◆開戦までの経緯(概要)
1937年(昭和12年)7月7日に始まった日中戦争(支那事変)によって、日本の満州事変以来の日本の中国平定を警戒する英米仏と日中戦争の長期化は欧米の対中軍事支援によるとする日本の関係は急速に悪化、アメリカ合衆国が航空機用燃料・鉄鋼資源の対日輸出を制限するなど、日本の締め上げが図られた。それでも中国から撤退しない日本は、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦を繰り広げるドイツ・イタリアと1940年に日独伊三国軍事同盟を締結し、ヴィシーフランスとの合意のもと仏領インドシナへ進駐し事態を打開しようとするが、アメリカは石油輸出全面禁止などの経済封鎖を以て之に答えた。その後数度にわたる日米交渉も難航し、アメリカは1941年(昭和16年)11月26日、ハル・ノートを日本側に提出した。これを最後通牒と受けた日本は、12月1日の御前会議で日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定、択捉島からハワイ真珠湾へ向けて出撃していた大日本帝国海軍連合艦隊に12月8日の戦闘行動開始命令が伝えられた。
◆1941年(昭和16年)
12月8日 日本、英米に宣戦布告(太平洋戦争開戦)。
開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)が発せられる。
日本軍、英領マレー半島のコタバル、タイ南部のパタニとシンゴラ(ソンクラ)に上陸(マレー作戦の開始)。広東省から英領香港攻撃開始(香港の戦い)。
ワード号事件
真珠湾攻撃
中華民国国民政府、日独伊に宣戦布告。
米領フィリピン上空で航空戦(フィリピンの戦いの開始)。
12月10日 マレー沖海戦。グアムの戦い。日本軍、ルソン島北部(アパリ、ビガン)上陸。グアム、タラワ、マキン占領。
オランダ、日本に宣戦布告。
12月11日 日本軍、ウェーク島攻略失敗(ウェーク島の戦い)。
12月12日 日本軍、香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走。
12月15日 日本軍、ペナン島占領。
12月16日 日本軍、マレー半島アロールスター占領。
12月16日 日本軍、北ボルネオ(コタキナバル)に上陸。
12月16日 戦艦「大和」が竣工。
12月20日 日本軍、フィリピンミンダナオ島ダバオに上陸。
12月21日 日本政府、タイと攻守同盟を締結(日泰同盟)。
12月23日 日本軍、ウェーク島占領。
12月25日 日本軍、香港島を制圧、香港のイギリス軍降伏。
◆1942年(昭和17年)
西欧を起源とするこれまでの最高学府とは違うコンセプトで設立された国策「興亜工業大學(現在の千葉工業大学)」
1月2日 日本軍、ルソン島マニラを無血占領。
1月8日 連合軍、タイ攻撃開始。
1月11日 日本軍、マレー半島クアラルンプール占領。
日本、オランダに宣戦布告。
1月15日 日本軍、英領ビルマ(現ミャンマー)攻撃部隊がタイに集結。
1月23日 日本軍、ニューブリテン島ラバウル占領。
1月24日 バリクパパン沖海戦。
1月25日 タイ、英米に宣戦布告。日本軍、バリクパパン占領。
1月27日 エンドウ沖海戦。
1月31日 日本軍、タイからビルマ侵攻開始。マレー半島ジョホールバル占領。
2月 アメリカ人スティルウィルが中国国民党軍参謀となる。
2月1日 日本軍、シンガポールの石油施設を砲撃。米機動部隊、マーシャル諸島来襲。
2月4日 ジャワ沖海戦。
2月7日 日本軍、シンガポール北東のウビン島に牽制上陸。
2月8日 日本軍、シンガポール北西海岸より上陸(シンガポールの戦い)。
2月14日 日本軍、蘭領東インド(現インドネシア)スマトラ島パレンバンを落下傘部隊で占領。
2月15日 シンガポールの英豪軍が降伏。
2月20日 バリ島沖海戦。ニューギニア沖海戦。
2月24日 米機動部隊、ウェーク島来襲。日本軍伊17潜、カリフォルニア州サンタバーバラを砲撃。
2月26日・28日 スラバヤ沖海戦。
3月 フィリピン統一抗日人民軍(フク団)結成。
3月 米、中国に5億ドル借款成立。
3月1日 バタビヤ沖海戦。日本軍、蘭領東インドジャワ島スランに上陸。
3月4日 米機動部隊、南鳥島来襲。
3月5日 日本軍、ジャワ島バタビア(現ジャカルタ)を占領。
3月7日 東インドのオランダ軍降伏。
3月8日 日本軍、英委任統治領ニューギニア島ラエとサラモアに上陸、占領(東部ニューギニアの戦い)。ビルマ(現ミャンマー)ラングーン(現ヤンゴン)占領。
3月13日 アメリカ軍フィリピン司令官マッカーサー、フィリピンから逃亡。
4月5日-9日 日本軍、セイロン(現スリランカ)コロンボの英軍基地を空襲。セイロン沖海戦。
4月18日 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)。以後本土空襲の年表は空襲にて。
5月1日 日本軍、ビルマ中部マンダレー占領。
5月3日 日本軍、ソロモン諸島ツラギ占領(MO作戦始まる)。
5月4日 日本軍、英領ビルマのアキャプ占領、ビルマ制圧完了。南方作戦完遂。
5月7日-8日 米領フィリピン・コレヒドール島の米軍降伏。珊瑚海海戦。
5月10日 日本軍、ミンダナオ島を占領。
5月29日 日本軍の特殊潜航艇、マダガスカル島のディエゴ・スアレスのイギリス軍基地を攻撃(マダガスカルの戦い)。
5月31日 日本軍の特殊潜航艇、オーストラリアのシドニーのイギリス軍艦艇を攻撃。(特殊潜航艇によるシドニー港攻撃)
6月5日-7日 ミッドウェー海戦で日本軍敗北。ここで日本の空母である、赤城、加賀、蒼龍、飛龍が失われる。
6月7日 日本軍、米アリューシャン列島キスカ島に上陸、占領。
6月8日 日本軍、アリューシャン列島アッツ島に上陸、占領。
6月8日 日本国政府によって、明治以来の東京帝国大学を頂点として成り立ってきた西欧起源の最高学府ではなく、東洋文化を根源とする初の国策の最高学府・「興亜工業大學(後の千葉工業大学)」が設立され、第1回入学式が挙行される。
6月16日 日本軍、ニューギニア島ポートモレスビーの連合軍基地を空襲。
6月20日 伊26潜、バンクーバーのカナダ軍基地を砲撃。
6月21日 伊25潜、オレゴン州アストリアの米軍基地を砲撃。
7月 日本軍、フィリピン全土占領。
8月 イギリス領インドで反英暴動。
8月7日 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸(ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)。
8月8日 第一次ソロモン海戦
8月24日 第二次ソロモン海戦
9月9日 伊25潜より発進した艦載機がアメリカ本土のオレゴン州を空襲。
9月15日 伊19潜、米空母ワスプ撃沈。
9月29日 伊25潜より発進した艦載機、アメリカ本土のオレゴン州を再度空襲
10月 英米、中国における治外法権撤廃を声明、不平等条約を廃止。
10月 重慶で英米中ソ対日作戦会議。
10月11日 サボ島沖海戦
10月13日 金剛型戦艦の金剛と榛名による夜間艦砲射撃 ヘンダーソン基地艦砲射撃(ヘンダーソン飛行場艦砲射撃)が行われる
10月26日 南太平洋海戦。米軍の稼動空母が0隻になる。しかし、日本側は多くの航空機パイロットを失う結果を出す。
戦術的にはアメリカの勝利。
11月12日 第三次ソロモン海戦
11月30日 ルンガ沖夜戦
12月8日 ニューギニア島バサプアの日本軍全滅。
◆1943年(昭和18年)
1月 レンネル島沖海戦
1月 - 3月 カサブランカで英米首脳会談。
2月 日本軍、オーストラリアのポートダーウィン爆撃。
2月1日-7日 日本軍、ガダルカナル島撤退(ケ号作戦)ガダルカナル島撤退作戦。
2月10日 - 3月下旬 日本軍、第一次アキャブ作戦開始(三一号作戦)。
3月2日 ビスマルク海海戦
3月26日 アッツ島沖海戦
4月1日 南樺太を内地に編入。
4月7日-16日 い号作戦
4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
5月 日本、学徒戦時動員体制の発表(学徒出陣)。
5月12日 米軍、アッツ島上陸(5月29日、日本軍全滅し「玉砕」の語の使用始まる)。
6月8日 長門型戦艦二番艦の陸奥が第三砲塔爆発により柱島泊地にて沈没。
7月6日 クラ湾夜戦
7月12日 コロンバンガラ島沖海戦
7月29日 日本軍キスカ島から撤退(キスカ島撤退作戦)。
8月 日本軍、バー・モウを首班としてビルマ独立を宣言。
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8月 カナダ・ケベックで英米首脳会談。
8月6日 ベラ湾夜戦
9月 イタリア、連合国に降伏。
9月10日 鳥取地震が発生。鳥取市が壊滅し1083名(1100名以上とも)が死亡。情報統制の中、国内外から支援。
9月17日 連合軍、ラエを占領。
9月30日 御前会議で絶対国防圏構想を決定。
10月 日本軍、フィリピン独立を許可。
10月6日 ベララベラ海戦
10月21日 東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催(学徒出陣のはじまり)。
10月24日 スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで自由インド仮政府の成立を宣言。
10月26日 自由インド、英米に宣戦布告。
11月 東京で大東亜会議を開催、大東亜共同宣言を発表。
11月1日 ブーゲンビル島沖海戦
