7日
 無断転載禁


ブラチスラバ (1)〜(5) ウィーン  ミラノ コモ  セベソ ベニス


■7日目(木

 今日は今回の現地視察の大きな目的を果たす日だ。

 すなわちイタリアのロンバルディア州ミラノ市北部にある小さな町、メダにあったイクメサと言う農薬など化学物質を製造する工場の爆破により、大気中に大量のダイオキシンが飛散し、未だに多くの影響、被害の傷跡が残るいわゆるセベソ事故について、イタリアの研究者と議論し、現地を調査をする。

 午前7時過ぎに食事をすます。

 昨日、おおよそ目安は付けたが、ホテルの主人に行き先であるピアッツァ・ディアスと言うロンバルディア財団が入っているビルの地番について聞く。主人が道路地図をもとに探してくれる。ドーモのすぐ近くのようなので一安心。

 いつものようにホテルの南にあるダテオのバス停からドーモ行きのバスに乗る。

 ドーモの一つ前のバス停で降る。

 まだ訪問時間の午前10時にはかなり早いので、ドーモに入る。入り口で警察官の荷物検査に出会う。別に何も持っていないので、すぐにパス。今日はそれほど団体客はいないし、一般の礼拝者もいない。

 ドーモを出て、くだんのショッピングモールを散歩。ここもまだ人出が少ない。

 ここで肝心な訪問先であるロンバルディア環境財団の位置を最終確認する。ピアッツア・ディアス7と言う番地を便りにビル一棟一棟を探す。ピアッツア・ディアス6まで探すが、なかなか7が見つからない。6のビルの受付の男性に聞くと、7は6の隣のビル。ドーモを挟んでアーケードとちょうど反対側にある高いビルの9階(ピアノと言う)であることが判明。これでさらに一安心。


正面真ん中のビルがロンバルディア環境財団が入るビル

 9時過ぎ、ドーモの隣にあるミラノ市観光局のインフォメーションセンターに入る。

 日本人向けのニューズレターをもらう。日単位でミラノでやっている各種イベントの情報が日本語で書かれていたり、空き室情報があったりで、なかなかすばらしい。ここでイタリア語だが、市内の詳細地図と広域ミラノの地図が含まれる印刷物をもらう。今日の午後行く、セベソも地図にある。

 9時50分、ロンバルディア環境財団に向かう。エレベータで9階に行きドアを開くと、副理事長で大気汚染問題の専門家、女性のドクターMita Lapiさんらが出迎えてくれる。


ロンバルディア環境財団のプレート

 同財団の学術顧問であり大気及び地球環境部門を担当するAntonio BallarinDenti博士が到着するまで、彼女と法律問題の専門家のBarbara Pozzoさんが対応してくれる。財団の設立経緯、活動内容にはじまり、事故から30年を迎える今年の記念イベント、はてはミラノ市の大気汚染問題、地球温暖化問題への対応、アジェンダ21など、多岐に渡り説明を受ける。


財団の副理事長(右)らと議論する

 そうこうしているうちに、Denti先生がこられる。ここで1時間半ほど、肝心なセベソ事故によるダイオキシン飛散、土壌汚染、その修復、その後の環境規制、基準設定についてのイタリア、ロンバルディア州の動き、EU、はては国連の動きなどについて説明を受ける。セベソ事件がきっかけとなり、EU指令が設定された経緯についても聞く。


壁にはセベソ大事故によるダイオキシンの飛散地域などのパネルが多数貼ってある

 財団から、事故後20周年を記念してエルズビアーより出版されたセベソ事故にかかわる環境科学調査等の論文を集めた本や中高生など子供向けの本をいただく。いずれもきわめて貴重な情報だ。


財団関係者と一緒に写真を

  私たちが午後にセベソの現場を訪れることを告げると、いろいろ注意事項を教えてくれる。議論が終わると、Lapiさんがロンバルディア財団の各部門をひとつひとつ案内し職員に紹介してくれる。常駐の研究員は7名ほどとのことだ。

 理事長はじめ大気汚染、土壌汚染、生物多様性、アジェンダ21など地球温暖化研究、出版情報担当の研究員をひとりひとり紹介してくれる。小さな組織だが、それぞれ重要な研究をしていることが分かる。

 東京から持参したおみやげを差し上げ、写真を一緒に撮影し、ロンバルディア財団をあとにする。

 頑固者の城からミラノ北駅に向かう路上にあるカフェテリアで昼食。昨日のパスタには怒りを感じているところだが、再挑戦。頼んだキノコのリゾットとパスタ、いずれも大変おいしい。値段は昨夜より若干安い。


天気が良いのでミラノのカフェテラスで昼食を

 昼食後、ミラノ北駅まで歩く。駅でセベソまでの往復切符を買う。往復で4ユーロちょっと。往復で700円弱だ。何しろこの鉄道料金はリーズナブル。出発まで北駅からホテルまでのバスの停留所を探すが、よく分からない。


セベソ行きは結構たくさん出ている(ミラノ北駅で)

