◆1937年(昭和12年)
7月7日 盧溝橋事件
7月11日 近衛文麿内閣、対中方針を発表し、天津に二個師団の増派を決定。
7月20日ごろ 盧溝橋付近で衝突再燃
7月25日 郎坊駅事件(鉄道駅での日中軍衝突)
7月26日 広安門事件(北京広安門で日本軍が中国軍より銃撃)
7月29日 通州事件(中国{冀東防共自治政府}保安隊による日本人虐殺)、天津駐留日本軍は中国軍攻撃開始。
8月 中ソ不可侵条約、中国共産党八路軍結成
8月13日 第二次上海事変
8月14日 渡洋爆撃開始
9月 日本海軍、中国大陸沿岸を封鎖
9月 第二次国共合作
9月14日 日本軍、北京・天津より南進を開始。保定攻略。
11月 国民政府(蒋介石)、重慶へ遷都
11月5日 日本軍、杭州湾に上陸。参謀本部は作戦区域を上海西部の蘇州~嘉興のラインまでと指示。
11月19日 日本軍、蘇州攻略。
11月27日 日本軍、指示を無視して戦線を拡大、無錫攻略。
11月29日 日本軍、常州攻略。
12月1日 参謀本部、南京攻略を許可。
12月10日 日本軍、南京攻撃開始。
12月12日 中国(国民党)軍の唐生智大将が南京から逃走。
12月13日 南京攻略、南京事件(規模、性質等を巡って論争あり。南京大虐殺論争参照)
12月17日 日本軍、南京入城式
◆1938年(昭和13年)
1月 近衛文麿、「国民政府を対手とせず」の声明
3月 南京に中華民国維新政府成立
4月17日 参謀本部、徐州攻略作戦を許可
5月 日本、国家総動員法公布
5月15日 中国軍、徐州放棄(徐州会戦)
5月19日 日本軍、徐州占領
7月~8月 張鼓峰事件(日ソ武力衝突)
10月 日本軍、バイアス湾上陸、広東占領、武漢三鎮を攻略
12月 汪兆銘が重慶を脱出
◆1939年(昭和14年)
2月 中ソ航空協定締結。日本軍、中国最南の海南島占領
5月~8月 ノモンハン事件(日ソ武力衝突)
◆1940年(昭和15年)
1月 汪兆銘、南京で親日政府樹立(南京政府)
9月23日 日本軍、仏領インドシナ北部(北部仏印)に進駐
8月~12月 八路軍、日本軍に対して大攻勢(百団大戦)
12月 仏印とタイが武力衝突
◆1941年(昭和16年)
1月 仏印とタイが講和
4月 米国、国民政府に5千万ドル借款成立、中ソ中立条約成立
5月 米国、対中武器貸与法発動
7月28日 日本軍、仏領インドシナ南部(南部仏印)進駐
10月 マニラで英米蘭中の軍事会談
12月8日 日本、真珠湾攻撃、のちに英米蘭に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)勃発) |
治安維持法
治安維持法(ちあんいじほう、昭和16年(1941年)3月10日法律第54号)は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。当初は、1925年に大正14年4月22日法律第46号として制定され、1941年に全部改正された。とくに共産主義革命運動の過激化を懸念したものといわれているが、やがて宗教団体や、左翼活動、自由主義、市民運動等へも対象が拡大されていった。
◆1942年(昭和17年)
1月 米国人スティルウィルが中国国民党軍参謀に就任
3月 米国 国民政府に5億ドル借款成立
10月 英米、中国における治外法権を撤廃(不平等条約の廃止)
◆1943年(昭和18年)
1月 延安で「日本人開放連盟」成立、前線の日本兵へ投降の呼びかけ
◆1944年(昭和19年)
1月 イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交。
2月3日 日本軍、第二次アキャブ作戦開始。
2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。
2月17日 トラック島空襲
2月22日 エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕。
2月26日 日本軍、第二次アキャブ作戦を中止。
3月8日 日本軍、インパール作戦開始。
3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職(海軍乙事件)
4月17日 - 12月10日 大陸打通作戦
4月 日本軍、大陸打通作戦開始
5月25日 日本軍、洛陽占領。
6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住 日本人1万人死亡)。
6月16日 米軍、中国大陸から北九州へ初空襲。
6月19日 マリアナ沖海戦
この戦いで日本は航空戦力と空母、大鳳、翔鶴を失い、完全に制空権を奪われる。
7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
7月18日 東條英機内閣総辞職。
7月22日 小磯国昭内閣成立。
8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い)
10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。
10月12日 台湾沖航空戦
10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)。
10月23日 レイテ沖海戦 この戦いで日本の空母戦力、瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田が沈没。日本側は主力本隊の栗田艦隊、別動隊の西村艦隊、志摩艦隊と囮空母起動部隊の小沢艦隊、4つの艦隊で構成されていた。
10月24日 戦艦武蔵沈没(シブヤン海)。
10月25日 神風特別攻撃隊、レイテで初出撃。
11月10日 汪兆銘、名古屋で病死。
11月10日 日本軍、桂林、柳州占領。
11月24日 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
12月7日 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されない。
12月10日 日本軍、大陸打通作戦を完了。
12月26日 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)
◆1945年(昭和20年)
8月8日 ソ連、日ソ中立条約を破棄し、満州国・朝鮮半島に侵攻
8月14日 葛根廟事件(ソ連軍、日本人避難民を虐殺)
8月15日 玉音放送(終戦の詔)、日本軍無条件降伏
9月2日 日本、連合国への降伏文書に調印
9月中旬 中国戦線の日本軍戦闘停止 |
日中戦争 記事、論文、論考、日誌、写真
