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ピソニ家に属していたエルクラネウムのヴィラデイパピリの再建 Source:https://archeologiavocidalpassato.com/tag/camillo-paderni/ <ヴェスヴィオ総合メニュー> パピルスのヴィラ1 パピルスのヴィラ2 パピルスのヴィラ3 パピルスのヴィラ4 パピルスのヴィラ5 パピルスのヴィラ6 パピルスのヴィラ7 パピルスのヴィラ8 パピルスのヴィラ9 パピルスのヴィラ10 パピルスのヴィラ11 パピルスのヴィラ12 <芸術作品> ヴィラの豪華さは、多くの芸術作品だけでなく、特にそこに見られる多数の珍しいブロンズ像やすべての名作・傑作が証明しています。ヴィラには、少なくとも80点の優れた品質の彫刻のコレクションがあり、その多くは現在ナポリ国立考古学博物館に収蔵されています。 その中には、1758年にヴィラで見つかったブロンズのエルメス座像があります。アトリウムのインプルビウム(雨水を受ける仕掛け)の鉢の周りには、サテュロスが水次から水を注いでいる様子とアモリーニがイルカの口から水を注いでいる様子を描いた11体のブロンズの噴水像がありました。他の彫像や胸像は、アトリウムの壁の周りの隅で見つかりました。 Barker identified this sculpture as Mercury. However, it has also been identified as Seated Hermes. バーカーはこの彫刻をマーキュリーと特定しました。ただし、この像は、エルメス座像としても識別されています。Source:Wikimedia Commons CC BY 2.5, Link ドーリア式のペプロスを身に着け象嵌の目もつ等身大ブロンズ製、踊る女性像5体は、紀元前5世紀のローマ時代の様式を採用したものでした。それらはまた噴水から水を引く採水器でもありました。 Statue of dancers from the peristyle. ペリスタイルに設置されていた踊る女性の像 Source:Wikimedia Commons CC BY 3.0, Link 注)ペプロス (peplos) wikipedia 古代ギリシアの女性が着用していた長衣のこと。紀元前6世 紀ごろからドーリア人の女性に着られたものが元になってお り、初期は厚ぼったい粗末な毛織物で作られた。後に薄い織 り物へと変わり、ゆるやかに体の線を浮かびあがらせて着用 するようになる。仕立てが同じで亜麻で作ったものはドーリア 式キトンとも呼ぶが、本稿では区別せず扱う。 <エピクロス主義と図書館> この家の所有者、おそらくカルプルニウス・ピソは、主として哲学的な性格の図書館を設立しました。この結論は定かではありませんが、図書館はピソの家族の友人であり取引先であったガダラのエピクロス派のフィロデムスによって収集、選択された可能性があると考えられています。エピクロスの信者は、この道徳的で自然な哲学者の教えを学んでいました。 この哲学は、人間は死すべきものであり、宇宙は偶然の結果であり、摂理的な神は存在せず、良い人生の基準は喜びと節制であることを教えました。フィロデムスとピソとのつながりは、ヘルクラネウムとナポリで彼の周り集まっていたギリシャ文学と哲学の若い学生に影響を与える機会をもたらしました。彼の作品の多くは、ヘルクラネウムで回収された哲学図書の約1000本のパピルス巻紙の中で発見されました。 フィロデムスの散文作品は、キケロ(Cicero)後に、アッティカ様式が復活する前のヘレニズム時代のギリシャの散文に典型的な、疲れ切った非周期的なスタイルとして詳しく説明されていますが、フィロデムスはほとんどのエピクロス主義者が志した平均的な文学基準を超えていました。 フィロデムスは、その時代の最も学識があり著名なローマ人に影響を与えることに成功しました。パピルスの別荘の廃墟の中でパピルスの巻物が発見されるまで、彼の散文作品は知られていませんでした。 西暦79年のベスビオ火山の噴火の際、火砕流に襲われたても安全に移動できるように、貴重な図書類は容器(ケース)に詰め込まれていました。噴火は最終的にその場所に約20~25mの火山灰を堆積させ、巻物を焦がしましたが、灰が凝灰岩を形成するように固まったため、それらの図書類が保存されることとなりました。これは古代の唯一の生き残った図書館なのです。 注)ガラダのフィロデモス(Philodemus of Gadara) Wiki(en) ガダラのピロデムスはエピクロス主義の哲学者であり詩人 でした。彼はアテネのシドンのゼノに師事し、その後ローマ に移り、その後ヘルクラネウムに移りました。 [生]前110頃.ガダラ、[没]前35頃.ヘルクラネウム。ギリシア のエピクロス派の哲学者,詩人。アテネでエピクロス派のシ ドンのゼノンに学び,ローマで58代 . C.コンスルの庇護を受 けた。キケロが言及しているほか,34の格言詩と多岐にわた る論文が現存している。 (コトバンク) 注)エピクロス(Epikouros、紀元前341年 – 紀元前270年) Wikipedia 快楽主義などで知られる古代ギリシアのヘレニズム期の哲学 者。エピクロス派の始祖である。現実の煩わしさから解放され た状態を「快」として、人生をその追求のみに費やすことを主 張した。後世、エピキュリアン=快楽主義者という意味に転化し てしまうが、エピクロス自身は肉体的な快楽とは異なる精神的 快楽を重視しており、肉体的快楽をむしろ「苦」と考えた。 注)キケロ(Cicero) wikipedia マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日 - 紀元前43年12月7日)は、共和政ローマ 末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者である。ラテン語でギリ シア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデ メイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデ メイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと 考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語 の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称 賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与 えた。キケロの名前に由来するイタリア語の「チチェローネ」という 言葉は「案内人」を意味するが、ギリシア哲学の西洋世界への案 内人として果たした多大な影響をよく物語っている。名前はキケロ ーとも表記される。 パピルスのヴィラ4につづく |