11月21日 米軍、マキン島・タラワ島上陸(11月23日 日本軍玉砕)。
11月22日-26日 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談)。
11月24日 セント・ジョージ岬沖海戦
11月28日-12月1日 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談)。
12月5日 マーシャル諸島沖航空戦
◆1944年(昭和19年)
1月 イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交。
2月3日 日本軍、第二次アキャブ作戦開始。
2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。
2月17日 トラック島空襲
2月22日 エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕。
2月26日 日本軍、第二次アキャブ作戦を中止。
3月8日 日本軍、インパール作戦開始。
3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職(海軍乙事件)
4月17日 - 12月10日 大陸打通作戦
5月25日 日本軍、洛陽占領。
6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住 日本人1万人死亡)。
6月16日 米軍、中国大陸から北九州へ初空襲。
6月19日 マリアナ沖海戦
この戦いで日本は航空戦力と空母、大鳳、翔鶴を失い、完全に制空権を奪われる。
7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
7月18日 東條英機内閣総辞職。
7月22日 小磯国昭内閣成立。
8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い)
10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。
10月12日 台湾沖航空戦
10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)。
10月23日 レイテ沖海戦 この戦いで日本の空母戦力、瑞鶴、瑞鳳、千歳、千代田が沈没。
日本側は主力本隊の栗田艦隊、別動隊の西村艦隊、志摩艦隊と囮空母起動部隊の小沢艦隊、4つの艦隊で構成されていた。
10月24日 戦艦武蔵沈没(シブヤン海)。
10月25日 神風特別攻撃隊、レイテで初出撃。
11月10日 汪兆銘、名古屋で病死。
11月10日 日本軍、桂林、柳州占領。
11月24日 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
12月7日 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されない。
12月10日 日本軍、大陸打通作戦を完了。
12月26日 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)
◆1945年(昭和20年)
1月6日 - 8月15日 ルソン島の戦い
1月13日 三河地震が発生し、家屋倒壊と津波で2306名が死亡。情報統制により、ほとんど報道されなかった。
1月24日 イギリス海軍、スマトラの製油施設を空襲(メリディアン作戦)。
2月 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談)。
2月10日 北号作戦
2月18日 - 3月22日 硫黄島の戦い
3月 イラン・トルコが対日宣戦布告。トルコでは市民が宣戦布告に反対してデモ。
3月3日 米軍、マニラ占領。
3月10日 東京大空襲
3月12日 名古屋大空襲
3月14日 大阪大空襲
3月16日 神戸空襲
3月25日 名古屋大空襲
4月1日 - 6月23日 沖縄戦
4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣が総辞職。
4月6日 菊水作戦発令
4月7日 戦艦大和沈没 鈴木貫太郎内閣成立。
4月12日 アメリカ大統領のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマン。
4月30日 ドイツ総統ヒトラー自殺。
5月2日 ベルリン防衛軍司令官降伏(ベルリン陥落)。
5月7日 ドイツ大統領カール・デーニッツ無条件降伏を受諾、ナチス・ドイツ滅亡。
5月8日 ドイツ陸海空軍代表がベルリン郊外カールスホルストで降伏文書に調印。
5月16日 ペナン沖海戦
5月17日から6月2日 九州大学生体解剖事件
5月29日 横浜大空襲
5月31日 台北大空襲
6月19日-20日 静岡大空襲
6月26日 国際連合発足(加盟50カ国)。
7月5日 第1次横手空襲
7月7日 千葉空襲
7月10日 仙台空襲
7月12日 宇都宮空襲
7月14日-15日 函館空襲
7月14日 北海道空襲
7月14日 釜石艦砲射撃
7月15日 室蘭艦砲射撃
7月15日 小樽空襲
7月16日 アメリカが原子爆弾の実験に成功し、マンハッタン計画完成
7月16日-17日 平塚空襲
7月25日 米国、原爆使用を決定し投下命令を下す。
7月26日 ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表、日本の鈴木 貫太郎総理これを黙殺。
7月28日 米海軍、呉軍港爆撃(呉軍港空襲)
7月28日 青森大空襲。(米軍、青森へ新型焼夷弾を投下)
8月6日 米軍、広島に史上初の原子爆弾投下。
8月8日 日ソ中立条約を破棄し、ソ連対日宣戦布告、満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)
8月8日 福山空襲
8月9日 釜石艦砲射撃
8月9日 米軍、長崎に原爆投下。御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。
8月9日 大湊湾(大湊町)で海戦(大湊空襲)。事実上最後の海戦となる。
8月10日 第2次横手空襲
8月10日 日本、連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告。
8月14日 敗戦の詔が出される。中立国にポツダム宣言受諾を通告。中ソ友好同盟条約締結。深夜-15日未明土崎空襲。
8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)。南方軍これに抗議し戦闘続行。鈴木貫太郎内閣総辞職。
8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻開始(28日占領)。大本営、停戦命令を出す。
8月17日 東久邇宮稔彦王内閣成立。天皇、停戦の勅旨。連合国の許可を得て皇族をサイゴン・シンガポール・南京・北京・新京に派遣し、勅旨を伝える。
8月18日 インドのチャンドラ・ボース、台湾で飛行機事故死。
8月18日 ソ連軍、千島列島の占守島に侵攻。
8月19日 フィリピン・ルソン島の日本軍部隊、停戦命令を受領。関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始。
8月20日 樺太で真岡郵便電信局事件が起こる。
8月21日 占守島の日ソ両軍、停戦する。
8月22日 小笠原丸撃沈。
8月25日 ソ連軍、千島列島の松輪島を占領。
8月26日 満州での戦闘が終わる。
8月28日 ソ連軍、千島列島の択捉島を占領。
8月29日 ソ連軍、千島列島のウルップ島を占領。
8月29日 米軍第一陣150名が横浜に上陸。
8月30日 連合軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着。
9月1日 ソ連軍、千島列島の国後島・歯舞群島を占領。
9月2日 降伏文書調印、太平洋戦争終結。
9月3日 ソ連・中国にとっての対日勝利の日。ルソン島の日本軍降伏。
9月5日 ソ連軍、千島列島の色丹島を占領。ソ連軍が北方四島の占領を完了。関東軍首脳部がハバロフスクへ移動、後に57万人がシベリア抑留となる。
9月中旬 中国大陸の支那派遣軍降伏。 9月9日、支那派遣軍総司令官岡村寧次が降伏文書に南京で署名した。image
10月15日 本土の日本軍、武装解除完了。 |
太平洋戦争 記事、論文、論考、日誌、写真
日中戦争 太平洋戦争 731部隊 関連資料 総集
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・父島要塞 1921年着工
◆第二次世界大戦 1939年9月1日 - 1945年9月2日
第二次世界大戦(独: Zweiter Weltkrieg、英: World War II)は、1939年から1945年までの6年間、ドイツ、日本、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、アメリカ、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の巨大戦争。1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻と続くソ連軍による侵攻、そして英仏からドイツへの宣戦布告はいずれもヨーロッパを戦場とした。その後1941年12月の日本と米英との開戦によって、戦火は文字通り全世界に拡大し、人類史上最大の大戦争となった。