日中戦争 太平洋戦争 731部隊 関連資料 総集
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註)日中戦争には一部、朝鮮に関連する事件なども含めています。
◆西大門刑務所 1908年10月21日~1987年11月15日
西大門刑務所は、朝鮮(韓国)の京城(ソウル)にあった刑務所。
1908年10月21日に、「京城監獄」の名称で、当時の朝鮮半島では初めての近代的刑務所として設立され、1912年9月3日に「西大門監獄」、1923年5月5日に「西大門刑務所」に名称が変更された。独立後は韓国政府に移管され、それに伴い名称が1945年11月21日に「ソウル刑務所」となり、1961年12月23日に「ソウル矯導所」、1967年7月7日には「ソウル拘置所」に変更された。1987年11月15日にソウル拘置所が始興郡儀旺邑(現在の義王市)に移転されるまで、刑務所としての役目を果たした。政府は、1988年2月20日に同刑務所の死刑場を史蹟第324号に指定し、1992年8月15日には、刑務所一帯に独立公園を開園した。1995年には、政府樹立50周年記念事業として「西大門刑務所歴史館」の建設工事が開始され、1998年11月5日にオープンし、一般公開されるようになった。
・青山貞一:日韓<近代>歴史探訪~西大門刑務所歴史館
・青山貞一:ソウルの西大門刑務所に残る日本統治下の死刑場
・関連写真ギャラリー
◆大韓民国臨時政府(上海~重慶) 1919年~1945年
大韓民国臨時政府は、1919年の日本統治朝鮮で起こった三・一運動後、海外で朝鮮の独立運動を進めていた李承晩らにより、中華民国の上海市で結成された朝鮮の独立運動組織。日中戦争後は上海から重慶に移した。蒋介石や中国国民党は党派間の融和に協力した。蒋介石のみならず中国共産党も臨時政府の活動を支えた。機関誌を通じ軍事活動を宣伝、光復軍創設と共に軍事協力を模索した。大韓民国の現行憲法の前文には「大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統」と「4・19民主理念」を継承すると書かれており、大韓民国臨時政府を現・大韓民国の前身と位置づけている。
・関連写真ギャラリー
◆三・一運動 1919年3月1日
三・一運動は、1919年3月1日に日本統治時代の朝鮮で起こった日本からの朝鮮独立運動。独立万歳運動や万歳事件とも(日本では三・一事件、三・一独立運動という名称もある)。韓国では3月1日を三一節として祝日に指定している。
・己未独立宣言書 WikiSource
・青山貞一:日韓<近代>歴史探訪~韓国・独立記念館
◆関東軍 1919年(大正8年)4月 - 廃止 1945年(昭和20年)
日露戦争後にロシア帝国から獲得した租借地、関東州と南満州鉄道(満鉄)の付属地の守備をしていた関東都督府陸軍部が前身。大日本帝国の中華民国からの租借地であった関東州(遼東半島先端)の守備、および南満州鉄道附属地警備を目的とした関東都督府の守備隊が前身。司令部は当初旅順に置かれたが、満州事変後は満州国の首都である新京に移転した(現在の長春市であり、司令部跡は中国共産党吉林省委員会本部となっている)。「関東軍」の名称は警備地の関東州に由来し(関東とは、万里の長城の東端とされた山海関の東側、つまり満州全体を意味する)、張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行したことは、1920年代からの外交安全保障戦略を現地の佐官級参謀陣が自らの判断で武力転換させたことを意味し、その後の日中戦争(支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に至る日本の政治外交過程を大きく揺るがす契機となった。なお、満洲事変は、参謀本部・陸軍省といった当時の陸軍中央の国防政策からも逸脱していた上、明確な軍規違反であり、大元帥たる昭和天皇の許可なしに越境で軍事行動をする事は死刑に処される程の重罪であったが、首謀者達は処罰されるどころかみな出世した。
・関連写真ギャラリー
◆国際連盟 1920年1月10日~
国際連盟は、第一次世界大戦後の1919年のドイツとのヴェルサイユ条約、および中央同盟国との諸講和条約により規定され、ヴェルサイユ条約の発効日である1920年1月10日に正式に発足した国際機関である。連盟としての初会合は1920年1月16日にパリで、第一回総会は1920年11月15日スイス・ジュネーヴで開催された。史上初の国際平和機構であり、日本では連盟と略されることもある。連盟本部は1920年から1936年まではジュネーヴのパレ・ウィルソンに、1936年からは同じくジュネーヴのパレ・デ・ナシオンに置かれていた。パリ家モーリス・ド・ロチルド(英語版、フランス語版)の屋敷シャトー・ド・プレニーも、1920年から1939年まで国際連盟の会場として使用された。第二次世界大戦勃発後は事実上活動を停止していたが、1946年4月に国際連盟は正式に解散し、その資産は国際連合に継承された。
・関連写真ギャラリー
◆済南事件 1928年(昭和3年)5月3日午前9時半頃
済南事件(中国では五・三惨案)は1928年(昭和3年)5月3日午前9時半頃、中国山東省の済南における、国民革命軍の一部による日本人襲撃事件、および日本の権益と日本人居留民を保護するために派遣(第二次山東出兵)された日本軍と、北伐中であった蒋介石率いる国民革命軍(南軍)との間に起きた武力衝突事件。事件の発端については日本と中国では見解が異なる。また、日本軍により旧山東交渉公署の蔡特派交渉員以下16名が殺害されたが、中国側はこれを重く見て、日本軍の「無抵抗の外交官殺害」を強く非難した。さらにこれを機に、日本軍は増派(第三次山東出兵)を決定した。
・済南事件(1928年)
・関連写真ギャラリー
◆張作霖爆殺事件 1928年(昭和3年、民国17年)6月4日
張作霖爆殺事件は、1928年(昭和3年、民国17年)6月4日、中華民国・奉天(現瀋陽市)近郊で、日本の関東軍によって奉天軍閥の指導者張作霖が暗殺された事件。別名「奉天事件」。中華民国や中華人民共和国では、事件現場の地名を採って、「皇姑屯事件」とも言う。終戦まで事件の犯人が公表されず、日本政府内では「満洲某重大事件と呼ばれていた。
・張作霖(Wiki)
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◆日ソ国境紛争 1930年代後半
日ソ国境紛争は、1930年代後半を中心に満州で起きた、大日本帝国とソビエト連邦間の国境紛争である。形式的には満州国とソ連、あるいはその衛星国のモンゴル人民共和国の国境が係争地のため、満ソ国境紛争や満蒙国境紛争とも呼ばれる。なお、日本及びソ連では一・般に紛争にとどまるものととらえているが、モンゴルではノモンハン事件については戦争と評価している。