 出発時間が近づき、セベソ行き列車の番線に向かう。約40分列車に揺られ、セベソ駅に着く。本当に小さな田舎町の小さな駅だ。駅前に一件コンビニとカフェバーを兼ねた店があるだけで、他には何も商店がない。


セベソ駅にて

 下車して、線路に沿って南に100mほど歩くと、どうみてもセベソ市役所らしき建物に出くわす。ここでセベソ全体の地図をもらえればと思案。ちょうど入り口に入ってきた男性にその旨話すと、親切に担当部署まで案内してくれた。担当の女性職員は不在だったが、すぐに席に戻ってきた。男性が地図の件を話すと、セベソ市の全体地図をくれた。セベソの人口は約2万人、住宅地と一部農地などが混在するミラノ近郊都市だ。


セベソ市役所の前で

 地図をもらってわかったのだが、セベソ市の形状は、ダイオキシン問題で有名となった埼玉県所沢市の形状とそっくりだ。信じられないことだが、そうなのである。しかも、セベソでも所沢のくぬぎ山地区同様、市の中央北部ないしその北側にダイオキシン類の派生源があることも似ている。これにはびっくりした。

 地図をたよりにセベソ事故でもっと高濃度の影響を受けた地域、すなわちAゾーンが現在公園として保全されていることをあらかじめ知っていたので、その公園に向かう。セベソ事故その物は北部のメダ市にあったイクメサと言う化学工場で起きたのだが、その影響は南側のセベソやさらに南のまちに及んでいる。中でも土壌汚染がひどかったのは、工場の風下にあたるセベソだ。通称Aゾーンがその後、自治体等により土地利用規制されており、緑地公園となっている。

 緑地公園に向かって歩く。途中、市営の墓園がある。墓園を見学後、肝心な緑地公園に進む。地図だと中に入れるようになっているが、実際に行ってみると、すべて鉄のフェンスが2重にめぐらされ、公園の中には入れない。


左側がAゾーン地域

 高速道路が走る西のはじまで行くが、そこも公園には入れないことが分かった。2重のフェンスのバッファーゾーンに、地下水のモニタリングポイントが数カ所ある。おそらく定期的に地下水中の化学物質濃度を計測しているのだろう。


重度な汚染地域は2重のフェンスでガードされている

 一端、市営の墓地までもどり、緑地公園のフェンスに沿って北上する。墓園のとなりが市営の廃棄物分別場となっているらしく、何台もゴミを積んだトラックが出入りしている。この分別・処分場に沿って高い壁がめぐらされており、その先にAゾーンのフェンスが連なる。

 この場所にはどうみても、覆土して小高い山になっている部分がある。以前、日本のテレビ局が特集したとき、事故で被害を受けた動物や機具をこの土地に埋め、覆土したと報道していたが、おそらくその場所だろう。近くに水処理施設と推察される建築物がある。


汚染物質を埋め立てたという小高い丘と水処理施設

 これもフェンスの最先端まで歩く。しかし、やはりここでも緑地公園には入れない。やはり2重のフェンスがある。さらに、川に沿って北上する。地図を見ると明らかに、緑地公園の正門と推察できる地点に来る。しかし、ここでも門は閉まっていて中には入れないことが分かった。各所で詳細に写真撮影をする。周辺の土地利用、建築状況なども調査する。


緑地公園の入り口

 2時間弱、現地を調査し、セベソ駅に戻る。まさに足が棒のようになった。そこで、駅前にある唯一のカフェバーでコーヒーを飲む。セベソは本当にのどかな住宅地であり、たまたまその北部にあった工場の爆発によって、ダイオキシン汚染で世界的に有名な場所となったことが現地調査をしてよく分かった。

 樫の木の森公園は、毎週日曜日に開園される。春から秋の間は、土曜日も開園となり、市民の憩いの場となっているが、中での活動には多くの制約がある。また、一部のエリアは自然保護エリアとして立ち入りが厳しく制限されている。30年を経た今でも冷たい柵に囲われた樫の木の森は当時を知る市民にとってどのような存在となっているのか、関心があるところである。

 根元から細い枝が多数出ていたり、枝分かれしていたりして、1m程度盛り土されたことが窺えた。公園内には遊歩道やベンチなどもみられ、これが市民に開放されていればすばらしい快適空間になると思われるが、市民は公園の周囲の通路を自転車で、あるいは徒歩で散歩をしており、中には一切入れないのが悲劇を物語っている。

 年に数回あるいは何らかの行事が行なわれる際には公開されることもあるようだが、冷たい柵に囲われた樫の木の森は当時を知る市民にとってどのような存在となっているのか、関心があるところである。

 現地では、市民を中心に3000人規模の原告団による裁判がいまでも継続されており、L財団に関与する科学者達が専門家として法定に立つこともあるという。
 セベソからミラノ北駅に戻り、さらに地下鉄でミラノ中央駅に行く。ここで夕食をとり、バスでホテルに戻る。


重厚なミラノ中央駅


ベニスにつづく