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◆仏印進駐 1940年の北部仏印進駐、1941年の南部仏印進駐
仏印進駐とは、第二次世界大戦下におけるフランス領インドシナ(仏領印度支那)への日本軍の進駐のことを指す。1940年の北部仏印進駐と、1941年の南部仏印進駐に分けられる。南部仏印進駐は日米関係の決定的な決裂をもたらした、太平洋戦争への回帰不能点であると評されている。
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最終的にベトナムはフランスの植民地支配から解放された形になったので、一部宗教団体などに日本軍に協力する動きはあったが、多くはフランスに代わる新たな軍事支配者としての日本に対する反発を強め、ただちに抵抗運動が起こった。1941年5月、ホー=チ=ミンらの指導するベトナム独立同盟(ベトミン)が結成された。日本軍支配下のベトナム北部では、米が日本に強制移送されたため食糧不足となり、北ベトナム大量餓死事件が起きている。
◆マレー作戦 1941年12月8日
マレー作戦(日本側作戦名「E作戦」)は、太平洋戦争(大東亜戦争)序盤における日本軍のイギリス領マレーおよびシンガポールへの進攻作戦である。 太平洋戦争(大東亜戦争)における最初の作戦である(つまり、「真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まった」という一部の記事にある記述は誤りである)。世界史的には、本攻撃によって第二次世界大戦はヨーロッパやアフリカのみならずアジア太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。
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・「シンガポールの日本軍慰安所」(林博史)/「戦争責任
研究」No.4(1994年夏季号/日本の戦争責任資料
センター)所収
・「華僑粛清(シンガポール、マレー戦線)」(高嶋伸欣)
/『歴史問題ハンドブック』(東郷和彦、波多野澄雄・
編/岩波書店)所収
・『旅行ガイドにないアジアを歩く シンガポール』(高嶋
伸欣、鈴木晶、高嶋道、渡辺洋介/梨の木舎)
◆太平洋戦争 1941年12月8日~1945年9月2日(または8月15日)
太平洋戦争( Pacific War)は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国など枢軸国と、連合国(主にアメリカ合衆国、イギリス帝国、オランダなど)の戦争である。日本側の名称は1941年(昭和16年)12月12日に東条内閣が閣議で「大東亜戦争」と決定し、支那事変も含めるとされた。日本軍のイギリス領マレー半島攻撃により始まり、その後アメリカ西海岸、アラスカからタヒチやオーストラリアを含む太平洋のほぼ全域から、東南アジア全域、インド洋のアフリカ沿岸までを舞台に、枢軸国と連合国とが戦闘を行ったほか、日本と英米蘭の開戦を機に蒋介石の中華民国政府が日本に対して正式に宣戦布告し、日中戦争(支那事変)も包括する戦争となった。
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◆真珠湾攻撃 日本時間1941年12月8日未明)
真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年は、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾[注釈
1]にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍が行った航空機および潜航艇による攻撃である。当時の日本側呼称はハワイ海戦(布哇海戦)。太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦の一環として計画された作戦であり、イギリスの植民地のマレー半島のイギリス軍に対するマレー作戦に次いで行われた作戦である(つまり「この作戦により太平洋戦争が開始された」という一部の記事などに見られる記述は誤りである)。一方的な戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に喪失した。
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・真珠湾攻撃 - 世界史の窓
◆バターン死の行進 1941年(昭和16年)12月23日~
バターン死の行進( Martsa ng Kamatayan sa Bataan、Bataan Death March)とは、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜が、捕虜収容所に移動する際に多数死亡した行進のことを言う。全長は120kmで、その半分は鉄道とトラックで運ばれ、残り42kmを3日間徒歩で移動した。
・Philipine History and Government 2004 edition
・Bataan Death March(Wiki)
・Back to Bataan(Wiki)
・Calif. OKs textbook changes to include Filipinos’ role in WWII
・Japan Apologizes for Bataan Death March
・Bataan Death March WORLD WAR II
・関連写真ギャラリー
・以下の出典:南京事件-日中戦争 小さな資料集
・マリベレスからバランガまで ―食糧なき行進
・バランガからサンフェルナンドまで―徒歩行進は続く―
・サンフェルナンドからオドンネルまで
・オドンネル収容所にて
・パンティンガン川の虐殺
・「否定」する側の視点① 現場関係者の証言
・「否定」する側の視点② 右派論壇での「否定論」
◆ウェーク島の戦い 1941年12月8日から12月23日
・関連写真ギャラリー
◆香港の戦い 1941年12月8日 - 12月25日
香港の戦いは、太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の香港における、日本軍と香港を植民地としていたイギリス軍の戦い。日本側作戦名は「C作戦」。日本軍では九龍半島の攻略に数週間を見込んでいたが、準備不足のイギリス軍は城門貯水池の防衛線を簡単に突破され九龍半島から撤退した。香港島への上陸作戦は18日夜から19日未明にかけて行われた。島内では激戦となったが、イギリス軍は給水を断たれ25日に降伏した。日本軍はわずか18日間で香港攻略を完了し、東南アジア戦線における日本軍の優位が確定した。
・関連写真ギャラリー
◆アリューシャン方面の戦い 1942年~1943年
アリューシャン方面の戦い(は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、日本軍とアメリカ軍のアリューシャン列島周辺で行われた戦い。
・関連写真ギャラリー
・アリューシャン攻略作戦 1942年6月3日 - 6月7日
・7月5日の海戦 (1942年) 1942年7月5日
・アッツ島の戦い 1943年5月12日 - 5月29日
・関連写真ギャラリー
・アッツ島沖海戦 1943年3月27日(現地時間では26日)
・キスカ島撤退作戦 1943年7月29日
・関連写真ギャラリー
・コテージ作戦 1943年8月15日
◆ミッドウェー海戦 1942年6月5日 - 6月7日
・ミッドウェー海戦 1942年6月5日 - 6月7日
・関連写真ギャラリー
◆ニューギニアの戦い 1942年3月7日~1945年8月15日
ニューギニアの戦いは、太平洋戦争(大東亜戦争)中期以降、ニューギニア戦線において、日本軍と連合国軍との間で行われた一連の戦闘である。太平洋戦争開始後間もない1942年1月、日本の大本営は「ニューギニアおよびソロモン群島の要地の攻略を企画する」と決定し、ニューギニアについては「ラエ、サラモア攻略後なしうればポートモレスビーを攻略する」とした。この決定により1942年3月8日、日本軍は東部ニューギニアのラエ、サラモアに上陸し占領した。
これがニューギニアの戦いの始まりであり、ダグラス・マッカーサー大将が率いる連合軍との間で1945年8月15日の終戦まで戦いが続けられた。連合軍の優勢な戦力の前に日本軍は次第に制海権・制空権を失って補給が途絶し、将兵は飢餓や過酷な自然環境とも戦わねばならなかった。ニューギニアに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかった。また台湾高砂族による高砂義勇兵や朝鮮志願兵、チャンドラ・ボース支援のインド兵も戦闘に参加している。
・関連写真ギャラリー
・ニューギニア沖海戦 1942年2月20日
・珊瑚海海戦 1942年5月8日
・ビスマルク海海戦 1943年3月2日?3月3日~3月4日
・ニューブリテン島の戦い 1943年12月15日~1945年8月15
・グロスター岬の戦い 1943年12月26日 - 1944年4月22日
・竹一船団 1944年4月26日と5月6日
・ホーランジアの戦い 1944年4月下旬~ 6月下旬
・ビアク島の戦い 1944年5月27日 ~ 8月20日
・サンサポールの戦い 1944年7月30日 ~ 8月31日
・日本のオーストラリア空襲 1942年2月-1943年11月
◆シンガポール華僑粛清事件 1942年2月から3月