・関連写真ギャラリー
◆満州事変 1931年9月18日 - 1932年2月18日
満洲事変は、1931年(昭和6年、民国20年)9月18日に中華民国奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、関東軍が南満洲鉄道の線路を爆破した事件(柳条湖事件に端を発し、関東軍による満洲(現中国東北部)全土の占領を経て、1933年5月31日の塘沽協定成立に至る、日本と中華民国との間の武力紛争(事変)である。中国側の呼称は九一八事変。関東軍はわずか5か月の間に満洲全土を占領し、軍事的にはまれに見る成功を収めた。
・九・一八事
・関連写真ギャラリー
◆柳条湖事件 1931年(昭和6年、民国20年)9月18日
柳条湖事件は、関東軍の謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件。1931年(昭和6年、民国20年)9月18日、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した。事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou
Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている。
・関連写真ギャラリー
◆満蒙開拓団 1931年(昭和6年)~1945年(昭和20年)
満蒙開拓団とは、1931年(昭和6年)に起きた満州事変から1945年(昭和20年)の日本の太平洋戦争敗戦時に至るまで、いわゆる旧「満州国」(中国東北部)・内モンゴル地区に、国策として送り込まれた入植者(満蒙開拓移民)約27万人のことをいう。
・青山貞一:NHKスペシャル満蒙開拓団はこうして送られたを見て
・歴史と資料 - 満蒙開拓平和記念館ページ
・満蒙開拓平和記念館
・ETV特集 アンコール「告白~満蒙開拓団の女たち~」
・東京の満蒙開拓団“埋もれた歴史”を伝えたい
◆満蒙開拓移民 1931年(昭和6年)~1945年(昭和20年)
満蒙開拓移民(は、1931年(昭和6年)の満州事変以降、1945年(昭和20年)の太平洋戦争敗戦までの期間に日本政府の国策によって推進された、中国大陸の旧満州、内蒙古、華北に入植した日本人移民の総称である。満蒙開拓団とも言われる。1932年(昭和7年)から大陸政策の要として、また昭和恐慌下の農村更生策の一つとして遂行され、14年間で27万人が移住した。
・青山貞一:NHKスペシャル満蒙開拓団はこうして送られたを見て
◆満州国 1932年 - 1945年
満州国は、1932年(大同元年[1])から1945年(康徳12年)の間、満州(現在の中国東北部)に存在した国家。日本の傀儡政権である。帝政移行後は「大満州帝国(大滿洲帝國)」あるいは「満州帝国(滿洲帝國)」などと呼ばれていた。日本(朝鮮、関東州)および中華民国、ソビエト連邦、モンゴル人民共和国、蒙古聯合自治政府(後に蒙古自治邦政府と改称)と国境を接していた。
・王道立國之要旨宣示ノ件(Wikisource)
・満州国(Wikisource) ・満州国皇帝(Wiki)
・関連写真ギャラリー
◆第一次上海事変 1932年(昭和7年)1月28日から3月3日
第一次上海事変は、1932年(昭和7年)1月28日から3月3日にかけて戦われた中華民国の上海共同租界周辺で起きた日華両軍の衝突である。当時の上海市にはイギリス、アメリカ合衆国、大日本帝国、イタリア王国などの国際共同租界とフランス租界からなる上海租界が置かれていた。日本は北四川路及び虹江方面に「約2万7千の在住民を有した」。居留民の警護を目的とする各国軍が駐留していた。日本も海軍陸戦隊1000人を駐留させていた。このとき共同租界の防衛委員会は、義勇軍、市参事会会長、警視総監の他に、租界設置国各軍の司令官によって構成されていた。
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◆上海停戦協定
上海停戦協定(シャンハイていせんきょうてい)とは、1932年1月28日より開始した第1次上海事変における日本と中華民国との間で締結された停戦協定文である。本協定文には本来標題は無いが、当時、外務省において便宜上、同標題が付けられた。
◆上海天長節爆弾事件 1932年(昭和7年)4月29日
上海天長節爆弾事件とは、第一次上海事変末期の1932年(昭和7年)4月29日に上海の虹口公園(現在の魯迅公園)で発生した爆弾テロ事件。事件があった場所から虹口公園爆弾事件(ほんきゅーこうえんばくだんじけん)とも呼ばれる。
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◆平頂山事件 1932年9月16日
平頂山事件とは、1932年9月16日、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊(井上小隊)がゲリラ掃討作戦をおこなった際に、抗日ゲリラと通じていたとされる楊柏堡村付近の平頂山集落の住民の多くを殺傷した事件である
。<犠牲者数については、400 - 800人(田辺敏雄による説)や3,000人(中国説)など諸説がある。
・『平頂山事件とは何だったのか』 平頂山事件訴訟弁護団編著
・中国「平頂山事件」の真実-高裁判決を聞く報告集会
◆731部隊 1935年 - 1945年 詳細:731部隊関連資料集
731部隊は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略。満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験[や、生物兵器の実戦的使用[4][5]を行っていたとされている。
・石井四郎(Wiki)
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◆100部隊 1936年(昭和11年)8月
100部隊は、大日本帝国陸軍が満州の長春に設置していた、軍用動物の衛生管理・研究などを目的とした部隊のこと。組織上は関東軍に属しており、正式な名称は関東軍軍馬防疫廠。100部隊の名はコードネームである通称号「満州第100部隊」の略に由来しており、同様のコードネームは当時の日本陸軍の全部隊に割り振られていた。終戦時の部隊長であった若松有次郎の名を冠して、若松部隊と呼ばれることもある。
◆西安事件 1936年(民国25年)12月12日
