シルクロードの今を征く Now on the Silk Road テヘラン1 (Tehrān、イラン) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、2020年7月31日公表予定 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) テヘラン テヘラン1 テヘラン2 テヘラン3 テヘラン4 テヘラン5 テヘラン6 テヘラン7 テヘラン8 テヘラン9 テヘラン10 テヘラン11 テヘラン12 次はシルクロードの途上点のテヘラン1です。 現在、日本からテヘランへの直行便はなく、トルコ航空でイスタンブールやアンカラまで行き、少し戻る、あるいはUAEのエミュレーツライトでドバイ一旦などへ行き、乗り継いでテヘ、さらにはロシアのアエロフロートでモスクワに行木、その後テヘランに行くことになります。その結果、片道でも1階乗り換え、トランジット時間を含め15時間程度かかります。 ◆テヘラン 出典:Wikipedia 現在のテヘラン Amir1140, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons テヘランはイランの首都です。ペルシア語読みではテフラーン。テヘラン州の州都。カスピ海南岸沿いに走るエルブールズ山脈の南,標高約 1200mに位置します。町としての歴史は比較的新しく,1554年サファビー朝のタハマースプ1世よって城壁が築かれ,市場が設けられた。1786年カージャール朝の創始者アーガー・ムハンマドによって首都に定められると,続くパフラビー朝にも首都として引き継がれ,繁栄しました。 第2次世界大戦中の 1943年,アメリカ合衆国,イギリス,ソビエト連邦の首脳が会したテヘラン会議の舞台となった。石油工業を除くイランの近代工業の中心地で,自動車,繊維,セメント,製糖,小型兵器,弾薬などの工業が立地します。 新市街は直線的な道路が走る近代都市,旧市壁内は多くの迷路をもつペルシア風の街区となっている。旧市街には,セパセラ・モスク,バハルスターン宮殿,ゴレスタン宮殿(2013世界遺産の文化遺産に登録),中東最大級のバザールなどがある。テヘラン国立考古博物館,民族博物館,テヘラン大学,国立イラン大学などの文教施設も集中。西方にメヘラーバード国際空港がある。人口 787万3000(2007)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 以下は世界地図におけるイランの位置です。 イランの位置 Source:Wikimedia Common 以下は中東、西アジアにおけるイランの位置です。 出典:グーグルマップ 以下はイランにおけるテヘランの位置です。 s 出典:グーグルマップ 以下はテヘランの中心部の地図です。 出典:グーグルマップ 以下はテヘラン北部のパノラマ写真です。 |
North part of Tehran photographed from the top of Milad tower in a clean
air. On Nature Day people leave
the city to go out into the countryside and the number of cars decreases.
Because of that, favorable wind
and after three days of rain, it was possible to photograph Tehran in its
cleanest condition.
Amirpashaei - استودیو پاشایی, CC 表示-継承 4.0, リンクによる
Source:Wikimedia Commons
概要 テヘラン(ペルシア語: تهران ; Tehrān Tehran.ogg 英語: Tehran)は、西アジア、イランの首都で同国最大の都市でありかつテヘラン州の州都です。人口は現在12,223,598人です。2016年の都市圏人口は1,367万人であり、世界有数の大都市圏を形成しています。 テヘランはイランの文化的中心でもあり、多数の博物館、美術館、宮殿、文化センター、高等教育機関を擁しています。またテヘランは宗教的中心でもあり、イスラム教のモスクのみならず、キリスト教の教会やユダヤ教のシナゴーグも各所にみられます。住民の大多数はシーア派イスラム教徒です。20世紀から21世紀にかけて、イラン各地から大量の人口流入があり人口が急増しました。 テヘランの住民は、ペルシア人が大多数を占めています。他にはアゼルバイジャン人、アルメニア人、ユダヤ人などもいる。住民の98.3%はペルシア語を話します。 テヘラン2へつづく |