シンガポール華僑粛清事件とは、1942年2月から3月にかけて、日本軍の占領統治下にあったシンガポールで、日本軍(第25軍)が、中国系住民多数を掃討作戦により殺害した事件。1947年に戦犯裁判(イギリス軍シンガポール裁判)で裁かれた。
◆ソロモン諸島の戦い 1942年1月 - 1945年8月15日
ソロモン諸島の戦いは、第二次世界大戦[1]中に日本軍と連合軍の間で、南太平洋ソロモン諸島の争奪をめぐり行われた戦闘である。一連の戦闘の中で大きなものはガダルカナル島の戦いとブーゲンビル島の戦いであるが、このほかにも多くの陸海空の戦闘が行われた。
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・ガダルカナル島の戦い 1942年8月7日 - 1943年2月7日
ガダルカナル島の戦い(ガダルカナルとうのたたかい、Battle of Guadalcanal)は、第二次世界大戦において1942年8月以降日本軍と連合軍が西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って繰り広げた戦いである。ミッドウェー海戦と共に太平洋戦争における攻守の転換点となった。
また、兵員、軍艦、航空機、燃料、武器等を多く失ったため国力が大きく減少した。
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・フロリダ諸島の戦い 942年8月7日-8月8日
・第一次ソロモン海戦 1942年8月8日-9日
・イル川渡河戦 1942年8月21日
ガダルカナル島全体の連合軍戦力はおよそ11,000名、日本軍側は約2,000名と見積もっていた。一木支隊は上陸地点のタイボ岬から西進し、20日深夜にルンガ東部のイル川西岸に陣を構えていた米海兵隊に遭遇、未明から戦闘開始。兵数・火力に圧倒的差の日本軍は大損害を被った。さらに米海兵隊は夜明けを待ち残存兵を殲滅し、同日午後支隊は壊滅した。この戦いで917名いた支隊第1梯団のうち、残存128名だけであった。指揮官一木大佐も死亡。
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・第二次ソロモン海戦 1942年8月23日-24日
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・サボ島沖海戦 1942年10月11日
・ヘンダーソン基地艦砲射撃 1942年10月13日
・ルンガ沖夜戦 1942年11月30日
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・第三次ソロモン海戦 1942年11月12日 - 1942年11月15日
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・ビラ・スタンモーア夜戦 1943年3月5日
・ルンガ沖航空戦 1943年6月16日
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・ベラ湾夜戦 1943年8月6~7日
・コロンバンガラ島沖海戦 1943年7月12日-13日
・ニュージョージア島の戦い 1943年6月20 - 1943年8月25日
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・ブーゲンビル島の戦い 1943年11月1日 - 1945年8月21日
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・セント・ジョージ岬沖海戦 1943年11月24~25日
・ナボイの戦い 1943年11月29日
・グリーン諸島の戦い 1944年1月29日 - 2月27日
グリーン諸島の戦いは、太平洋戦争での島嶼をめぐる戦闘の一つであり、1944年(昭和19年)1月から2月にかけてブカ島の北西方の海域に位置するグリーン諸島でニュージーランド軍およびアメリカ軍と日本軍守備隊が戦い、日本軍守備隊の玉砕によって戦闘が終わった。一連のソロモン諸島の戦いにおいて事実上最後の戦いに位置付けられ、グリーン諸島を確保した連合軍側は航空基地を前進させ、ラバウルとカビエンに対する包囲網をさらに狭めることとなった。
◆シンガポールの戦い 1942年2月7日から2月15日
シンガポールの戦いは、第二次世界大戦の東南アジア戦域で、1942年2月7日から2月15日にかけて行われた戦闘である。2倍を超える兵力差を覆して、当時難攻不落と謳われたシンガポール要塞を日本が10日足らずで攻略した結果、英国が率いる軍としては歴史上最大規模の将兵が降参した。当時の英国首相であったウィンストン・チャーチルは自書で「英国軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏」と評している。
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・1943 Chinese newspaper describing the Japanese occupation in Singapore that reports Japanese forces had taken four hundred Chinese women(日本のシンガポール占領を描写し日本軍が400人の中国女性を捕まえたと報じる1943年の中国語の新聞の翻訳)
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◆蘭印作戦 1942年1月11日 - 3月9日
蘭印作戦は、太平洋戦争初期における日本軍の蘭印(オランダ領東インド)への進攻作戦である。日本軍は1月11日にタラカンとメナド、1月25日にバリクパパン、1月31日にアンボン、2月14日にパレンバンと快進撃を続け、3月1日に最終目標のジャワ島に上陸した。ジャワ島の連合軍は3月9日に降伏した。大本営の事前の予想では開戦から蘭印軍降伏まで120日間とされていたが、92日間という電撃的な早さで作戦は完了した。
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◆インドネシア方面の戦い
・ジョンベル憲兵分隊事件 1942年4月-1945年9月
・スラバヤ沖海戦 1942年2月27-3月1日
・バタビア沖海戦 1942年2月28日-3月1日
・櫻倶楽部事件 1943年9月-1945年9月
・ポンティアナック事件 1943年10月23日-1944年8月
・マゲラン事件 1944年1月
・スマラン慰安所事件 1944年2月
・コックピット作戦 1944年4月19日
・フローレス島事件 1944年4月
・トランサム作戦 1944年5月17日
・モロタイ島の戦い 1944年9月15日 - 1945年6月下旬
・クリムズン作戦 1944年7月25日
・バンケット作戦 1944年8月24日
◆ボルネオの戦い
ボルネオの戦いは、太平洋戦争中に、日本軍の守るボルネオ島と付属島嶼へ、オーストラリア軍を主力とした連合軍が侵攻して起きた戦い。連合軍が勝利したが、戦略的に大きな影響はなかった。
・ボルネオの戦い 1945年5月1日 - 8月15日
・関連写真ギャラリー
◆インパール作戦、ビルマ・インド方面の戦い
インパール作戦とは、1944年(昭和19年)3月に[3]日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。補給線を軽視した杜撰な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。この記事はコヒマの戦いも併せて解説する。
・イラワジ会戦 1944年12月~1945年3月28日
・インパール作戦・ウ号作戦 1944年3月8日 - 7月3日
・青山貞一:史上最悪のインパール作戦と朝日新聞の戦争報道
・【悲惨】太平洋戦争インパール作戦
・第十二話 インパール作戦
・「日本軍が去った後、村は火の海と化した」目撃者が語るインパール作戦の真実|「終戦記念日」特別寄稿(前編)
・崩壊する戦線(3)―白骨街道「インパール作戦」(概要)
・牟田口廉也Wiki)
◆インド洋方面の戦い
・マダガスカルの戦い 1942年5月5日~11月6日
マダガスカルの戦いは、アフリカ大陸の南東、インド洋西部に位置するフランス植民地のマダガスカル島で第二次世界大戦中の1942年5月5日より11月6日まで行われた、ヴィシー政権側についた駐マダガスカルのフランス軍(ヴィシー・フランス軍)と大日本帝国海軍の枢軸国陣営と、イギリス軍と南アフリカ軍を中心とした連合国軍陣営の間におけるマダガスカル島とインド洋のシーレーン奪取を目的とした戦いのことである。
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◆太平洋方面の戦い
・ウェーク島の戦い 1941年12月8日から12月23日 再掲
・ミッドウェー海戦 1942年6月5日 - 6月7日 再掲
・関連写真ギャラリー
・ギルバート・マーシャル諸島の戦い
ギルバート・マーシャル諸島の戦いは太平洋戦争中のギルバート諸島、マーシャル諸島で行われた一連の戦闘の総称。マリアナ・パラオ諸島の戦いまで含めてミクロネシア一帯の島々を巡る戦闘を中部太平洋の戦いとしてとらえることもある。
・関連写真ギャラリー
・パラオ大空襲 1944年3月30日-4月1日
・マリアナ・パラオ諸島の戦い 1944年6月15日-11月27日
・サイパンの戦い 1944年6月15日-7月9日