西安事件は、1936年(民国25年)12月12日に中華民国西安で起きた張学良・楊虎城らによる蒋介石拉致監禁事件。中国では西安事変と呼ばれる。事件収束に至る真相の詳細はいまだ不明だが、この事件によって、その後の共同抗日と国共合作が促されたとされる。
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◆盧溝橋事件 1937年(昭和12年)7月7日
盧溝橋事件)は、1937年(昭和12年)7月7日に北京(北平)西南方向の盧溝橋で起きた日本軍と中国国民革命軍第二十九軍との衝突事件である。中国では一般的に七七事変と呼ばれる。この事件後に幾つかの和平交渉が行われていたが、日中戦争(支那事変)の発端となった。事件の発端となった盧溝橋に日本軍がいた経緯は北京議定書に基づく。
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◆通州事件 1937年(昭和12年)7月29日
通州事件とは、日中戦争(支那事変・北支事変)の初期の1937年(昭和12年)7月29日に中国陥落区の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた。通州虐殺事件とも呼ばれる。通州は北平(現:北京市)の東約30kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で[6]、日本(大日本帝国)が政治的目的のため北支五省で行った華北分離工作の結果、殷汝耕が南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた。
・「通州事件」への視点
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◆チャハル作戦 1937年(昭和12)8月9日 -10月17日
チャハル作戦(とは、1937年(昭和12)8月9日から10月17日にかけて行われた察哈爾省・綏遠省(現在の内モンゴル自治区)とその周辺における日本軍の作戦である。7月7日の盧溝橋事件から始まった日中戦争(支那事変)で、日本軍は7月末には北平・天津地方を制圧し、華北分離工作を完成させるため、8月には北支那方面軍を編成して河北省保定(パオティン)以北の制圧を実行に移そうとしたが、河北省南部に集結しつつある中国軍と衝突する恐れがあったため準備期間が必要となり一時延期され、代わりに行われた作戦である。「察哈爾作戦」とも表記される。
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◆第二次上海事変 1937年8月13日 - 10月26日
第二次上海事変は、1937年(昭和12年)8月13日から始まる中華民国軍の「日本租界」への攻撃とそれに続く日本軍の反撃である。上海戦とも。中国側の呼称は淞滬會戰(淞?会?)。盧溝橋事件により始まった華北(北支)での戦闘は、いったんは停戦協定が結ばれたものの、7月25日の廊坊事件で停戦が破られると、26日の広安門事件で日本人に犠牲者が発生し、29日の通州事件では民間人を含む230名が虐殺されたことにより、武藤章や田中新一ら拡大派が、石原莞爾や河辺虎四郎ら不拡大派を押し切った。この事件以後華中(中支)において交戦が拡大することになった。
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◆上海南市難民区
上海に住むフランス人のカトリック教会ジャキノ神父は南市の30万人余の中国人住民のため大規模な避難区域を計画し、これを日中双方に提示し了承された。南市難民区はフランス人3名、イギリス人1名、スウェーデン人1名から成る南市避難民救助国際委員会が設置され、区域内に武器を携帯する者が在住しないことを宣誓し、日本側は区域内の非戦闘性が持続する限り攻撃しないことを約束した[61]。この件は上海市長の受諾をもって1937年11月9日正午から正式に認められた。
◆日本軍の南京進撃 1937年10月20日
10倍近い敵軍を壊走させた上海派遣軍は、10月20日に編成された第10軍(柳川平助中将)とともにすかさず追撃に入った。また、平行追撃と同時に敗軍の追討のために南京を攻略する構えを見せた。当初、参謀本部は和平交渉を行う為の相手政府を失う恐れから、南京進撃を中止するよう下令したが、のちに現地軍の方針を採用し南京攻略を追認した。ファルケンハウゼンは、要塞線が突破された時点で南京からの撤退を主張したが、蒋介石が南京での防衛戦にこだわったため、多くの兵力や市民が南京周辺で日本軍に包囲された。
◆海外メディアの第二次上海事変報道
1937年8月31日の『ニューヨーク・タイムズ』では一連の事件について「日本軍は敵の挑発の下で最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出させなかった。ただしそれによって日本人の生命と財産を幾分危険にさらしたのではあるが…」と上海特派員によって報じた。1937年10月7日の『シドニー・モーニング・ヘラルド』は「(居留民を)保護するための日本軍は増援を含めて4千だけであった。…ドイツの訓練を受けた部隊から徴用された2~3万の中国軍と向かい合って攻勢を開くだろうとは信じ難い」とする。
また、『ニューヨーク・ヘラルドトリビューン(英語版)』は9月16日に「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは疑う余地は無い」と報じた。
・ライフ誌の報道写真
「上海南駅の赤ん坊」LIFE誌1937年10月4日号
写真雑誌ライフ1937年10月4日号は、日本軍が1937年8月28日に爆撃した上海南駅でハースト社カメラマンの王小亭が撮影した「上海南駅の赤ん坊」を掲載し、欧米の排日世論を高めるのに大きな影響を与えた。この演出写真かどうかについて論争があるた。
・関連写真ギャラリー
・重慶爆撃 1938年12月18日~1943年8月23日
重慶爆撃(じゅうけいばくげき)は、日中戦争(支那事変)中の1938年12月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃。
重慶爆撃は日中戦争・第二次世界大戦と続くこの時期の世界戦争の中で、1937年のゲルニカ爆撃に続く最初期の組織的な戦略爆撃に位置づけられる。
◆南京戦・南京事件・南京虐殺 1937年12月4日 - 12月13日
