エントランスへはここをクリック   

 シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

テヘラン6

(Tehrān、イラン)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月23日 更新:2019年4月~6月2020年7月31日公表予定
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁
総合メニュー(西アジア)

テヘラン
テヘラン1  テヘラン2  テヘラン3  テヘラン4  テヘラン5  テヘラン6 
テヘラン7  テヘラン8  テヘラン9  テヘラン10  テヘラン11 テヘラン12

 次はシルクロードの途中にあるイランのテヘラン6です。

◆テヘラン

教育

 2002年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は77%(男性:83.5%、女性:70.4%)であり[63]、世銀発表の2008年における15歳以上の識字率は85%となっています。2006年にはGDPの5.1%が教育に支出されました

 主な高等教育機関としては、テヘラン大学(1934)、アミール・キャビール工科大学(1958)、アルザフラー大学(1964)、イスラーム自由大学(1982)、シャリーフ工科大学(英語版)などの名が挙げられる。

教育制度

 イランの教育制度は次の四段階に分けられる。

①初等教育(دبستان、小学校)

 学年暦の始め、メフル月一日に満6歳になっていれば入学できる。5年間の義務教育である。昔は小学児童の数が多すぎて、二部制、時には三部制の授業が行われたこともある。

 遊牧民のいる地域では、時々普通の黒テントではなく、白い丸型のテントが目につく。これは季節によって移動するテント学校である。

②進路指導教育(راهنمایی、中学校)

 ペルシア語の名称が指すように、進路指導期間である。11歳よりの3年間です。この3年間の学習の結果に基づき、次への進学段階で、理論教育と工学・技術・職業のどちらかのコースに分けられます。

③中等教育(دبیرستان、高等学校)

 4年間。1992年より新制度が導入されました。理論教育課程では、第一年度は人文科学科と実験・数学科とに分かれ、第二年次以降は前者はさらに①文化・文学専攻と②社会・経済専攻に、また、後者は①数学・物理専攻と②実験科学専攻に分かれます。この3年を修了した後に、4年目は大学進学準備過程(پیش دانشگاهی)に在籍します。

 一方、大学に進学しない技術・職業家庭では、工学、技術、農業の三専攻に分かれる。修了すると卒業証書(دیپلم)が与えられる。

④大学(دانشگاه、単科大学はدانشکده)

 全国共通試験(کنکور)を受けて、進学先・専攻が決まります。年に一度しか試験がないので、ある意味で、日本以上のきつい受験戦争ります。このため予備校が繁盛しています。受からなければ、男子は兵役に就きます。イラン・イラク戦争の殉教者が家族にいる場合は、優先的に入学が許可されています。ちなみに、私学・イスラーム自由大学とパヤーメ・ヌールを除き、授業料は無料である。

食文化

 米料理が多く食べられます。また、カスピ海やペルシャ湾から獲れる魚料理に、鳥・羊・牛などの他、ラクダ|駱駝等も用いる肉料理、野菜料理などは種類豊富です。

 最もポピュラーなのは魚・肉などを串焼きにするキャバーブです。野菜料理は煮込むものが多いと言えます。ペルシア料理研究家のナジュミーイェ・バートマーングリージー(Najmieh Batmanglij)は、自著『New Food of Life』で「イラン料理はペルシア絨緞同様に、色彩豊かでかつ複雑であ。他の中東料理と共通する部分は多いが、もっとも洗練され、創意に富むといわれる」と述べています。

 イラン革命以前は飲酒が盛んであり、現在でも密かに飲まれています。


文学

 ペルシア文学は高く評価されています。ペルシア語は2500年にわたって用いられ、文学史上に明瞭な足跡を残しています。イランにおいては詩作が古代から現在まで盛んであり続け、中世の『ライラとマジュヌーン』のニザーミー、『ハーフェズ詩集』のハーフィズ、『ルバイヤート』のウマル・ハイヤーム、『シャー・ナーメ』のフィルダウスィー、『精神的マスナヴィー』のジャラール・ウッディーン・ルーミーらのように、イラン詩人らの詩美は世界的に注目を浴びています。

 20世紀に入ると、ペルシア新体詩をも乗り越え、ノーベル文学賞候補ともなったアフマド・シャームルーや、イラン初の女流詩人パルヴィーン・エーテサーミー、同じく女流詩人であり、口語詩の創造を追求したフォルーグ・ファッロフザードのような詩人が現れました。

 小説においても20世紀には生前評価を得ることはできなかったものの、『生き埋め』(1930年)、『盲目の梟』(1936年)などの傑作を残したサーデグ・ヘダーヤトが現れました。


テヘラン7つづく