サイパンの戦いは、太平洋戦争中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。このサイパンの戦いにともない、海上ではマリアナ沖海戦(6月19日~20日)が発生した。
・関連写真ギャラリー ・バンザイクリフ
・マリアナ沖海戦 1944年6月19日-20日
・グアムの戦い 1944年7月21日 - 8月10日
1944年のグアムの戦いは、太平洋戦争におけるマリアナ-パラオ戦役の戦いの一つ。サイパンの戦いに次ぐ死傷者を出した。グアム島はマリアナ諸島中の島で、大戦開始前にはアメリカの統治下にあったが1941年12月10日に日本軍の攻撃によって奪われていた。1943年2月にガダルカナルの戦いで日本軍を打ち破り、中部太平洋の日本勢力圏に圧力を強めるアメリカ軍を食い止める為、日本は1943年9月30日の最高戦争指導会議で裁可された「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」に「確保スヘキ要域」として絶対国防圏を定めたが、アメリカ軍は、ギルバート・マーシャル諸島の戦いで中部太平洋の日本勢力下の各島を飛び石作戦で攻略し、じりじりと日本本土に迫ってきていた。 その為、サイパン・グアム・テニアンのマリアナ諸島が絶対国防圏の最前線として注目されることとなり、日本軍は戦力増強を急いだ。最重要拠点は戦前から日本の委任統治領で、多くの邦人が暮らし、中部太平洋を管轄していた第31軍司令部が置かれたサイパン島であったが、グアム島もそれに次ぐ重要拠点として戦力強化が図られた。
・関連写真ギャラリー
・太平洋戦争博物館写真ギャラリー 同グーグル
・ペリリューの戦い 1944年9月15日 - 11月27日
ペリリューの戦いは、太平洋戦争中の1944年(昭和19年)9月15日から11月27日にかけペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた、日本軍守備隊(守備隊長:中川州男陸軍大佐)とアメリカ軍(第1海兵師団長:ウィリアム・リュパータス海兵少将、第81歩兵師団長:ポール・ミュラー陸軍少将)の陸上戦闘である。要塞化した洞窟陣地などを利用しゲリラ戦法を用いるという、日本軍が見せた組織的な抵抗戦術はアメリカ軍を苦しめ、後の硫黄島の戦いへと引き継がれていくことになる。
ペリリュー戦は唯一第1海兵師団が壊滅した戦いでもある。
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・知っていますか? ペリリュー島の戦い
・狂気の戦場パラオ・ペリリュー戦跡 洞窟内に残る凄まじい火炎放射の跡を見た
・ペリリュー島で何があったのか? 天皇、皇后両陛下が訪問する「忘れられた戦場」
・関連写真ギャラリー
・アンガウルの戦い 1944年9月17日 - 10月19日
アンガウルの戦い(Battle of Angaur)は、第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役における最後の戦い。飛行場の建設を意図したアメリカ軍は、ペリリュー島にアメリカ軍が上陸した2日後の9月17日に上陸戦を開始した。圧倒的な兵力差のもと、9月30日に島を全面占領した。
・インメイト作戦 1945年6月13日-17日
・関連写真ギャラリー ・関連写真ギャラリー(ペリリュー)
◆フィリピン方面の戦い (1944-1945年
1944年から1945年のフィリピンの戦いは、第二次世界大戦後期において、フィリピン奪回を目指す連合国軍と、防衛する日本軍との間で行われた戦闘である。日本軍は「捷一号作戦」と呼ばれる計画に基づいて防衛を試みたが、アメリカ軍を中心とする連合軍が勝利を収めた。
・関連写真ギャラリー
・Philipine History and Government 2004 edition
・フィリピンの戦い 1941年-1942年
1941年から1942年のフィリピンの戦いは、太平洋戦争緒戦における日本軍のフィリピン進攻作戦である。本間雅晴中将の指揮する第14軍主力は12月22日にルソン島に上陸し、1月2日には首都マニラを占領した。しかし、アメリカ極東陸軍のダグラス・マッカーサー司令官はバターン半島に立てこもる作戦を取り粘り強く抵抗した。45日間でフィリピン主要部を占領するという日本軍の予定は大幅に狂わされ、コレヒドール島の攻略までに150日もかかるという結果になった。
・関連写真ギャラリー
・レイテ沖海戦 1944年10月23日-同25日
・関連写真ギャラリー
・礼号作戦 1944年12月26日
・ミンドロ島の戦い 1944年12月13日-2月下旬
・関連写真ギャラリー
・フィリピンの戦い 1944-1945年
1944年から1945年のフィリピンの戦いは、第二次世界大戦後期において、フィリピン奪回を目指す連合国軍と、防衛する日本軍との間で行われた戦闘である。日本軍は「捷一号作戦」と呼ばれる計画に基づいて防衛を試みたが、アメリカ軍を中心とする連合軍が勝利を収めた。
・関連写真ギャラリー
・台湾沖航空戦 1944年10月12日 - 10月16日
台湾沖航空戦(1944年10月12日 - 10月16日)は、太平洋戦争中の捷号作戦準備中に、台湾から沖縄にかけての航空基地を攻撃したアメリカ海軍空母機動部隊を、日本軍の基地航空部隊が迎撃したことで発生した航空戦。アメリカ軍の損害は軽微なものであったが、日本軍は大戦果と誤認した。
・レイテ島の戦い 1944年10月20日 - 1945年8月15日
レイテ島の戦いは、1944年(昭和19年)10月20日から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた日本軍とアメリカ軍の陸上戦闘。日本軍の当初の作戦では、ルソン島では陸軍が中心となって戦闘するが、レイテ島を含む他の地域では海軍及び航空部隊により戦闘する方針。ところが台湾沖航空戦で大戦果をあげたと信じた大本営は、フィリピン防衛を担当する第14方面軍司令官・山下奉文大将の反対を押し切り、作戦を急遽変更して陸軍もレイテ島の防衛に参加して迎え撃つ。ルソン島に配備されるはずだった多くの陸軍部隊がレイテ島へ送られたが、輸送途中で大損害を受けた。日本軍は補給の見通しが甘かったことから多くの餓死者を出した。約2ヶ月の戦闘でレイテ島の日本軍は敗北し、大半の将兵が戦死する結果となった。
・関連写真ギャラリー
・多号作戦 1944年(昭和19年)10月末から12月中旬
・ルソン島の戦い 1945年1月6日 - 8月15日
ルソン島の戦いは、1945年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のこと。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。
・関連写真ギャラリー
・ビサヤ諸島の戦い 1945年2月28日 - 8月15日
・スールー諸島の戦い 1945年4月2日 - 8月15日
・ミンダナオ島の戦い 1945年3月10日 - 8月15日
ミンダナオ島の戦いは、太平洋戦争中の1945年3月10日から終戦までフィリピン諸島ミンダナオ島で行われた日本軍とアメリカ軍及びフィリピン人ゲリラの間の戦い。アメリカ軍側からみるとフィリピン解放作戦の一環として行われ、サンボアンガに上陸する「ヴィクター4号」と、残るダバオなどの制圧作戦である「ヴィクター5号」からなっていた。すでにレイテ島の戦いなどで消耗しきっていた日本軍は、苦戦を強いられることになった。この戦いの結果、南部フィリピンの主要部は連合軍によって確保された。
・関連写真ギャラリー
◆サンダカン死の行進 1945年
サンダカン死の行進は、1945年大東亜戦争での日本による敵兵士捕虜に対する虐待事件。1945年、太平洋戦争(大東亜戦争)中に大日本帝国が設置したマレーシア・サンダカン捕虜収容所における日本軍によるオーストラリア・イギリス軍兵士捕虜に対する捕虜虐待疑惑および「死の行進」と言われる行為である。これに伴い1000人以上の捕虜が、ラバウル豪軍総司令部軍法会議の豪側検事によれば、7人を除き全員死亡したとされる。日本兵もまたこの移動により数百名が死亡している上に、生き残ったオーストラリア軍の元捕虜は、「行軍はきわめて辛かったが、捕虜への扱いは日本軍将兵と同一であった」と証言している。
・【伝言 あの日から70年】生還6人死の行進 ボルネオ島・サンダカン
・サンダカン死の行進 ―捕虜約二千人、生還者6人―(1)
・サンダカン死の行進 ―捕虜約二千人、生還者6人―(2)
・関連写真ギャラリー
◆硫黄島の戦い 1945年2月19日から3月26日
◆沖縄戦・本土空襲
沖縄戦は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いである。連合軍側の作戦名はアイスバーグ作戦( Operation Iceberg)。琉球語では、Ucinaaikusa (ウチナー(沖縄)いくさ(戦、軍)、の意)ともいう。
・関連写真ギャラリー
・沖縄戦 1945年3月26日 - 6月23日
・読谷の戦没者を地図でたどる 沖縄戦デジタルアーカイブ 沖縄タイムズ
・沖縄戦(太平洋戦争末期)の写真。ひめゆり学徒隊の悲劇
・沖縄戦とは何か、深く知るためのQ&A
・太平洋戦争とは何だったのか
・「沖縄と太平洋戦争」|特集|NHK 戦争証言アーカイブス - NHK
・沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局
・【太平洋戦争】沖縄のアメリカ軍上陸、今月で70年目!連合軍は艦艇1500隻、兵員50万人以上を動員!死者は20万人以上に!今日まで傷を残す!
