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私たちは龍勢会館がある下吉田をあとに、会館の前を走る県道37号線を西に向かった。 37号線には、秩父事件で最初に農民が一番最初に集まり決起した椋(むく)神社がある。その椋神社の前を通過し、さらに西に行く。 椋神社境内 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 城峯山への登山口近くの県道37号線 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 その後、県道37号線から城峯山側に入る(右折する)県道363号線を登る。 363号線を相当登ると、秩父事件の幹部らの墓や秩父事件の資料、文物を展示している石間交流学習館もある。そしてなによりも、この地域には、秩父事件に参加した養蚕農家の名残が急傾斜地にへばりつく様に点在している。 加藤織平(石間村、当時)の墓 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 石間交流学習館の展示室にて 撮影:鷹取敦 2010.9.19 石間交流学習館の入場券(見本) 私たちは、最初に城峯山麓で秩父事件の4日目に決起した農民が山岳で警察などと交戦した「半納の横道」近くまで車で登ぼった。 1884(明治17)年、埼玉県秩父郡で起きた農民らの武装蜂起は、時の政府を震撼させた。山間を揺るがした民の怒りは圧政への怒りであり、谷を吹きぬけた熱情は、自由と民権への熱情であった。政府は軍隊を派遣し徹底鎮圧。事件を「暴動」の名のもとに歴史の深部に封印した。蜂起で発揮された民衆の楽天性や高揚したエネルギー、そしてより良い社会と未来をめざした志が、事件120年を迎える2004年に本格劇映画「草の乱」として甦えった。その秩父事件における戦いのひとつのハイライトが、城峯山麓にある「半納の横道」での山岳戦である! 下は、秩父時間の流れ、困民党軍の動きを一表としたものである。 秩父事件の流れ(困民党軍の動き)1884年(明治17年)11月
このあたりの標高は、800mもあるが、よく見るとこのあたりにも、かなりの数の養蚕農家がある。昔の養蚕農家は群馬の赤岩でも長野の上田でも見るとすぐに分かる特殊な構造をしている。 半納の風景。何しろ山深い 前回 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 半納の風景。何しろ山深い 今回 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 下の写真は、石間交流学習館に展示されていた秩父事件当時の城峯山麓の養蚕農家である。険しい急傾斜面に養蚕農家があることがよく分かる。 石間集落のさらに上の沢戸(さわど)の貴重な写真 撮影:池田こみち 沢戸(さわど)中山間地の標識 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 現在の沢戸の風景 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 「半納の横道」へは、県道363号線をひたすら細い林道を車で登った。標高で約800m近く登ったところで、道路の際に、下の写真のように小さな看板がある。 高原からさらに登るのではなく、ほとんど標高200m程度の場所から800mまで、しかも、途中、急傾斜地の細い林道などを登るのはそれほど容易ではない。 通称、半納の横道へは県道363号線を使う ここからは徒歩で「半納の横道」のシンボルとなっている見張り台が見えるところまで登った。 農民の一斉蜂起から4日目、この山深い半納の耕地から農民全世帯が蜂起に参加した。「半納の戦い」は、農民が警官隊相手にゲリラ戦を挑み激戦したことで有名である。 火の見と常夜灯が今も残り、事件の痕跡をうかがわせているとあったので、行けるかどうか分からなかったが行ってみた。 登り口 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 下は「半納の横道」への登り口である。結構、斜面が急である。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 下の3枚の写真は今回撮影した「半納の横道」のシンボルとなっている見張り台である。何と、ボロボロとなっていた見張り台が再建されていた! 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 下は、秩父市教育委員会配布の秩父事件に関するパンフレットの表紙である。表紙には、半納の横道の見張り台などがシンボルマークとして描かれている。 出典:秩父市教育委員会配布パンフレットより 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 下は前回、来た時の見張り台である。風雨にさらされ木造の見張りり台は相当ボロボロになっていた。 半納の横道にある火の見櫓 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S10 堂の尾根(約800mの尾根) 残存する常夜灯を背景に池田こみち 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 堂の尾根 残存する常夜灯常。この辺の標高は800m以上ある 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8 下の写真は、「半納の横道」より下側にあるかつての養蚕農家を撮影したものである。中山間地とはいえ、非常に険しい急傾斜地に農家がへばりついていることがよく分かる。 このあたりでは、農業と言っても水稲はおろか野菜の栽培もままならない。そこで秩父から東は長野の小海、上田、北は群馬の赤岩から桐生などでは、養蚕が盛んに行われていたのだ。 「半納の横道」より下側にあるかつての養蚕農家 撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400 この辺りから下界を見ると、下の写真のようにかなりの山岳地であることが分かる。こんな山岳地から、農民がよくぞ一斉蜂起したものだと、いまさらながら驚く。というのも、当時でも農民が国家に対し蜂起すれば、「首謀者」らが打ち首(斬首)となることが当たり前の時代であったからである。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 「半納の横道」から道路に下り、城峯神社がある城峯山頂上付近に行くため、車で急勾配の道を少し行くと、下の写真にあるような「半納の横道」への階段があった! ここからなら急傾斜地を登ることなく、階段で「半納の横道」まで行けば楽なはずだ。 撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S50 つづく |