南京戦(Battle of Nanking)は、日中戦争における戦闘の1つで、1937年(昭和12年)8月以降の上海戦の戦線が拡大し、12月に中華民国の首都南京で展開した。日本軍は中国軍を追撃し、南京を陥落させた。日本軍からは南京攻略戦。中国側からみて上海戦と南京戦を併せて上海南京保衛戰とする研究もある。この戦闘の最中に南京事件(南京大虐殺)が発生したとされ、戦後南京軍事法廷や東京裁判で訴追された。ただし、事件の内実については論争がある(南京事件論争)。
・松井石根(Wiki)
★南京大虐殺で、多くの中国人救ったデンマーク人 没後36年目の顕彰 BBCJ(英国放送日本語版) |
・日本テレビが南京検証番組の第2弾! 虐殺否定派の「自衛発砲説」に緻密な取材で徹底反論 リテラ
・南京大虐殺の犠牲者30万は歴史的事実 朱成山氏強調 中国大使館
・青山貞一、 「南京大虐殺」 その背景と経過をNHKスペシャルから探る~(全9編)
・南京城とその周辺
・判決文添付「南京攻略作戦図」
・南京市における城壁空間に関する研究
・南京事件 143枚の写真の再検証(1)
・南京事件 143枚の写真の再検証(2)
・日本人記者や文化人も「虐殺」を証言している
・日本における報道は当時から規制されていた
・南京大虐殺現場にいた日本新聞記者・特派委員・文化人証言集
・「大阪毎日」「東京日日」新聞記者たち(写真、以下)
以下の南京事件-日中戦争 小さな資料集は、当初、執筆者が掲載していたヤフーのWebのリンクがきれていましたが、その後、独自のWebに掲載されたので、そこをリンク先として再生しました。
・南京事件-日中戦争 小さな資料集(再生版)
・「南京」以前ー「出版警察報」より
・文化人と「南京事件」
以下4名の文化人の論考は、上記に含まれています。
・石川達三 ・大宅壮一 ・西条八十 ・火野葦兵
・石川達三、生きてゐる兵隊
・石川達三「生きてゐる兵隊」は、発禁直後に中国語訳され刊行されていた
・日高信六郎氏の証言
・松本重治氏の証言
・「南京事件」と報道規制
・小俣行男氏(読売新聞従軍記者) 「侵掠」より
・朝日新聞記者が見たもの
・前田雄二氏『戦争の流れの中に』より
・資料:城外、農村部の住民
・「揚子江が哭いている」より
・郷土部隊戦史に見る「南京事件」
以下7名の郷土部隊による論考は、上記に含まれています。
・第六師団(熊本)
・第九師団歩兵第三十六連隊(鯖江)
・第十三師団歩兵第六十五連隊(会津若松)
・第十三師団歩兵第一〇四連隊(仙台)
・第十六師団歩兵第三三連隊(久居)
・第十六師団第二〇連隊第三中隊(福知山)
・第三師団歩兵第三十四連隊(静岡)
・山本武『一兵士の従軍記録』より
・資料:日本人の著作に見る「南京事件」
以下7名の日本人の論考は、上記に含まれています。
・児玉誉士夫氏 「われかく戦えり」
・法眼晋作氏 「外交の真髄を求めて」
・徳川義寛氏 「侍従長の遺言」
・徳川義親氏 「最後の殿様」
・三笠宮崇仁氏 「闇に葬られた皇室の軍部批判」
・瀧川政次郎氏 「東京裁判をさばく(下)」
・菅原裕氏 「東京裁判の正体」
・資料:軍人の発言に見る「南京事件」
以下5名の論考は、上記に含まれています。
・松井石根大将 ・畑俊六大将 ・岡村寧次大将
・河辺虎四郎・参謀本部作戦課長 ・真崎甚三郎大将
・松井石根 Wikipedia
・「徴発」の実態
・「馬群」の捕虜殺害
・民間人殺害命令
・下関の光景 ー入城式後の「捕虜殺害」ー
・日本軍の放火
・資料:日本軍の暴行記録ー「49人」か?
・捕虜の試し斬り
・資料:「国際委員会文書」の告発
・資料:ヴォートリン日記に見る「殺害事例1」
・資料:ヴォートリン日記に見る「殺害事例2」
・資料:「安全区外」の残留住民
・マギーが証言したこと
・「マギー証言」への評価
・「マギー牧師の解説書」より 続・安全区外の残留住民
・安全区 敗残兵狩りの実相
・「スマイス報告」をめぐる議論
・資料:「犠牲者数」をめぐる諸論
以下6名の論考は、上記に含まれています。
1.板倉由明氏 13000~19000
2.秦郁彦氏 40000~60000
3.笠原十九司氏 80000余
4.加登川幸太郎氏 3000~6000
5.畝本正己氏 3000~6000
6.鈴木明氏 数万
★日本テレビが南京検証番組の第2弾! 虐殺否定派の「自衛発砲説」に緻密な取材で徹底反論 リテラ
◆南京大虐殺紀念館
中国語名「侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館」は、中華人民共和国の博物館であり、追悼施設でもある。中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。中国共産党により第1次愛国主義教育模範基地に指定されている。
・関連写真ギャラリー
・南京大虐殺紀念館The Memorial of the Nanjing Massacre(760枚写真)
◆南京事件論争
南京事件論争とは、日中戦争(支那事変)中の1937年(昭和12年)12月に遂行された南京戦において発生したとされる南京事件における虐殺の存否や規模などを論点とした論争である。論争は日中関係を背景に政治的な影響を受け続けた。
・「大阪毎日」「東京日日」新聞記者たち(写真)
・Reconciling Narratives of the Nanjing Massacre in Japanese and Chinese Textbooks Tsuru Bunka University Tokushi Kasahara
・The Nanking Massacre and The Text Book Controversy
・Japanese history textbook controversies
・Japan's Textbook Revision
・The Nanking Massacre: Analysis of Japanese and Chinese Interpretation
and Remembrance of Nanking 1940s-The Present
・What Japanese history lessons leave out
・Nanking Massacre textbooks rolled out in Jiangsu primary schools
◆張鼓峰事件 1938年
張鼓峰事件(ちょうこほうじけん)は、1938年(昭和13年、康徳5年)の7月29日から8月11日にかけて、満州国東南端の張鼓峰で発生したソビエト連邦との国境紛争である。実質的には日本軍とソ連軍の戦闘であった。ソ連側は、これをハサン湖事件と呼んだ
・関連写真ギャラリー
◆創氏改名 1939年(昭和14年)~1945年
創氏改名は、大日本帝国朝鮮総督府が、1939年(昭和14年)制令十九号(創氏)および二十号(改名)で、本籍地を朝鮮に有する日本臣民(以下朝鮮人という)に対し、新たに「氏」を創設させ、また「名」を改めることを許可した政策。