・「死ぬ前に子や孫に聞かせておかんと」 沖縄戦「集団自決」 内原静子さん(83) 不発だった手榴弾。しゅうとは棒で家族を殴り…
・沖縄戦・20万人が命を落とした激戦を写真で振り返る【戦後70年】
・日本本土の戦い
◆ベトナム八月革命 1945年8月17日
ベトナム八月革命は、1945年8月17日に始まった、ベトミンが総蜂起してベトナム帝国(阮朝)を倒した革命である。この革命の結果、ベトナム民主共和国が成立したが、日本軍(枢軸国)に勝利したフランス軍(連合国)によるインドシナ再植民地化によって血みどろの抗争となり、第一次インドシナ戦争にもつれ込んだ。
◆極東国際軍事裁判、東京裁判
1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日
極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)とは、第二次世界大戦で日本が降伏した後の1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。東京裁判とも称される。 この裁判は連合国によって東京に設置された極東国際軍事法廷により、東条英機元首相を始めとする、日本の指導者28名を、「平和愛好諸国民の利益並びに日本国民自身の利益を毀損」した「侵略戦争」を起こす「共同謀議」を「1928年(昭和3年)1月1日から1945年(昭和20年)9月2日」にかけて
行ったとして、平和に対する罪(A級犯罪)、人道に対する罪(C級犯罪)および通常の戦争犯罪(B級犯罪)の容疑で裁いたものである。「平和に対する罪」で有罪になった被告人は23名、通常の戦争犯罪行為で有罪になった被告人は7名、人道に対する罪で起訴された被告人はいない。裁判中に病死した2名と病気によって免訴された1名を除く25名が有罪判決を受け、うち7名が死刑となった。日本政府及び国会は1952年(昭和27年)に発効した日本国との平和条約第11条によりこのthe
judgmentsを受諾し、異議を申し立てる立場にないという見解を示している[3]。詳細は日本国との平和条約第11条の解釈参照。
・極東国際軍事裁判記録(国立国会図書館所蔵分)
・関連写真ギャラリー
・A級戦犯 ・関連写真ギャラリー ・巣鴨拘置所
・(絞首刑(死刑))板垣征四郎 木村兵太郎 土肥原賢二 東條英機 武藤章 松井石根 広田弘毅
・(終身刑) 荒木貞夫 梅津美治郎 大島浩 岡敬純 賀屋興宣 木戸幸一 小磯国昭 佐藤賢了 嶋田繁太郎 白鳥敏夫 鈴木貞一 南次郎
・裁判を免れたA級戦犯被指定者 不起訴により釈放
青木一男 安倍源基 阿部信行 天羽英二 鮎川義介 安藤紀三郎石原広一郎 岩村通世 岸信介 葛生能世 児玉誉士夫 後藤文夫 笹川良一 正力松太郎 須磨弥吉郎 高橋三吉 多田駿 谷正之 寺島健 梨本宮守正王 西尾寿造 豊田副武 真崎甚三郎 里見甫 緒方竹虎 村田省蔵 井野碩哉 上田良武 鹿子木員信 久原房之助 有馬頼寧 藤原銀次郎 古野伊之助 郷古潔 井田磐楠 池田成彬石田乙五郎 上砂勝七 河辺正三 菊池武夫 木下栄市 小林順一郎 小林躋造 松阪広政 水野錬太郎 長友次男 中村明人 西尾寿造 岡部長景 大倉邦彦 大野広一 太田耕造 太田正孝 桜井兵五郎 下村宏 進藤一馬 塩野季彦 四王天延孝 高地茂都 津田信吾
後宮淳 横山雄偉 酒井忠正 大河内正敏 大達茂雄 伍堂卓雄 長谷川清
◆残留日本兵
残留日本兵とは、第二次世界大戦の終結に伴う現地除隊ののちも日本へ帰国せずに現地に残留した旧日本軍の将兵を指す。
◆日本の戦争犯罪一覧
日本の戦争犯罪一覧(は、日本および大日本帝国が行った行為のうち「戦争犯罪行為」と認定または主張される行為の一覧である。
・日中戦争・太平洋戦争
日本軍が日中戦争・太平洋戦争において行った行為のうち、連合国 (第二次世界大戦)および諸外国が戦争犯罪であると主張する行為を下記に記す。
・アメリカ合衆国の主張によるもの
・真珠湾攻撃
・重慶爆撃
・風船爆弾によるアメリカ市民の殺害事件
・捕虜の虐待
・大船収容所事件
・バターン死の行進
・「ヘルシップ」- 連合軍捕虜の海上移送に伴う大量死
・搭乗員捕虜の殺害 - 戦犯(民間人大量虐殺実行犯)としての即時処分、民間人大量虐殺実行犯に対する住民による私刑、安楽死と主張される行為等がある。
・大阪憲兵隊事件、ドーリットル事件、油山事件
・日吉村事件(武士道裁判事件)、
・紙敷村事件、能崎事件(佐原町事件)、
・東京立川憲兵隊事件
・東海軍事件、中部軍・中部憲兵隊事件、
・東部軍一戸中佐事件、青酸カリ捕虜毒殺事件
・千住大橋事件(東京上野憲兵隊事件)、
・西部軍搭乗員斬首事件、
・漢口連合軍航空機搭乗員虐殺事件
・宮古島事件、石垣島事件、喜界島事件
・台湾軍軍律裁判事件
・小笠原事件 - 処刑後、さらに遺体を人肉食したとされる
・東京陸軍刑務所飛行士焼死事件(搭乗員焼死事件) - 空襲時に捕虜を避難させなかったとされる
・東部憲兵隊事件 - 捕虜に十分な食事等を与えなかったとされる。軍医による薬物注射での重体者殺害を含む
・高知憲兵隊事件 - 負傷した搭乗員捕虜の手当てを怠って死亡させたとされる
・一ツ橋事件
・捕虜への人体実験
・海軍生体解剖事件
・九州大学生体解剖事件
・パラワン島米兵捕虜焼殺事件
・マ キン奇襲における捕虜殺害(同作戦ではアメリカ軍による日本軍兵士に対する遺体凌辱事件も発生している。)
・ウェーク島の戦いにおける捕虜処分(数度に亘る武器強奪・反乱未遂捕虜に対する処分。戦後、日本側に対し冤罪で責任者が指名され、死刑となっている)
・捕虜の強制労働 - 麻生鉱業#戦争捕虜問題など
・駆逐艦「秋風」による民間人殺害
・伊号第八潜水艦による輸送船「ジーン・ニコレット」退去者への機銃掃射
・デュエナス神父斬首事件(グアム)
・慰安婦制度における性暴力 - 2007年1月米国下院決議。売春婦とする見解もある。
・橘丸事件
・イギリス・オーストラリア・英連邦諸国の主張によるもの
・「サンダカン死の行進」と呼ばれる捕虜移送作戦時の死亡者。
・香港の戦いにおける戦闘中の英軍捕虜処分。
・セララン兵営事件
・泰緬鉄道建設捕虜虐待事件
・ビハール号事件
・一宮町事件
・聖ステファン中学校事件)
・アレクサンドラ病院事件
・バンカ島事件
・オーストラリア病院船セントー号(en:AHS Centaur)撃沈
・潜水艦による溺者への機銃掃射 - 伊号第八潜水艦による「ティサラック」に対する行為、呂号第三三潜水艦によるen:MV Mamutuに対する行為
・カラゴン事件
・シンガポール華僑粛清事件
・双十節事件
・アピ事件
・マラッカ事件
・オランダの主張によるもの
・ラハ事件における捕虜虐待
・スマラン慰安所事件
・フローレス島事件
・マゲラン事件
・櫻倶楽部事件
・ジョンベル憲兵分隊事件
・病院船「オプテンノール」の拘束、自沈。
・中華人民共和国の主張によるもの
・重慶爆撃
・平頂山事件
・南京大虐殺(南京事件)(分類C)
・百人斬り競争
・張作霖爆殺事件
・陽高事件
・生物兵器・化学兵器の使用
・燼滅作戦における毒ガス使用
・浙江省における生物兵器使用(en)
・常徳の戦いにおける化学兵器と生物兵器の使用
・慰安婦
・日本兵による中国人女性の強姦
・略奪- 戦闘継続のための食糧をはじめとする物資の確保のための徴発活動
・日本企業による強制労働(花岡事件や西松建設事件
・フィリピンの主張によるもの
・マニラ大虐殺
