シルクロードの今を征く Now on the Silk Road テヘラン7 (Tehrān、イラン) 青山貞一 Teiichi Aoyama 池田こみち Komichi Ikeda 共編 掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月、2020年7月31日公表予定 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁 |
総合メニュー(西アジア) テヘラン テヘラン1 テヘラン2 テヘラン3 テヘラン4 テヘラン5 テヘラン6 テヘラン7 テヘラン8 テヘラン9 テヘラン10 テヘラン11 テヘラン12 次はシルクロードの途中にあるイランのテヘラン7です。 ◆テヘラン 哲学 イスラーム化以後、イラン世界ではイスラーム哲学が発達ました。11世紀には中世哲学に強い影響を及ぼしたイブン・スィーナー(ラテン語ではアウィケンナ)や哲学者にしてスーフィーでもあったガザーリーが、17世紀には超越論的神智学を創始したモッラー・サドラーが活動しました。 音楽 クラシック音楽においては新ロマン主義音楽作曲家として『ペルセポリス交響曲』などイラン文化を題材とした作品を書いたアンドレ・オッセンや、指揮者であり、ペルシャ国際フィルハーモニー管弦楽団を創設したアレクサンダー・ラハバリらの名が特筆されます。 ポピュラー音楽に於いてはイラン・ポップと総称されるジャンルが存在します。ロックは禁止されていますが、テヘランのロック・バンド Ahoora のアルバムはアメリカやヨーロッパでも発売されています。その他には、127、Hypernova、Angband、Kiosk、The_Yellow_Dogs_Band などのバンドや、Mohsen Namjoo、Agah Bahari、Kavus Torabi らのミュージシャンも国内外で広く活動をしています。 映画 イラン映画は過去25年間に国際的に300の賞を受賞し、全世界的に評価されていまっす。イランにおいて初の映画館が創設されたのは1904年と早く、イラン人によって初めて製作されたトーキー映画はアルダシール・イーラーニーによる『ロルの娘』(1932年)でした。 イラン革命以前のモハンマド・レザー・パフラヴィーの治世下ではハリウッド映画やインド映画が流入した一方で、『ジュヌーベ・シャフル』(1958年)で白色革命下の矛盾を描いたファッルーフ・ガッファリーや、『牛』(1969年)でヴェネツィア国際映画祭作品賞を受賞したダールユーシュ・メフルジューイーのような社会派の映画人が活動しました。 現代の著名な映画監督としては、『友だちのうちはどこ?』(1987年)、『ホームワーク』(1989年)のアッバース・キヤーロスタミー(アッバス・キアロスタミ)や、『サイレンス』(1998年)のモフセン・マフマルバーフ、『駆ける少年』のアミール・ナーデリー、『風の絨毯』のキャマール・タブリーズィー、『ハーフェズ ペルシャの詩』(2007年)のアボルファズル・ジャリリなどの名が挙げられます。アスガル・ファルハーディー監督の映画『別離』(2011年)は、ベルリン国際映画祭の金熊賞とアカデミー賞の外国語作品賞を受賞しました。 ペルシャ絨毯 このペルシャ絨毯についての項は「イランの絨毯」と重複していますが、どちらかでお読みください。 ペルシア絨毯は、伝統的にペルシアと呼ばれていた現在のイラン周辺で生産され続けている絨毯です。ペルシア文化、芸術を代表する極めて優れた美術工芸品の一つで、その起源は紀元前の古代ペルシアにまで遡ることができます。床面の敷物だけでなく、壁飾りやテーブルクロスとしても用いられていました。 ペルシア絨毯 Zereshk から en.wikipedia.org, CC 表示-継承 3.0, リンクによる 出典:Wikipedia 手織り職人が使用する伝統的な道具 Fabienkhan - Personal picture, CC 表示-継承 3.0, リンクによる Source:Wikimedia Commons ペルシア絨毯は大きく三つに分類されています。6×4 フィート超の「カーリ (Qāli )」、6×4 フィート以下の「カーリシュ (Qālicheh )」、そして「ゲリーム (Gelim )として知られる遊牧民の絨毯です。ゲリームには粗織りの絨毯を意味する「ジル (Zilu)」と呼ばれる絨毯も含まれます。 テヘラン8へつづく |