◆ノモンハン事件 1939年5月11日 - 9月16日
ノモンハン事件は、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争のこと。1930年代に日本(大日本帝国)とソビエト連邦の間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。
・植田謙吉
・関連写真ギャラリー
◆ドーリットル空襲 1942年(昭和17年)4月18日
ドーリットル空襲(Doolittle Raid)は、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月18日に、アメリカ軍が航空母艦に搭載したアメリカ陸軍航空軍の爆撃機によって行った日本本土に対する初めての空襲である。名称は空襲の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する。
◆大陸打通作戦 1944年(昭和19年)4月17日 - 12月10日
大陸打通作戦は、日中戦争中の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦。正式名称は一号作戦。その結果発生した戦闘についての中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。
◆海軍生体解剖事件 1944年1月末から7月末
海軍生体解剖事件は、1944年1月末から7月末にかけて、旧日本海軍の拠点が置かれていた西太平洋の
トラック島(当時は日本の委任統治下)で、海軍所属の病院・警備隊の軍医らが、捕虜(俘虜)となったアメリカ軍関係者を「生体解剖」するなどした後に殺害した事件。トラック島事件とも呼ばれる。1947年にBC級戦争犯罪裁判(アメリカ軍グアム裁判17号)で裁かれた。
◆海軍生体解剖事件 1944年1月末から7月末
海軍生体解剖事件は、1944年1月末から7月末にかけて、旧日本海軍の拠点が置かれていた西太平洋の
トラック島(当時は日本の委任統治下)で、海軍所属の病院・警備隊の軍医らが、捕虜(俘虜)となったアメリカ軍関係者を「生体解剖」するなどした後に殺害した事件。トラック島事件とも呼ばれる。1947年にBC級戦争犯罪裁判(アメリカ軍グアム裁判17号)で裁かれた。
◆大陸打通作戦 1944年(昭和19年)4月17日 - 12月10日
大陸打通作戦は、日中戦争中の1944年(昭和19年)4月17日から12月10日にかけて、日本陸軍により中国大陸で行われた作戦。正式名称は一号作戦。その結果発生した戦闘についての中国側呼称は豫湘桂会戦。前半の京漢作戦(コ号作戦)と後半の湘桂作戦(ト号作戦)に大きく分けられる。
◆葛根廟事件(かっこんびょうじけん) 1945年8月14日
葛根廟事件は、1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)が攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。引揚者の回想録によると、ソ連軍の攻撃で、避難民1,000名以上が虐殺されたと主張される。
◆東安駅爆破事件 1945年8月10日
東安駅爆破事件は、1945年8月10日に満州国東満省東安市(現在の中華人民共和国黒竜江省密山市)の南満州鉄道東安駅で、野積みされていた日本陸軍の弾薬が爆発した事件である。駅構内にはソ連対日参戦による避難民多数が乗った列車が停車中で、100人以上の死者が出た。日本軍が備蓄弾薬の鹵獲を防ぐために処分した際に起きた事故と見られるが、詳細は不明である。現在の地名から、密山駅爆破事件とも呼ばれる。
◆九州大学生体解剖事件 1945年
九州大学生体解剖事件は、1945年に福岡県福岡市の九州帝国大学(現九州大学)医学部の解剖実習室において死刑予定であったアメリカ軍捕虜に生体解剖(被験者が生存状態での解剖)が施術された事件。ただし九州帝国大学が組織として関わったものではない(#九州帝国大学の組織的関与についてを参照)。相川事件ともいわれる。
◆南京軍事法廷 1946年
南京軍事法廷は、1946年に蒋介石率いる中国国民党政府によって開かれた戦犯裁判。中国で戦争犯罪を犯したと目された日本軍関係者が日中戦争中の行為をもとにこの法廷で裁かれた。
・関連写真ギャラリー
◆極東国際軍事裁判 1946年5月3日-1948年11月12日
極東国際軍事裁判( The International Military Tribunal for the Far East)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後の1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。東京裁判(とも称される。
・関連写真ギャラリー(Wikimedia)
・Why Japan Is Still Not Sorry Enough
極東国際軍事裁判、A級戦犯などは太平洋戦争編を参照のこと。
◆ハバロフスク裁判 1949年12月25日 - 12月30日
ハバロフスク裁判とは、第二次世界大戦後の1949年12月25日から12月30日にかけてソ連のハバロフスクの士官会館で6日間行われた旧日本軍に対する軍事裁判の通称。主にソ連への進攻計画としての関特演、日本の対ソ攻撃、731部隊などが裁かれた。また近年の研究では1949年12月3日付で出された判決に外務人民委員のヴャチェスラフ・モロトフが署名した資料が発見されている。
・詳細:731部隊関連資料集
◆慰安所・慰安婦問題
・慰安婦 ・日本の慰安婦 ・韓国軍慰安婦
・従軍慰安婦資料館
・中国人慰安婦映画『太陽がほしい』上映会と班忠義監督の講演
・日本軍将兵の証言・手記にみる慰安婦強制の実態
・慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
・国連女性差別撤廃委員会が勧告――「慰安婦」問題にも遺憾表明
・中国慰安婦研究の第一人者「慰安婦の被害者は40万人」
・「中国人慰安婦の惨状暴露127人中、生存者11人だけ」
・「中国人慰安婦」著者に聞く―共謀者扱いされた女性たち
・「慰安婦」問題を知ろう 日本で行なわれた日本軍性暴力被害者裁判
・「慰安婦」問題を知ろう 日本軍「慰安婦」制度について、多くの方に知ってもらうために役に立つQ&Aや資料
・声なき人たちに光を 旧軍人と中国人「慰安婦」の20年間の記録
・「中国人元慰安婦11人」証言フィルムの信憑性
・CAN KOREA HANDLE THE TRUTH ABOUT JAPAN’S 'COMFORT WOMEN'?