・「バターン死の行進
・フィリピン生体解剖事件[4](史料での確定はない)
・慰安婦[注 8](戦時売春婦)
・インドネシア
・住民虐殺
・ババル島事件(インドネシア・ババル島)
・ポンチャナック事件(インドネシア・ポンチャナック)
・強制労働
・石油や錫、アルミなどの軍需物資採掘での強制労働行為(死者多数)
・ニューギニアなど
・スパイ、ゲリラ掃討作戦の過程で発生した原住民の殺害事件
・デュエナス神父処刑事件(グアム)
・メリッソ村民虐殺事件(グアム)
・ティンブンケ事件(ニューギニア)
・ヤルート島民処刑事件(太平洋)
・ルクノール島民処刑事件(太平洋)
・オーシャン島住民殺害事件(太平洋)
・韓国・在日朝鮮・在日韓国人の主張によるもの
・慰安婦の強制連行、性的奴隷制度としての慰安所。
・「チルボン島事件」とされる宣伝
・朝鮮人の強制連行・強制労働(ただし、当時、日本と朝鮮との間で国家間レベルの交戦関係はなかった。
・日本国内での主張によるもの
・久米島守備隊住民虐殺事件
・渡野喜屋事件
・戦争マラリア
・その他の行為
・ランソン事件 - 明号作戦展開時のフランス軍捕虜の殺害。戦闘中に捕虜収容の余裕がなく、戦後、責任者とされる人物が冤罪処刑されている。
・戦争関係以外で「戦争犯罪」に準ずる主な行為
かつて日本によって統治されていた国家などが、戦争とは関係ない統治政策や弾圧活動など。
・日本統治時代に朝鮮などで行われた皇民化政策
・関東大震災での日本人による朝鮮人の虐殺
・「日本軍による中国国民に対する報復」と宣伝される便衣兵掃討作戦時の民間人犠牲者(平頂山事件)
・朝鮮(三・一独立運動など)、台湾(台湾抗日運動)での独立・共産運動及び抗日組織の制圧・掃討作戦に伴う行為
・731部隊
・慰安婦問題に関する国際連合人権委員会などの主張によるもの
慰安婦制度における性暴力については、1996年1月に家庭内暴力を主要対象としたクマラスワミ報告の付属文書において取り扱われ、国連人権委員会に提出された。また、旧ユーゴスラビアでの戦争とルワンダ虐殺を主な報告対象とした1998年8月のマクドゥーガル報告書においても取り扱われた。2000年には民間の運動団体による民衆法廷である日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷が開かれた。2007年1月には米国下院でも非難決議がなされた。しかし、これらの報告書の事実認定の一部、また加害者側の吉田証言に虚構があったことも判明しており、議論が続いている(慰安婦参照)。 「
・日本の戦争犯罪
・「安倍首相が米朝会談開催地を進言」が本当なら大失態! シンガポール・セントーサ島は日本が朝鮮人慰安婦を連行した場所 リテラ |
太平洋戦争 動画・ビデオ・映像
日中戦争 太平洋戦争 731部隊 関連資料 総集
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・黙示録 カラー 第二次世界大戦 「大量虐殺」
・カラー 第二次世界大戦 2 日米開戦
・カラー版 第二次世界大戦 最終回 太平洋での戦い
・前編「昭和の戦争と平和 ~カラーフィルムでよみがえる時代の表情~」
<太平洋戦争、真珠湾攻撃>
・003 太平洋戦争 開戦
・真珠湾攻撃 詳細カラー映像
・黙示録 カラー 第二次世界大戦 「真珠湾攻撃」
・真珠湾攻撃 the pearl harbor strike
・昭和史.1 太平洋戦争勃発(昭和16年)
・カラーでみる太平洋戦争
・【大東亜戦争】① 大戦への道 フランス
・【大東亜戦争】④真珠湾奇襲への道 山本五十六苦渋作戦
・【大東亜戦争】⑤開戦から戦線拡大へ
・【大東亜戦争】⑥ シンガポール島の戦い
・【大東亜戦争】⑧アメリカ海軍艦上戦闘機 グラマンF-6F
<ミッドウェー海開戦>
・ミッドウェー海戦/昭和17年6月5日
・ミッドウェー海戦 ・アメリカ 大勝利の理由とは?・その時歴史が動いた
・ミッドウェー海戦(米軍撮影)
・第二次世界大戦 第4回太平洋戦争 アメリカ
・パイロットが見た戦火の残響 南洋航路、41時間36分:朝日新聞デジタル
<フィリピン・バターン死の行軍>
・Bataan Death March, Philippines
・Pilipinas Sa Panahon ng mga Hapones
・Bataan Death March: Philippine vet recalls horror 75 years ago
・Filipino Survivors Of Bataan Death March Mark 75th Anniversary
・Story of a Bataan Death March Survivor
・Our Dedicated Walk Along the WWII Bataan Death March Philippines
・HD Historic Stock Footage WWII BATAAN DEATH MARCH | MACARTHUR RETURNS TO PHILIPPINES
・Bataan Death March (compressed).mov
<ラバウル航空線>
・ラバウル海軍航空隊(Rabaul Naval Air Corps)
・ラバウル航空戦
・実写版 ラバウル海軍航空隊
・E-5 ラバウル航空撃滅戦
<ガダルカナル戦線>
・Rising Storm 旧日本軍で戦う!<ガダルカナル島の戦い>
・ガダルカナル攻防戦
・凄戦ガダルカナル(日本語吹き替え)
・ガダルカナル島 攻防戦・その時歴史が動いた
・【軍事】太平洋 ガダルカナル戦 進行する旧日本軍の隊列に砲弾が着弾
・太平洋戦争ガダルカナル決戦 歴史ドキュメンタリー
・大空中戦の果てに:ガダルカナル
・ガダルカナル 血染めの丘2
・その時歴史が動いた 「ガダルカナル島撤退 苦渋の決断」 (2002年)
・ガダルカナル島から撤退
<ニューギニア戦線>
・ゼロ戦 パプアニューギニア 2017/5/3
・薄れゆく悲劇 西部ニューギニア戦線 池見坦著(40)
・大東亜戦争の激戦地「死んでも帰れぬニューギニア」─日本の南洋戦略6
・Battle for New Guinea | 1942-1945 | Australian & American Soldiers in Action | WW2 Documentary Film
・Battle of Milne Bay: PNG historians set out to record impact of WWII on local people
・Bombing of the harbor of Port Moresby, Papua New Guinea during World War II. HD Stock Footage
・見捨てられたニューギニア本島の日本陸軍─日本の南洋戦略7
・すさまじい飢餓地獄で人肉に手を出さざるをえない地獄絵図─日本の南洋戦略14
・西部ニューギニア戦線・小田切重徳マノクワリ~イドレ転進作戦証言(6)
<インパール作戦>
・Imphal operations インパール作戦
・インパール作戦 NHKスペシャル 2017.8.25
・ビルマ・インパール作戦_責任なき戦場
・NHKスペシャル『全記録~インパール作戦~』20170815
・インパール作戦 証言
・インパール作戦は終わらない【果たされたインドとの約束】
・無謀だったインパール作戦!