・South Korean professor faces backlash on comfort women book
・The Korea-Japan 'Comfort Women' Failure: A Question of History
・In South Korea, a renegade academic who raised questions about the 'comfort women' saga
・EXPOSING THE RAPE OF NANKING
・関連写真ギャラリー(Wiki)
◆日本の戦争犯罪一覧
日本の戦争犯罪一覧(は、日本および大日本帝国が行った行為のうち「戦争犯罪行為」と認定または主張される行為の一覧である。
ここでは日中戦争に限定している。
・日中戦争・太平洋戦争
日本軍が日中戦争・太平洋戦争において行った行為のうち、連合国 (第二次世界大戦)および諸外国が戦争犯罪であると主張する行為を下記に記す。
・中華人民共和国の主張によるもの
重慶爆撃
平頂山事件
南京大虐殺(南京事件)(分類C)
百人斬り競争
張作霖爆殺事件
陽高事件
生物兵器・化学兵器の使用
燼滅作戦における毒ガス使用
浙江省における生物兵器使用(en)
常徳の戦いにおける化学兵器と生物兵器の使用
慰安婦
日本兵による中国人女性の強姦
略奪- 戦闘継続のための食糧をはじめとする物資の確保のための徴発活動
日本企業による強制労働(花岡事件や西松建設事件
・韓国・在日朝鮮・在日韓国人の主張によるもの
慰安婦の強制連行、性的奴隷制度としての慰安所。
「チルボン島事件」とされる宣伝
朝鮮人の強制連行・強制労働(ただし、当時、日本と朝鮮との間で国家間レベルの交戦関係はなかった。
・日本国内での主張によるもの
久米島守備隊住民虐殺事件
渡野喜屋事件
戦争マラリア
・その他の行為
ランソン事件 - 明号作戦展開時のフランス軍捕虜の殺害。戦闘中に捕虜収容の余裕がなく、戦後、責任者とされる人物が冤罪処刑されている。
・戦争関係以外で「戦争犯罪」に準ずる主な行為
かつて日本によって統治されていた国家などが、戦争とは関係ない統治政策や弾圧活動など。
日本統治時代に朝鮮などで行われた皇民化政策
関東大震災での日本人による朝鮮人の虐殺
「日本軍による中国国民に対する報復」と宣伝される便衣兵掃討作戦時の民間人犠牲者(平頂山事件)
朝鮮(三・一独立運動など)、台湾(台湾抗日運動)での独立・共産運動及び抗日組織の制圧・掃討作戦に伴う行為
731部隊
・慰安婦問題に関する国際連合人権委員会などの主張によるもの
慰安婦制度における性暴力については、1996年1月に家庭内暴力を主要対象としたクマラスワミ報告の付属文書において取り扱われ、国連人権委員会に提出された。また、旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺を主な報告対象とした1998年8月のマクドゥーガル報告書においても取り扱われた。2000年には民間の運動団体による民衆法廷である日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷が開かれた。2007年1月には米国下院でも非難決議がなされた。しかし、これらの報告書の事実認定の一部、また加害者側の吉田証言に虚構があったことも判明しており、議論が続いている(慰安婦参照)。 「
・日本の戦争犯罪 |
日中戦争 動画・ビデオ・映像
日中戦争 太平洋戦争 731部隊 関連資料 総集
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<日中戦争・太平洋戦争・東京裁判・朝鮮戦争全般>
・満州事変・南京入城からサンフランシスコ講和条約まで【NHKスペシャル】JAPAN
世界が見た明治大正昭和 2015デジタルリマスター版より
<治安維持法>
・自由はこうして奪われた~治安維持法 10万人の記録 朝鮮人には59人に刑判決が下され処刑。 NHK-ETV
<韓国植民地化、朝鮮独立運動>
・朝鮮三・一独立運動
・朝鮮「31独立」の真実 The true history of the Korean 31 fight for independence
・韓国3.1独立運動90周年記念・シンポジュームと文化交流会
<関東軍、満州国>
・中国・東北部事変 関東軍暴走 その時歴史が動いた
・満州開拓移民と関東軍=取り残された民衆
<日中戦争、盧溝橋事件、上海事変>
・日中戦争(1937-1938)
・【中国映画】 1937・7・7 事変 (盧溝橋事件)
・盧溝橋事件 運命の4日間 中国派兵への 重大決意 その時歴史が動いた
・【映画】激動 !! 日中戦史秘録
・上海陸戦隊
・[1937~1945] Second Sino-Japanese War(日中戦争)
・日中戦争 上海事変―南京戦
<満州開拓団、満州事変>
・満蒙開拓団
・満州国①
・中国・東北部事変 関東軍暴走 その時歴史が動いた
・盧溝橋事件 運命の4日間 中国派兵への 重大決意 その時歴史が動いた
・NHKスペシャル 村人は満州へ送られた 国策71年目の真実 2016年08月15日
・【歴史映像】昭和6年満州事変
・済南事変・満州事変
・中国・東北部事変 関東軍暴走 その時歴史が動いた
・【米紙】満州事変と国際連盟
<ノモンハン事件>
・ノモンハン事件と細菌戦
・Халхин-Гол 1939 / Khalkhyn Gol / ノモンハン事件
・「ノモンハン戦争とはなんだったのか」田中克彦 NHK Culture Radio
・アーカイブズ 中国残留孤児・残留婦人の証言 ノモンハン事件、武田さん①
・高校講座 国史 ノモンハン事件2 モンゴルとソ連
・タムスク基地跡 ジューコフ将軍ゆかりの廃虚
・ノモンハン 責任なき戦い 1939年・モンゴル大草原で繰り広げられたソビエト軍との戦い 敵を知らず己を知らず 惨敗の責任自決を迫る参謀 NHK
<731石井部隊>
・731部隊の真実 エリート医学者と人体実験 -
・NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」
・UNIT 731 Documentary | Japanese Invasion of China | Second Sino-Japanese
War | 1937-45
・Japanese World War II veterans recall horrors of Unit 731
・UNIT 731 - The Japanese Holocaust - Documentary (2012)
・Unit 731 Laboratory Of The Devil 2000 Movie Trailer
・ZDF documentary on Unit 731
・Unit 731 The Japanese Auschwitz
・NHK's documentary on Unit 731 triggers calls for reflection upon history
・Science Experiments Evil Side: Unit 731
・More foreign tourists visiting Unit 731 ruins in NE China
<第二次上海事変>
・The Battle of Shanghai (B) : Japanese Naval Operation Record / 第二次上海事変
(海軍作戦記録)
・日中戦争 上海事変―南京戦
・第二次上海事変(Wikimedia Commons)
<南京事件、南京虐殺>
◆日本初公開◆過去を尋ねる旅(追尋往時)
中国河北電視台制作ドキュメンタリー
南京戦線に出兵した亡き父親の贖罪の旅をつづける野田契子さんの旅のドキュメンタリー!