・黙示録 カラー 第二次世界大戦 「大量虐殺」
・カラー 第二次世界大戦 2 日米開戦
・カラー版 第二次世界大戦 最終回 太平洋での戦い
・前編「昭和の戦争と平和 ~カラーフィルムでよみがえる時代の表情~」
<マリアナ沖海戦>
・NHK ドキュメント 太平洋戦争 マリアナ沖海戦 エレクトロニクスが戦を制す 1993年
・マリアナ沖海戦 前篇
・マリアナ沖海戦 後篇
・【WarThunder】マリアナ沖海戦1945
<サンダカン死の行軍・戦争捕虜問題>
・伝言 あの日から70年】生還6人死の行進 ボルネオ島・サンダカン
・Australia and WW2:Prisoners of War
・米国人元戦争捕虜 U.S. ex-POW 2012.10.16
・Remembering the Sandakan death march
・Sandakan Death March
・Death March Ranau-Sandakan
・Sandakan Death Marches of World War II
・THE UNTOLD DEATH MARCH OF SANDAKAN IN WWII & JAPAN'S INSINCERE APOLOGY TODAY: LEST WE FORGET
・Sandakan Death March Vemo
・Sandakan Japanese P.O.W. camp- 60 minutes -Part 1
・Return to Sandakan POW DVD Documentary Trailer
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<フィリピン戦線>
・フィリピンの戦い Philippines Campaign (1944~45)
・フィリピン陥落 バターン半島1942年 予告編 (日本版・ビデオ用)
・コレヒドール島の戦い
・World War II: Philippines Campaign, Battle for Luzon
・The Philippine Campaign (1944-45)
・Japanese Propaganda (Philippines Campaign, 1942)
・高校講座 世界史 第二次世界大戦太平洋戦線 フィリピン
<マリアナ沖海戦>
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<サンダカン死の行軍・戦争捕虜問題>
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<パラオ/ペリリュー激戦>
・パラオ・ペリリュー島 70年後の戦跡
・激戦のペリリュー島!
・ペリリュー島 終わりなき持久戦
・狂気の戦場 ペリリュー ~“忘れられた島”の記録~
・第2次世界大戦・ペリリュー島 攻防戦 History Channel
・Rising Storm 旧日本軍で戦う!<ペリリューの戦い>
・ベリリュー島(1) YouTube
・ベリリュー島(2) YouTube
・実録 硫黄島玉砕
<フィリピン戦線>
・フィリピンの戦い Philippines Campaign (1944~45)
・フィリピン陥落 バターン半島1942年 予告編 (日本版・ビデオ用)
・コレヒドール島の戦い
・World War II: Philippines Campaign, Battle for Luzon
・The Philippine Campaign (1944-45)
・Japanese Propaganda (Philippines Campaign, 1942)
<フィリピン・バターン死の行軍>
・Bataan Death March, Philippines
・Pilipinas Sa Panahon ng mga Hapones
・Bataan Death March: Philippine vet recalls horror 75 years ago
・Filipino Survivors Of Bataan Death March Mark 75th Anniversary
・Story of a Bataan Death March Survivor
・Our Dedicated Walk Along the WWII Bataan Death March Philippines
・HD Historic Stock Footage WWII BATAAN DEATH MARCH | MACARTHUR RETURNS TO PHILIPPINES
・Bataan Death March (compressed).mov
<沖縄戦>
・特集・沖縄戦:朝日新聞デジタル
・3分で知る沖縄戦
・沖縄戦 全記録
・カラー版 第二次世界大戦 最終回 太平洋での戦い
・Okinawa war 1945 4 沖縄戦カラー映像
・沖縄戦 米軍戦車隊 首里攻防と本島南部の最終戦
・1フィートドキュメント沖縄戦
・沖縄戦 アメリカで公開が制限された映像
・元米兵が語る沖縄戦 大東亜戦争
・沖縄戦カラー映像1945年 第二次世界大戦
・カラーで見る太平洋戦争 03 沖縄戦、そして敗北へ
・沖縄戦について追ったドキュメンタリー!映画『沖縄 うりずんの雨』予告編
・戦場で地獄を見た子供 沖縄戦 Children ww2, Battle of Okinawa
・沖縄戦を一人で生き抜いた少女
・アメリカからみた【沖縄掃討作戦&ひめゆり学徒隊(Okinawa)】第二次世界大戦
<慰安婦、性暴力>
・インドネシアでの戦時性暴力(TBS 報道特集)
・歴史を残そうとする人びと/元日本軍「慰安婦」の女性/沖縄とインドネシア
・インドネシア元慰安婦被害者の告白
・白馬・スマラン事件で性奴隷(慰安婦)にされた被害者の証言
・歴史を残そうとする人びと 元日本軍「慰安婦」の女性 沖縄とインドネシア
・フィリピンに初の慰安婦像12/11(月) 19:55 掲載 目隠しされたフィリピン人女性 マニラにも慰安婦像
・フィリピンに慰安婦像が設置される【動画】
・黙示録 カラー 第二次世界大戦 「原爆投下」
<極東国際軍事裁判、東京裁判>
・International Military Tribunal for the Far East
・The Tokyo trial charged 28 Japanese military leaders of ‘Class A’ crimes
・Japanese War Crimes 日本の戦争犯罪-Military Tribunal For The Far East 2/15
・War crimes trials at the International Military Tribunal Far East
・Evidence of Nanjing massacre from Intl Military Tribunal for Far East
・東京裁判 vol1/4 (極東国際軍事裁判)
・東京裁判 vol2/4 (極東国際軍事裁判)
・東京裁判 vol3/4 (極東国際軍事裁判)
・東京裁判 vol4/4 (極東国際軍事裁判)
・極東国際軍事裁判 前編
・TOJO ON TRIAL 1940s
・Rare court footage: U.S. priest testifies Nanjing Massacr
<朝鮮戦争>
・朝鮮戦争の記録
・知ってるつもり?! ダグラス・マッカーサー
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