・NNNドキュメント南京事件 兵士たちの遺言 20151004
・NNNドキュメント南京事件 歴史修正を検証せよ 20180514
|
・日本テレビが南京検証番組の第2弾! 虐殺否定派の「自衛発砲説」に緻密な取材で徹底反論 リテラ
・【NHKスペシャル】 満州事変・南京入城からサンフランシスコ講和条約まで 2015デジタルリマスター版より
・満州事変勃発 昭和6年
・南京大虐殺の証拠フィルムはこうしてアメリカに渡った
・南京大虐殺の証拠~当時の記録映像と生存者の確実な証言
・日本 南京大屠殺70年 陳文茜報導
・20121216文茜世界周報/新張純如 紀?南京暴行的奇女子
・20171111 UPLAN 植松青児「南京事件80年
・Photos Taken By Japanese Aggressors Of Nanjing Massacre - 南京大屠??日本拍下的照片
・The Battle of China - インターネット・ムービー・データベース(英語)
・The Battle of China ダウンロード on the Internet Archive
・南京大屠殺
・【南京事件とは?】 ③ パラマウント・ニュース映画、『南京陥落』1938年1月放映
・戦線後方記録映画『南京』(リマスター完全版)Documentary film "Nanking"1938, 67minutes
・Chinese army VS Janpanse army in NanKing
・Der Gott des Gemetzels: Trailer
・Der Gott des Gemetzels | Film und Serie Video | ARD Mediathek
・The Nanking Massacre: Facts, Pictures, WW2, Documentary Photos, Book, Women (1997)
・フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
・南京大虐殺の検証
・南京大虐殺の真実 Japanese Soldiers-Trailer clip 8
・NNN 南京事件 兵士たちの遺言
・中国の館長、意義強調 「南京事件」記憶遺産登録(15/10/10)
・南京大虐殺犠牲者埋葬地記念碑の概略図を大学生が手書きで作成
・Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre
・Nanking Massenschlacht 1937 - Eine Stadt wird vergewaltigt von japanischer Armee [German]
・20171211《档案》:南京大屠?八十周年祭 ??血?的人
・20141218 探索?? 南京大屠?真相 第三集 国?救援
・外国人眼中的南京大屠?(一):?翰・?吉 屠城影像??者
・今にいかせ197:南京事件、石川 達三アジアを取材
<重慶爆撃>
・NNNドキュメント「戦争のはじまり 重慶爆撃は何を招いたのか?」 0510 201705220055
<日ソ国境紛争>
・日ソ国境紛争 張鼓峰事件1 ロシアTV
・日ソ国境紛争 張鼓峰事件2 ハサンの戦いを再現 ロシアTV
・延吉にて「日ソ開戦に伴う満州在留邦人の行動」
<慰安婦、性暴力>
・おきなわ 戦場のうた / 元“慰安婦”の胸痛む現実と歴史
・【慰安婦の真実】朝鮮人が残した慰安婦の日記
・沖縄戦、慰安婦の真実を追って 1991年映画監督朴壽南講演
・中国人慰安婦を描いた映画『黎明之眼』予告編
・2015.08.15文茜的世界周報/《阿媽的秘密》台籍慰安婦 深藏50年的痛
・《?凰大?野》20140924 最后的“慰安?”(三)
・慰安婦幸存者:?天被強奸四五十次 遭?水銀避孕
・2015.08.23【台灣演義】慰安婦 | Taiwan History
<極東国際軍事裁判、東京裁判>
・International Military Tribunal for the Far East
・The Tokyo trial charged 28 Japanese military leaders of ‘Class A’ crimes
・Japanese War Crimes 日本の戦争犯罪-Military Tribunal For The Far East 2/15
・War crimes trials at the International Military Tribunal Far East
・Evidence of Nanjing massacre from Intl Military Tribunal for Far East
・東京裁判 vol1/4 (極東国際軍事裁判)
・東京裁判 vol2/4 (極東国際軍事裁判)
・東京裁判 vol3/4 (極東国際軍事裁判)
・東京裁判 vol4/4 (極東国際軍事裁判)
・極東国際軍事裁判 前編
・TOJO ON TRIAL 1940s
・Rare court footage: U.S. priest testifies Nanjing Massacr
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